31 「信仰だけによる救い」聖書150箇所(150 Bible Verses About Being Saved By Faith Alone)

               
  


以下は、高木慶太著『信じるだけで救われるか』からの抜粋


【必要なのは神の義】

 人間は、いくら努力しても、神に受け入れていただくにふさわしい状態に自分をもっていくことはできない。たとえ今から死ぬ時まで一度も罪を犯さなかったとしても(もちろんそんなことは不可能であるが)、神に受け入れられるに十分ではない。その第一の理由は、生れてから今までの罪があるからである。そして第二の理由は、神に受け入れられるために必要なのは、人間の義ではなく神の義だからである。つまり、単なる完全さではなく、神の義そのものが必要だからである。フロリダ聖書大学神学部長のリチャード・A・シーモア博士はこの点を次のように述べている。

 「たとえ人が十戒を完全に守ったとしても、天国に行くことはできない。一生涯何の悪いこともせず罪を犯さなかったとしても、それでその人は天国に行けるわけではない。なぜなら、聖書によると、天国に行くために必要なのは人間の義ではなく、神の義だからである。単なる完全さではなく、神の完全さが必要なのである。」

 これらのことから明らかなように、われわれが未信者に語るべき福音メッセージは、本質的には「罪をどうこうせよ」ではなく「キリストを信ぜよ」である。ということは、罪や悪習慣を自分でどうすることもできない罪人も、その罪や弱さをもったありのままの姿でキリストのもとに来ることができ、自分が地獄の滅びに行かなくてもよいように、自分の罪の身代わりになってくださったイエス・キリストを「信じる」という唯一の条件だけで救われるのである。そして、信じた時に神はその罪人を義と認めてくださるのである。「義と認める」とは、「信じる罪人を、罪をもったままの状態で『正しい者』と宣言してくださる神の主権的な恵みの行為」(ルイス・スペリー・チェイファー博士)である。


【救いは受け取るもの】

 救いは、われわれが何かを「差し出す」というようなものではなく、「受け取る」ものである。神が恵みによって備えてくださったものを受け取るだけで、われわれは救われるのである。救いは、「神からの賜物」(エペソ2:8)すなわち無料の贈り物である。与えてくださるのは神であり、受け取るのは人間である。

 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」(ヨハネ1:12)

 「神は、実に、そのひとり子をお与えになった・・・」(同3:16)。

 「わたしは彼らに永遠のいのちを与えます」(同10:28)。

 救いが、受け取るだけで与えられるものであることは、「救いを受ける方法」について説明するためにキリストが用いられた幾つかの象徴的表現からも明らかである。

 たとえば、ニコデモに対しては、昔、イスラエルの民が荒野で経験したことを例に挙げて救いを説明された。モーセに率いられた民のうち多くの者が、荒野で神に逆らったため、神の罰を受けて蛇にかまれて死んだ。しかし、死にかかっていた者のうち、モーセが旗ざおの上に付けた青銅の蛇を仰ぎ見た者はみな救われたのである。キリストは、「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです」(ヨハネ3:14,15)と言われたが、ここで注意すべきことは、「キリストを信じること」が「青銅の蛇を仰ぎ見ること」と対照されている点である。すなわち、「仰ぎ見る」ということばの中に、「自分の人生を改革する」とか、「何かを差し出す」などのニュアンスが含まれていないように、「信じる」という行為の中にもそれらのニュアンスは含まれていないのである。

 また、キリストは、サマリヤの女に救いを説明されたときに、「わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません」(同4:14)と言われたが、この「飲む」という概念も、「水を口に受け入れる」という一方通行の動作であり、相手に何かを「与える」とか「ささげる」とかの意味合いを含んでいない。

 さらに、また別の時にキリストは、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています」(同6:54)と言われたが、ここで使われた「食べる」「飲む」という動詞も自分の中に一方的に取り入れる動作を表わしている。

 このように、キリストは、「信じる」ということを、「見る」「飲む」「食べる」などの動詞に置き換えて説明されたが、これらすべて、救いが単に「受け取る」ものであることを表わしている。


【「信仰」 唯一の条件】

 救いの条件として「信仰」以外に何ものも付け加えてはならないことを強調して、ダラス神学校の創設者ルイス・スペリー・チェイファー博士は、こう述べている。

 「『救い』には無限の深さがあるが、人間の責任に関するかぎり、キリストを救い主と信じるだけで与えられるという事実ほど重要な意味をもつ事柄、また弁護されねばならない事柄はほかにない。そのただ一つの条件に他の条件を追加すると、聖書の教えている『恵みによる救い』の重要な教理を破壊することになる。その本来の性質から、救いはただ神のみによって達成されねばならず、しかもそれは完全な恵みの原則に基づいている。にもかかわらず、人間が、何らかの効果があると考えて、何らかの形で人間の働きをそれに付け加えるならば、それは、救いの教理そのものについての無知か、あるいは許されざる不注意だと言わなければならない。」

 J・グレシャム・メイチェン博士は、神学者というものは、その人が「信仰のみによる救い」をどれだけ明確に把握しているかによってランクづけされると言い、次のように述べている。

 「信仰とは、何かを受け取ることであって、何かをすること、あるいは何かの状態ではない。聖書の中心をなしているのは、神の恵みの教理である。神の恵みは、人の内にある何ものにもよらない、完全に主権的なものである。この偉大な中心教理をどれだけ明確に把握しているかというその度合いによって、キリスト教界のすべての神学者たちを段階的に分類することができる。聖書の中心、またキリスト教の中心は、神の恵みであり、神の恵みの必然的な帰結は、信仰のみによる救いである。」


【「信仰」とは何か】

 救いが信仰によって与えられるのなら、次に問題になってくるのは、「信仰」あるいは「信じる」とは何かということである。ギリシャ語の「ピスティス(信仰)」および「ピステューオー(信じる)」ということばは何を意味するのであろうか。プリンストン神学校のチャールズ・ホッジ博士は、「ピスティス」ということばを詳細に説明したあと、その結論として次のように述べている。

 「救いに関連して用いられる場合、ピスティス(信仰)とは次の三要素を含んでいる。

(1)知識、すなわち真理とその本質の認知。
(2)同意、すなわち信仰の対象が真実であるという納得。
(3)信頼。

 このように『信仰』とは、単なる同意や単なる信用ではなく、福音の中に表わされている真理を知的に認知し、それに信頼することである。」

 ホッジ博士の定義は正確かつ簡潔であるが、これをさらに具体的に展開すると次のようになる。

(1)「知識」とは、聖書に述べられている以下の事実を知ることである。
 a. 私は罪人である。
 b. 私はこのままでは地獄の滅びに至る。
 c. 私は救いを必要としている。
 d. 神の御子イエス・キリストは、私の罪の身代わりとなって十字架上で死なれ、三日目によみがえられた。

(2)「同意」とは、以下の事柄に同意することである。
 a. キリストは、ほんとうに私の罪の代価を完全に支払ってくださった。
 b. 神は、キリストを信じる者をご自分の子とし、永遠のいのちを与え、天国を保証してくださる。
 c. 私の永遠の運命は、キリストをどうするかにかかっている。

(3)「信頼」とは、意志の決断によって、イエス・キリストの人格に、また、キリストが完成してくださった贖いのわざに完全に信頼し、より頼むことである。ちょうど、いすが自分の体重を支えてくれると信じ、思い切って腰をかけるのと同じように、自分の永遠の運命をキリストにお任せし、「私はキリストに頼っているので、まちがいなく天国という最終目的地に行けることを知っている」と安心すること、これが信頼である。

 このように、信仰とは、単に知的問題だけでなく、意志の問題でもあり、精神・感情・意志の総合活動である。ということは、救いに関する聖書の教えをすべて信じても、「頭の信仰」だけでは救われないことを意味している。頭で信じることと、心で受け入れることとの間には大きな相違があるからである。聖書は、悪霊どもも神を信じて、身震いしていると教えている(ヤコブ2:19)。

 キリストを信じるとは、単なる理解や納得や知的同意ではなく、キリストを受け入れ、キリストにより頼み、自分の信頼をキリストの内に置くことである。そのためには、自分自身の「良い行い」や「キリストプラス良い行い」に頼ってはいけない。信頼は努力を除去するものだからである。受け入れられようと自分で努力しているかぎり、信頼しているとは言えない。

 したがって、信じるとは、自分自身の善行や努力によって救いに近づこうとするのをやめて、十字架上でキリストが完成された贖いのわざを全面的に信頼し、「信じる者には永遠のいのちがある」という神の約束に賭けて、全面的にキリストに寄りかかることである。




【「信仰だけによる救い」の150箇所】

 マタイ9:2 イエスは彼らの信仰を見て、「・・・あなたの罪は赦された。」と言われた。

 マルコ10:52 あなたの信仰があなたを救ったのです。

 ルカ5:20 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。

 ルカ7:50 あなたの信仰が、あなたを救ったのです。安心して行きなさい。

 ルカ8:12 悪魔が来て、彼らが信じて救われることのないように、・・・みことばを持ち去ってしまうのです。

 ルカ18:42 あなたの信仰があなたを直したのです。

 ヨハネ1:7 この人はあかしのために来た。・・・すべての人が彼によって信じるためである。

 ヨハネ1:12 その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

 ヨハネ2:11 イエスはこのことを・・・カナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。

 ヨハネ2:23 多くの人々が、イエスの行なわれたしるしを見て、御名を信じた。

 ヨハネ3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。

 ヨハネ3:16 御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 ヨハネ3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は・・・すでにさばかれている。

 ヨハネ3:36 御子を信じる者は永遠のいのちを持つ・・・

 ヨハネ4:39 その町のサマリヤ人のうち多くの者が、・・・その女のことばによってイエスを信じた。

 ヨハネ4:41 さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。

 ヨハネ4:42 もう私たちは、あなたが話したことによって信じているのではありません。

 ヨハネ4:53 そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。

 ヨハネ5:24 わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、・・・死からいのちに移っているのです。

 ヨハネ5:46 もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。

 ヨハネ6:29 あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。

 ヨハネ6:35 わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

 ヨハネ6:40 わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。

 ヨハネ6:47 信じる者は永遠のいのちを持ちます。

 ヨハネ7:31 群衆のうちの多くの者がイエスを信じて言った。

 ヨハネ7:38 わたしを信じる者は、・・・その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。

 ヨハネ7:39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。

 ヨハネ8:24 もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。

 ヨハネ8:30 イエスがこれらのことを話しておられると、多くの者がイエスを信じた。

 ヨハネ8:45 このわたしは真理を話しているために、あなたがたはわたしを信じません。

 ヨハネ8:46 わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。

 ヨハネ9:35 イエスは、・・・彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。

 ヨハネ9:38 彼は言った。「主よ。私は信じます。」そして彼はイエスを拝した。

 ヨハネ10:26 しかし、あなたがたは信じません。それは、あなたがたがわたしの羊に属していないからです。

 ヨハネ10:42 そして、その地方で多くの人々がイエスを信じた。

 ヨハネ11:15 わたしは、・・・あなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。

 ヨハネ11:25 わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

 ヨハネ11:26 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。

 ヨハネ11:27 はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。

 ヨハネ11:42 わたしは、・・・この人々が、あなたがわたしをお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。

 ヨハネ11:45 イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。

 ヨハネ11:48 もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。

 ヨハネ12:36 あなたがたに光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい。

 ヨハネ12:37 イエスが彼らの目の前でこのように多くのしるしを行なわれたのに、彼らはイエスを信じなかった。

 ヨハネ12:42 それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。

 ヨハネ12:44 わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです。

 ヨハネ12:46 わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。

 ヨハネ13:19 そのことが起こったときに、わたしがその人であることをあなたがたが信じるためです。

 ヨハネ14:1 神を信じ、またわたしを信じなさい。

 ヨハネ16:9 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。

 ヨハネ16:27 あなたがたがわたしを・・・信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられる・・・。

 ヨハネ16:30 私たちはあなたが神から来られたことを信じます。

 ヨハネ16:31 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは今、信じているのですか。

 ヨハネ17:8 彼らは・・・あなたがわたしを遣わされたことを信じました。

 ヨハネ17:20 わたしは、・・・彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。

 ヨハネ19:35 それを目撃した者が・・・あなたがたにも信じさせるために、真実を話すということをよく知っているのである。

 ヨハネ20:8 そのとき、・・・もうひとりの弟子も・・・見て、信じた。

 ヨハネ20:29 あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。

 ヨハネ20:31 これらのことが書かれたのは、・・・あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。

 使徒3:16 このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、・・・この人を強くしたのです。

 使徒4:4 みことばを聞いた人々が大ぜい信じ、男の数が五千人ほどになった。

 使徒4:32 信じた者の群れは、心と思いを一つにして、・・・すべてを共有にしていた。

 使徒5:14 主を信じる者は男も女もますますふえていった。

 使徒6:7 多くの祭司たちが次々に信仰にはいった。

 使徒8:12 ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。

 使徒8:13 シモン自身も信じて、バプテスマを受け、いつもピリポについていた。〔※個人的にはシモンは救われていなかったと考える。〕

 使徒8:37 私は、イエス・キリストが神の御子であると信じます。〔※新改訳では本節欠如〕

 使徒9:42 このことがヨッパ中に知れ渡り、多くの人々が主を信じた。

 使徒10:43 この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、・・・。

 使徒11:17 私たちが主イエス・キリストを信じたとき、神が私たちに下さったのと同じ賜物を、彼らにもお授けになった・・・。

 使徒11:21 主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。

 使徒13:12 この出来事を見た総督は、主の教えに驚嘆して信仰にはいった。

 使徒13:39 信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。

 使徒13:48 永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰にはいった。

 使徒14:1 ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人が信仰にはいった。

 使徒14:23 教会ごとに長老たちを選び、・・・彼らをその信じていた主にゆだねた。

 使徒15:7 異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。

 使徒15:9 彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。

 使徒16:31 主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。

 使徒16:34 全家族そろって神を信じたことを心から喜んだ。

 使徒17:12 彼らのうちの多くの者が信仰にはいった。

 使徒17:34 しかし、彼につき従って信仰にはいった人たちもいた。

 使徒18:8 会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。

 使徒18:27 彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。

 使徒19:2 信じたとき、聖霊を受けましたか。

 使徒19:4 ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。

 使徒19:18 信仰にはいった人たちの中から多くの者がやって来て、・・・告白した。

 使徒21:20 ユダヤ人の中で信仰にはいっている者は幾万となくあります・・・。

 使徒21:25 信仰にはいった異邦人に関しては、・・・私たちはすでに手紙を書きました。

 使徒24:24 ペリクスは・・・パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞いた。

 使徒26:18 わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、・・・御国を受け継がせるためである。

 ローマ1:16 福音は、・・・信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

 ローマ1:17 その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。

 ローマ3:22 すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。

 ローマ3:25 神は、キリスト・イエスを、・・・信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。

 ローマ3:26 それは、・・・イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。

 ローマ3:27 どういう原理によってでしょうか。行ないの原理によってでしょうか。そうではなく、信仰の原理によってです。

 ローマ3:28 人が義と認められるのは、・・・信仰によるというのが、私たちの考えです。

 ローマ3:30 神は、割礼のある者を信仰によって義と認めてくださるとともに、割礼のない者をも、信仰によって義と認めてくださるのです。

 ローマ4:3 それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。

 ローマ4:5 何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。

 ローマ4:9 アブラハムには、その信仰が義とみなされた。

 ローマ4:11 彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められた・・・。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、・・・。

 ローマ4:13 世界の相続人となるという約束が、・・・与えられたのは、・・・信仰の義によったからです。

 ローマ4:16 そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。

 ローマ4:24 主イエスを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちも、その信仰を義とみなされるのです。

 ローマ5:1 信仰によって義と認められた私たちは、・・・神との平和を持っています。

 ローマ5:2 いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、・・・大いに喜んでいます。

 ローマ9:30 義を追い求めなかった異邦人は義を得ました。すなわち、信仰による義です。

 ローマ10:4 信じる人はみな義と認められるのです。

 ローマ10:6 信仰による義はこう言います。

 ローマ10:9 神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われる・・・。

 ローマ10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

 ローマ10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

 ローマ11:20 彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。

 ローマ13:11 私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。

 ローマ15:13 どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし・・・てくださいますように。

 1コリント1:21 神はみこころによって、・・・信じる者を救おうと定められたのです。

 1コリント3:5 アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰にはいるために用いられたしもべであって、・・・。

 1コリント15:2 もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、・・・この福音によって救われるのです。

 1コリント15:11 私たちはこのように宣べ伝え・・・あなたがたはこのように信じたのです。

 1コリント15:17 もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。

 ガラテヤ2:16 人は・・・ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる・・・。

 ガラテヤ2:20 いま私が、この世に生きているのは、・・・御子を信じる信仰によっているのです。

 ガラテヤ3:2 あなたがたが御霊を受けたのは、・・・信仰をもって聞いたから・・・。

 ガラテヤ3:5 あなたがたが律法を行なったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。

 ガラテヤ3:6 アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。

 ガラテヤ3:7 ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。

 ガラテヤ3:8 聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださることを、前から知っていた・・・。

 ガラテヤ3:9 そういうわけで、信仰による人々が、・・・祝福を受けるのです。

 ガラテヤ3:11 義人は信仰によって生きる。

 ガラテヤ3:14 私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。

 ガラテヤ3:22 それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人々に与えられるためです。

 ガラテヤ3:24 私たちが信仰によって義と認められるためなのです。

 ガラテヤ3:26 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。

 エペソ1:13 あなたがたも・・・救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、・・・証印を押されました。

 エペソ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。

 エペソ3:12 私たちは・・・キリストを信じる信仰によって大胆に・・・神に近づくことができるのです。

 エペソ3:17 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。

 ピリピ3:9 キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、・・・。

 コロサイ2:12 あなたがたは、・・・キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。

 2テサロニケ1:10 主イエスは来られて、・・・信じたすべての者の・・・感嘆の的となられます。

 2テサロニケ2:12 それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。

 2テサロニケ2:13 神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになった・・・。

 2テサロニケ3:2 すべての人が信仰を持っているのではない・・・。

 1テモテ1:4 果てしのない空想話と系図・・・は・・・信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではありません。

 1テモテ1:16 彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、・・・寛容を示してくださったからです。

 1テモテ3:16 キリストは・・・諸国民の間に宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに上げられた。

 1テモテ4:10 私たちは・・・すべての人々、ことに信じる人々の救い主である、生ける神に望みを置いている・・・。

 2テモテ1:12 私は、自分の信じて来た方をよく知っており、・・・確信している・・・。

 2テモテ3:15 聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

 ヘブル4:3 信じた私たちは安息にはいるのです。

 ヘブル10:39 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

 ヘブル11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、・・・信じなければならないのです。

 ヘブル11:7 信仰によって、ノアは、・・・箱舟を造り、・・・信仰による義を相続する者となりました。

 ヘブル11:31 信仰によって、遊女ラハブは、・・・不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。

 ヤコブ2:1 あなたがたは私たちの栄光の主イエス・キリストを信じる信仰を持っているのですから、人をえこひいきしてはいけません。

 ヤコブ2:23 アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。

 1ペテロ1:5 あなたがたは、信仰により、・・・救いをいただくのです。

 1ペテロ1:8 あなたがたはイエス・キリストを・・・信じており、・・・喜びにおどっています。

 1ペテロ1:9 これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。

 1ペテロ1:21 あなたがたは、・・・神を、キリストによって信じる人々です。・・・あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。

 1ペテロ2:6 彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。

 1ヨハネ3:23 神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、・・・互いに愛し合うことです。

 1ヨハネ5:1 イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。

 1ヨハネ5:5 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。

 1ヨハネ5:10 神の御子を信じる者は、このあかしを自分の心の中に持っています。神を信じない者は、神を偽り者とするのです。神が御子についてあかしされたことを信じないからです。

 1ヨハネ5:13 私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

 ユダ5節 主が、民をエジプトの地から救い出し、次に、信じない人々を滅ぼされた・・・。


・・・キリストは、すべての人の身代わりになって十字架にかかってくださり、三日目に死からよみがえられた。

 人は、神の前に自分が罪人であることを認め、その罪の赦しのために命を捨ててくださったキリストを、自分の個人的な救い主として信じ、受け入れるならば、ただそれだけの条件で、ほんとうに救われるのである。ある人たちは、キリストのさばきの座に立ったときに、未信者に要求すべき救いの条件は、ただ「信じること」だけであったと聞かされて、きっと驚くことであろう。


<引用以上。※聖句はすべて新改訳聖書を使用> 

注)〔※〕はカズによるもの。


最後に、内田和彦・ハロルド・ネットランド共著『キリスト教は信じられるか』より抜粋して本稿を閉じることにする。

【信仰の決断】

 神を信じる決断は、結婚の決断に似ています。私たちはどのようにして、結婚を決断するでしょうか。しばらく交際して相手のことがある程度わかるようになり、相手に愛を覚えるようになり(共にいることを喜びとし、相手と人生を共有したいと思うようになり)、さらに相手も自分のことを愛していてくれると思う。そこで私たちはその愛に応えて相手に自分を与える決心をし、結婚に踏み切るでしょう。その場合、相手のすべてを知り得たから結婚を決断するのではありません。すべてを知らなければならないとしたら、私たちは一生交際を続けても結婚できないでしょう。

 実際、未知の部分があっても、多少不安な部分が残っていても、相手を信頼して自分を任せる決心をします。むやみに従うわけではありませんし、冷静に相手を見る努力は引き続きするでしょうが、どこかで相手を信じる決断をしなければなりません。結婚に踏み切り、結婚生活を共有していかなければ、本当に相手がわかってこないのですから。

 信仰の決断はこれと似ています。聖書に語られている神が本当に存在しておられるのか、どのようなお方なのか、私たちに何をしてくださったのかを知り、理解し、納得することが必要です。しかし、すべてがわかってから信じる決心をするのかというと、そうではありません。信じない限り、神に対して心を開かない限り、先には進めないのです。人格的に応答すること、信頼し、自分を任せることをして、初めて本当にわかるようになるのです。

 ・・・神について知ることにとどまらず、神ご自身を本当に知るためには信じることが必要です。「知るために信じる」のです。

 「すべてが理解でき、すべての疑いがなくなったら信じます」と言う人もいますが、それではどこまでいっても信じることはできませんし、理解することもできません。なにがしか理解しれきれないことや疑いが残っていても信頼の一歩を踏み出すとき、神の愛に応えることの喜び、神ご自身と交わることのすばらしさがわかってくるのです。

 「神がもしおられるなら、私にわかるようにしてください」、「神がもし私を愛してくださっているなら、その愛をお受けします」。そのような小さな祈りをささげることから始めたらよいと思います。神はへりくだって祈る私たちの祈りを聞いてくださる方ですから。

<引用以上>


【神がイエス・キリストを通して与えられた救いを受け取る祈り】

「イエス様、私にはあなたが必要です。私の罪の身代わりとなって十字架で死んでくださり感謝します。私を赦して、きよめてください。今、あなたが救い主であり、主であることを信じます。あなたが願われる私に変えてください。アーメン。」




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