
A・W・トウザー
「神に関して何を信じているかということが私たちにとって最も重要なことである。」
「多くの人が未だに悩み続け、求め続けていながら、ほとんど進歩らしい進歩を遂げていないのは、彼らがまだ自分の限界に達していないからです。私たちは未だに自分の考えで物事を進め、神が私たちを通して働かれようとしているのに、それを邪魔しているのです。」
「御霊は緊急の必要である。永遠の御霊だけが永遠の行為をすることができる。」
「自己否定ということは、個人的苦痛や苦行を科することではない。自己否定とは自分のために生活するという原則を断念することである。私たちの存在と意思の方向を完全に変え、もはや、自分にどのような影響があるかを基準に行動するのでなく、神と他の人々に、どのような影響を及ぼすかという一事に思いを寄せるようにさせるものである。」
「私たちが最もしなければならないことは、『わたしはある』という神のために場所を設けることである。」
「信仰とは、本質的に言うと、被造物たる人間の、創造者つまり神に対する応答にほかならない。」
「偶像礼拝の本質は、真の神にふさわしくない神に関する考えをもてあそぶことだ。」

ウィリアム・ブース(1829~1912年 英国 救世軍創始者)
「人の強さというのは、どれだけその人が降伏しているかによって測られる。」
「女性が泣いている限り、わたしは戦う。幼い子供が飢えている限り、わたしは戦う。男たちが刑務所に出入りする限り、わたしは戦う。酔っぱらいが残っている限り、街頭に哀れな女性がいる限り、神の光を受けていない一人の魂でもある限り、わたしは戦う。終わりまで戦う。」
スタンレー・ジョーンズ(1884~1973年 宣教師)
「もしあなたがキリストに降伏しないならば、あなたは無秩序へ降伏することになる。」
「幸福な人は、他人のため自分の重荷を進んで負う人、不幸な人は他人のためには、自分の損になることを何もしない人。」
「私には外国伝道に対する甘い夢はなくなりました。さまざまな障害があることはよく分かっています。皆さんは、私がインドに戻っても、ただ失望や失敗があるだけで、何の成果も見ることができないだろうと言うかも知れません。しかし、私にとってそれは途中のほんのわずかな出来事にすぎないのです。私は、神からインドへ行けとの召しを受けています。その召しに忠誠を尽くすのが、私のやるべき唯一のことです。成功や失敗は、私の関知することではありません。ただ私は、神に対して忠実か否かだけなのです。」
「自分の感情がついてこないのに新しい方法で行動しなければならない時もあり、自分で行動して新しい方法で、感じなければならない時もある。信仰は基本的に行動だ。信仰は(感情ではなく)行動に表現され、生活される信念であり、遅かれ早かれある種の感情も生み出す。これが神の順序だ。それを逆にしてはいけない。それを逆にすると、あらゆることで安定性のない、幼稚なクリスチャンになります。」

「神が光の下で言われたことを、決して暗闇の中で疑ってはならない」(V・レイモンド・エドマン)。
ディートリッヒ・ボンヘッファー(1906~1945年。ナチスに反対したために殉教したドイツの牧師)
「クリスチャン共同体よりも、自分で夢に思い描いている共同体を愛する人は、クリスチャン共同体の破壊者となります。・・・そこですばらしい体験ができずに、また特に発見すべきものがなく、弱さや信仰の欠けや困難ばかりが目につくからと言って、自分が置かれているそのクリスチャンの交わりに対して、感謝することもなく、文句ばかり言い続けるなら、私たちはその交わりを育もうとしておられる神の働きを妨げることになるのです。」
「キリストが人を召されるとき、来たりて、死ねと命じられる。」

ジョニー・エリクソン・タダ
「人生がバラ色の時、私たちは主イエスのことを知っていると思い、主イエスのように生きているつもりになっていて、何となく主イエスの教えを引用してみたり、主イエスのことを話したりしています。しかし、苦難を通してでなければ、私たちが本当に主イエスを知ることはないのです。」
「苦しみは私たちに教えてくれる。クリスチャン・ライフにおいてもっともすばらしいことは痛みがないことではなく、キリストに似た者となることであると。」
「神は自分の願う結果を成し遂げるためには、自分が願わないことを行うのもいとわない。」

コーリー・テン・ブーム(1892~1983年。第二次世界大戦中に多くのユダヤ人をナチスから助けたオランダ人クリスチャン、ホロコースト生残者)
「世の中に目を向ければ、悩みが増すでしょう。自分の内側をのぞいてみても、落ち込むだけです。しかし、あなたがキリストを見上げる時、心に安らぎが与えられるのです。」
「赦しは、怒りの扉を開き、憎しみの手錠を外す鍵である。それは悲痛の鎖を断ち、利己心という足かせを断つものである。イエスの赦しは、わたしたちの罪を取り除くばかりでなく、あたかも罪などなかったかのようにしてくださるのである。」
「幸福というものは環境によって左右されるのではなく、その中における人間相互の関係によって決まる。」
「信仰とは霧の中を透視するレーダーのようなものである。それは人間の目が見ることのできない遠くの実在を見るのである。」
「我々がどんな暗闇にいようとも、イエスはさらに深い暗闇の中にいる。」

マルチン・ルター
「あなたは自分の頭上を鳥が飛び回るのを止めることはできなくても、自分の頭に巣を作らせないようにすることはできるのです。」
「人間は常に神か、さもなければ偶像を持つ。」
「キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって何人にも従属しない。キリスト者はすべての者に奉仕する僕であって何人にも従属する。」
「信仰とは私たちがこれこそ信仰であると考える思想や夢想ではない。信仰とは私たちの中における神のわざである。」
「聖餐から遠ざかっている者はキリスト者ではない。」
「悲しむ理由よりもっと多く、喜ぶ理由がわたしたちにはある。なぜなら神の望みを置いているのだから。」
「もしわれわれの持ち物が周囲の人々に分かち合えるものでなければ、それは盗品である。」
「苦しみに会っても心を静め、あなたの悲しみを誰にも話していけない。神を信じなさい。神の助けはあなたを裏切ることはない。」
「神学をするためにはアリストテレスを忘れなければならない。」
「この世を動かす力は希望である。やがて成長して果実が得られるという希望がなければ、農夫は畑に種をまかない。」
「私たちは、キリストが、きのう十字架にかかられ、きょうよみがえられ、あす来られるかのように生きようではないか。」
「真理なしの一致は背任である。」
「私は多くのものを握り締め、そしてそれらを全部失った。しかし神の手にお渡ししたものについてはすべて、ずっと持ち続けている。」

ヘンリ・ナーウェン
「人々の役に立つ者となるために、私たちは彼らに対して死ななければなりません。すなわち、私たちは人との比較によって自分の価値や重要性を測ることをやめなければならないのです。・・・その時、私たちは自由な気持ちで人に同情することができるようになるのです。」
「親であるとは、見知らぬ旅人を気前よくもてなすようなものです。…私たちは、自分の子供を創造したのでもなければ、所有しているのでもありません。このことは、私たちにとって福音です。私たちは、子供の問題すべてに責任があると、自分を責める必要はないし、子供の成功を自分たちのカだと誇るべきでもないのです。子供たちは神からの贈り物です。私たちが彼らのために、心の自由と体の自由を得て成長するための、安全で愛に満ちた場所を提供するようにと神から与えられたのです。子供たちは見知らぬ客人のようなものです。もてなしを求め、よき友となり、そののち、ふたたび彼ら自身の旅を続けるために去っていきます。まさに贈り物であるがゆえに、計り知れない喜びと、限りない悲しみももたらします。」

「本当に幸せな人とは、どのように仕えるかを学んだ人である」(アルバート・シュバイツァー)。

ジョン・ウェスレー(1703~1791年 英国 メソジスト運動の父)
「あらゆる手段を用いて、あらゆる方法によって、あらゆる場所で、あらゆる時に、あらゆる人に対して、自分にできる限りの、あらゆる善を行なうこと」(ジョン・ウェスレーのモットー)。
「あなたの心を神に向かって健全なものにしなさい。神の中に、そして神のみにあなたの幸福を捜し求めなさい。塵に固着しないように気をつけなさい。此の地上はあなたの場所ではない。此の地上を乱用しないで使うように注意しなさい。此の世を使って、そして神を楽しみなさい。」
「私はすべてのことを、永遠において獲得できる価値によって判断する。」
「お金が私といっしょにいつづけることは決してない。もしお金がとどまったとしたら、私を燃えつくしてしまうだろう。私はお金はなるべく早く手放すようにしている。そうしないと、お金は私の心に入り込んできてしまうからだ。」
Christian Quote of the Day with Photo

キリスト・バカ(1971年~携挙? 日本)
「必要なのはいいマニュアルではなく、インマヌエルだ。」
「クリスチャンの行くコンビニはマタイのセブンイレブン(7:11)。」
「クリスチャンがかけるのはグレイス。」
「人生火事だ!詩篇119篇。」
「詩篇119篇は、あなたの魂をレスキューする『119番』である。」
「先立つものは金(カネ)ではなく、神。」
「『神様しかいない』と思った瞬間、そこは天国である。『自分しかいない』と思った瞬間、そこは地獄である。」
「通貨をあなたから通過させよ。それは実に痛快だ。」
「神を礼拝する以上に、大切なことがあると感じるなら、礼拝よりも他のことを優先するなら、その人は神の偉大さを本当に知らない人である。」
「祈祷は祈闘である。」
「キリストなしでは墓があってもはかない人生。」
「クリスチャンはみなついている。イエス・キリストがついている。」
「教会で受けた傷は教会でしか癒せない。」

ジム・エリオット(1927~1956年。米国。エクアドル宣教で殉教)
「失うことのないものを得るために、持ち続けることのできないものを捨てる人は、決して愚かではない。」

「今日キリスト教が幾億万人に慰安を与えているのは、キリストという人が常に逆境にあってつぶさに人生の辛苦をなめたたであろう」(新渡戸稲造)。

矢内原忠雄(1893~1961年 東大総長 伝道者)。
「偶像礼拝とは、人間の霊魂が人間実在の根底をなす絶対者に対して持つところのホームシックである。」
「キリストでさえ十字架の道によらなければ世を救うことができなかったのに、我々はそれ以外の道で世を救うことはできない。」「信仰は生命の問題、科学は実用の問題である。両者いずれか一を棄つべしとならば私は科学を棄てて信仰に生くる。」
「キリストでさえ十字架の道によらなければ世を救うことができなかったのに、我々はそれ以外の道で世を救うことはできない。」

「神が造られたこの世界にあって、神を見せてくれ、そうしたら信じようという人は、赤ん坊が母の胎内にあって、母を見せてください、そうしたたら私は母の存在を信じようというのに等しい」(賀川豊彦)。

「キリストに似ていないクリスチャンを、全部視野から取り除くことができさえしたら、福音の勝利にとっての最大の妨げはなくなるさ」(ある年老いた聖徒 『キリストに似るものとしてください』より)。
「人が神を知らないことは悪いことであるが、何よりも悪いことは、神にあらざるものを、神と認めることである」(ラクティンティウス)。

ジャン・カルヴァン(1509~1564年 スイスの宗教改革者)
「キリスト者は、最悪の人々の不正にだまされるように生きる種類の人間であるべきだ。一つの侵害を受けたら、もう一つの侵害に備えよ。全生涯を通じて、永久的十字架の耐忍を負うものである。」
「人間は全て望み通り満たされると、生活を楽しむことに深入りしてしまい、神のことや永遠のことを思わなくなる。そこで神は私たちを包んでいるものを少しずつ剥ぎ取って、神を思い、永遠を仰ぐようにしてくださる。」
「空や大地の一切の被造物が、神の摂理によって、治められるばかりではない。神は、人間の計画や意志をも自身の定めた目標に向かうように支配する。」

「信仰者の生活は、愛に始まり、愛で続けられ、愛に終わる。愛は罪の終わりである。罪を滅ぼすから。愛は律法の終わりである。それを完成させるから。愛はまた苦しみの終わりである。苦しみを楽しむようにさせるから」(聖ローレンス)。

「天国への道はそのまま天国である。それは、イエスが『わたしは道である』と言われたからである」(C・アンドリュース)。

ブレーズ・パスカル(1623~1662年。フランス。数学者。物理学者。哲学者。思想家。宗教家)
「人間は一本の葦にすぎない。自然のうちで最もひ弱い葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。」
「人間には二種類しかない。一つは、自己を罪人だと思っている義人であり、他の一つは、自己を義人だと思っている罪人である。」
「人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない、自分自身においても、また他人に対しても。」
「人間は、神と悪魔との間に浮遊する。」
「人間は天使でもなければ、獣でもない。しかし不幸なことは、人間は天使のように行動しようと欲しながら、獣のように行動する。」
「キリスト教の信仰は二つの真理。すなわち人間の自然性の堕落と、イエス・キリストの贖いとを両立させるところである。」
「イエス・キリストはあらゆるものの取る目的であり、あらゆるものの向う中心である。イエス・キリストを知る者は一切のものの理由を知る。」
「人の心は神によってしか満たされない空洞が空いていて、神以外の何者をもってしても満たすことができない。神によって空洞が満たされると人は生きる。」
「神があるというほうを表にとって、損得を計ってみよう。次の二つの場合を見積もってみよう。もし君が勝てば、君は全部もうける。もし君が負けても、何も損しない。それだから、ためらわずに、神があると賭けたまえ。」
「イエス・キリストを通してのみ神を知るだけではなく、イエス・キリストを通してのみ自分を知る。イエス・キリストを通してのみ生と死を知る。イエス・キリストを除いて、私たちは、自分の生、自分の死、神、と自分自身は何なのかを知ることはできない。」
「ギャンブルのもとは、不安にある。」
「心には、頭には全く分からない理由がある。」
「きよい生涯の澄みわたった美しさは、神の力に次ぐ最大の影響力である。」
「理性の服従とその運用。ここに真のキリスト教がある。」
「同じように危険な行き過ぎが二つある。理性を直ちに否定することと、理性の他は何も認めないこと。」
「真の道徳は道徳から楽しみをもたらす。」
「人間の不幸とは、静かな部屋で自分だけになって座っていることができないことから始まる。」
「神を知ることと神を愛することは、何と遠く隔たっていることだろう! 神を知ることができるのは、イエス・キリストを信じる信仰によってであり、また、その信仰も神から与えられるものである。」
「親切な言葉は、多くのお金は要らないが、多くの事を成し遂げる。」
アウグスティヌス 354~430年 古代キリスト教教父
「神よ、あなたは私たちをあなたに向けて造られたので、私の心はあなたのもとに憩うまで、安らぎを覚えることがありません。」
「大事においては一致、小事においては自由、すべてのことにおいては愛。」
「二つの国をつくりしは二つの愛なり。地の国をつくりしは神をさげすむほど己れ自身を愛する愛であり、天の国をつくりしは己れ自分身をさげすむほどすでに神を愛する愛なり。」
「人間は避けることのできない死を避けようとして、避けることのできる罪を犯す。」
「主よ、私が惨めになるにつれ、あなたはますます近づいてこられた。」
「神には炎の如き心を、友には愛の心を、自分自身には鉄の心を!」
「わたしたちのうちひとりしかいないかのように、神はわたしたちみなを愛す。」
「絶対者なる神以外、何ものも人間に本質的な充足を与えることはできない。」
「人は自らに幸いをもたらす能力がない。」
アウグスティヌスは、「神は天地を創造する前は何をしておられたのか」と聞かれた時、こう答えた。神は世界を造ったと同時に時間を発明されたのだから、そういう質問は無意味であり、質問した人の知覚が時間に縛られていることを暴露するだけである。時間の「前」にはただ永遠があり、神にとって永遠とは、決して終わることのない現在である。神にとって、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
「どこにでもおられる主のもとに、人は旅をすることによってではなく、愛することによって近づく。」
「傲慢はすべての罪のはじまりであり、人間の傲慢の始まりは神からの離脱である。」
「神が人となられたのは、なぜか。人間であるあなたは、神に届くことができないが、他の人間になら届くことができる。そして今、あなたは、ひとりの人を通して神に届くことができるようになった。なぜなら、人として来られたキリスト・イエスが、神が人類との仲介者になってくださったからだ。神は人となられた。それは、その人に従うことによって(これならあなたにもできる)、あなたが神に届くことができるようになるためである。かつてこれは、あなたには不可能なことであった。」
ヘルムート・ティーリケ(1908~1986年 ドイツの神学者。ナチ反対運動によって大学教授を追われたが屈せず説教・講演を続けた)。
「人間が神の財産であり、イエス・キリストはその人間のために死んだということをわたしたちが信じるかぎり、人間は聖なる存在、隣人となるのである。」
「十字架、それはあなたが神を拒み、理解せず、愛に対して愛を以って答えないことを暴露している。十字架、それは神の変わらぬ愛と、あなたの変わらぬ憎悪とが最終的に判然として神があなたの手にかかって死んだということを暴露している。」
「燃えることによって火が存在するのと同じように、伝道によって教会は存在する」(エミール・ブルンナー 1889~1966年 スイスの神学者)。
「罪がはびこる一つの理由は、罪がガラガラ蛇のようではなく、シュークリームのように扱われているということである」(ビリー・サンデー 1862~1935年 元メジャーリーガーの米国の大衆伝道者)。
「キリストが今日この現実の世界に生きておられることは、わたしが生きている以上に確かで、疑う余地がない」(ウィルフレッド・グレンフェル 1865~1940年 英国 ニューファンドランドの医療宣教師)。
C・T・スタッド(1862~1931年)。英国。ケンブリッジ大学の有名なクリケット選手。世界の50カ国へ、約1400名の宣教師を派遣している世界福音伝道団の創設者。
「私は、私のために死なれたイエスのことを知ってはいた。しかし、主が私のために死なれたのなら、私はもはや自分のものではないということが、まったくわからなかった。贖いとは買い戻しであるから、もし私が主のものであれば、泥棒になって自分のものでないものを持とうとするか、すべてを神の前に明け渡すかの二つに一つである。イエス・キリストが私のために死なれたことがはっきりわかった時、主にすべてを献げていくことは難しいとは思われなかった。」
「イエス・キリストが神であり、私のために死なれたのなら、主のために尽くす犠牲はどんなに大きくても、大きすぎることはない。」
「あなたは、自分のために偉大なことを求めているのではないですか? それはやめなさい。まず神の国を求めなさい。」(ノーベル平和賞を受賞したジョン・モットの生涯を決定付けた言葉)
「人生は一度きり。あっという間に終わってしまい、キリストのためにしたことだけが残る。」
「『妥協』とは悪魔の言葉」(エリック・リデル 1902~1945年 元オリンピック陸上選手の宣教師。『炎のランナー』のモデル)。
チャールズ・ハッドン・スポルジョン(1834~1892年 英国 19世紀世界最大の教会の牧師 説教のプリンス)
「男にとって一番手に負えぬ妻とはどんな妻か――町の人には愛想がよくて、教会では本当に信仰深くて、家では鬼みたいな女さ。」
「金持ちは往々にして、黄金の階段を降って地獄に落ちるものである。」
「開かれた聖書は、閉じられている聖書の何倍もの価値がある。」
「受けた祝福について神様に感謝を捧げると祝福が増し加わり、不幸について神様に感謝をすると不幸が終わる。」
「偉大な会衆は必ずしも偉大な説教者によってつくられるのではない。しかし、偉大な説教者は偉大な会衆によってつくられる。」
「人は『私には欠点がありますが、本当は良い心を持っています』と言うのでしょう。しかし悲しむべきことには、それは自分を欺いているのです。心こそあなたのうちで最も悪い部分なのです。」
「人を幸福にするものは、どれだけたくさんのものを持っているかということではなく、手持ちのものをどんな風に楽しむかという事である。」
「神の子らが、神からゆだねられた資力をもって彼らの務めを果たそうとしない場合、神はしばしば、彼らが破産銀行の株主になることを許される。」
「1グラムの心の知識は、1トンの頭の知識に相当する。」
「火の試練はゴールデン・クリスチャンを作り出す。」
「この世に幸福な事件とか、不幸な出来事とかいうものは存在しない。あるのは幸福な見方、不幸な見方があるだけである」(ミシェル・ド・モンテーニュ 1533~1592年 フランスの哲学者)。
「かまどで陶器を焼き上げれば、決して色があせることはない。それと同じで、患難の烈火で鍛練された人格は、永久に変化することがない」(ヘンリー・ピーチャー 1811~1897年 米国 伝道者)。
パール・バック(1892~1973年 米国 作家 ピューリッツァ賞、ノーベル文学賞受賞)
「悲しみを越えるには『あるがままのものを、そのまま受け入れる』ことが必要である。『これが自分の生活なのであり、私はそれを生き抜かねばならない』と考えるのだ。『なぜ自分だけこんな目にあうのか』などと自分中心に物事を考えたり行動したりしている限りは人生は耐えられない。自分の苦しみは自分一人のものではない。苦しみの中で自分は人々と共にあるのだということを自覚するとやがて苦しみの中で人々と手をつないでいこうという積極的な姿勢に変わってくる。」
「悲しみをすっかり受け入れること、そこからもたらされる何かがある。この事実は認められ、知られるべきである。悲しみには、ある種の錬金術のような力があるからだ。悲しみは知恵に変えることができる。そして、この知恵は、たとえ歓喜をもたらすことはなくても、幸福をもたらすことはできるのである。」
「神に従う生活をしない者は、ただ怖れにばかり支配される」(ニコラス・ルードヴィッヒ・フォン・ツィツェンドルフ 1700~1760年)。
「教理を知らないでもクリスチャンである者がすくなくない。キリスト教は証明せらるるべき教義ではなく、生活さるべき一つの生命である」(ヘンリー・ドラモンド 1851~1897年 ) 。
トマス・ア・ケンピス
「不可能を口にしないのは万事が自分にとり可能であり、許されていると考えるからである。」
「愛は重荷を感ぜず、労苦を顧みず、自分の力以上のことを行ないたがる。」
「愛は万事に対する能力をもち、愛しないものならば、力尽きて倒れる場合にも多くの事を成し遂げ功を奏させる。」
「イエスに対する『貴い愛』は人を促して大きな仕事をなしとげさせ、人を励ましいつもいっそう完全な徳を望むように仕向けさせる。愛は常に向上を欲していかなる、いと低い事物によっても引き停められることを望まない。」
「賢明な人はその愛する人からの贈り物より、贈り物をくれる人の愛を重んじる。」
「大いなる安らぎの心は、賞讃も中傷も気にしない人間のものである。」
「われわれは好んで他人が完全であることを求めはするが、自分自身の欠点をただそうとはしない。」
「われわれは自分を評価する物指しを使って他人を評価しないことがあまりにも多い。」
「本当に自分を知る人は、必ず自分をつまらぬ者と考えて、他人にほめられることを喜ばない。」
「世の称賛も、非難をも、気にかけない人は、大いなる心の平安をもつものである。」
「世の称賛を博したからといって、それでいっそう聖人になるわけではなく、悪口されたからといって、それでいっそうつまらぬものになるわけでもない。あるがままのあなたがあなたであって、人がどういおうと、神の見たもうところ以上に出ることはできない。」
「私の心はキリストにおいて堅められて、そこに礎をおくのなら、けしてやすやすとは世間に対する恐れに悩まされもせず、敵意をもった人のことばに動揺もしないでしょう。」
「人が自分自身を、何のわきまえもなく、やたらに愛するという悪徳からして、根本から克服されねばならないほとんどすべての悪が、出てくるのだ。この害悪さえ完全に打ち克たれ、抑えつけられたら、たちどころに、大きな平安と穏やかさがもたらされよう。」
「自分を愛することは、この世のほかのどんな物事よりも、身を害うものだ、ということをわきまえなさい。お前がそれに対してもつ愛や執着のいかんにつれて、あらゆるものは、多かれ少なかれ、お前を虜にするのだ。」
「どのような種類の重い気分であっても、それに心を奪われてはならない。それは、そこから脱出できる望みが完全に断たれたと思い込ませる。」
「『空の空、すべては空。(伝道者の書1:2)』神を愛することと彼のみに仕えることを除いては。」
「ただ神を愛し神に仕えるほかは、すべてみな空である。滅ぶべきものを求めて、現世の生命にだけ心を奪われてはならぬ。そのためには、自分の一生をキリストのそれに合致させるようにしなければならぬ。」
カール・ヒルティ
「キリスト教は不断の幸福を約束しない。しかし、世に勝つ平和を約束している。」
「一切の仕事が神を離れては困難であり、神と共にあれば一切が可能である。」
「人間の力の秘密は、神の道具であるという性質にある。何故なら、全ての永続的な真実の力は神のものであって、人間のものではないからである。」
「神への信頼を失わずに、その試練を切り抜けるならば、他のいかなる道でも達せられないほど、神に近づく事ができる。」
「神に仕えることを自由という。」
「絶対の自由は、ただ神にのみ仕えて他の一切のものには仕えないことである。」
「神が喜ばれるのは、おそらく神へのひたすらな憧れと、神に向かって手をさしのべることだけであろう。」
「いわゆる人間愛は、すべて神に対する強い愛という根底がなければ単なる幻想である。」
「われわれが人生で当面する憎しみの大半は、単に嫉妬か、あるいは辱められた愛にほかならない。」
「神がひとたび人間の意志を所有されるならば、神はその人の中でみずから全てのことを行ない、彼を完全へと導き給う」(聖女カタリナ)。
「キリストが今日この現実の世界に生きておられることは、わたしが生きている以上に確かで、疑う余地がない」(ウィルフレッド・グレンフェル)。
「信仰とは正しい教理をもつことのみではない。生ける神との個人的な交わりである」(ウィリアム・テンプル。カンタベリー大主教)。
「天国への道はそのまま天国である。それは、イエスが『わたしは道である』といわれたからである」(C・アンドリュース)。
ヘレン・ケラー
「一度でも楽しんだことを私たちは決して失うことができません。深く愛したことのすべては、私たちの一部分となるからです。」
「自己憐憫は最悪の敵です。それに自分自身をゆだねれば、この世界で何ひとつ賢明なことはできないでしょう。」
「アザミは土から生い立ち、バラにもとげがあるのなら、どうして人生に試練があってはいけない理由があるでしょうか?それは不思議でも残酷でもありません。試練は、私たちの生命を拡大し、この限られた地上では達成不可能なあの高い天命にそなえて私たちに強さを身につけるよう促す、神の激励なのです。」
「私には、死を直視することを恐れるような貧弱な信仰は理解することができません。死の前でくずおれるような信仰は、頼りがいのないか細いアシにすぎないからです。」
「死ぬってことは一つの部屋から次の部屋へ入っていくのと同じなのよ。でも私には大きな違いがあるの。だって次の部屋では目が見えるんですもの。」
「障害をもって生きることは非常に不便ですが、決して不幸ではありません。神の声が聞けるのですから。」
「盲目であることは、悲しいことです。けれど、目が見えるのに見ようとしないのは、もっと悲しいことです。」
「もしも、この世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。」
「世界を動かすのは、英雄の強く大きなひと押しだけではありません。誠実に仕事をするひとりひとりの小さなひと押しが集まることでも、世界は動くのです。」
「神様という友人に対して素朴に子供のように信頼をささげることはありとあらゆる所からやってくる問題を解決してくれます。」
「幸せの一つの扉が閉じると、別の扉が開く。しかし私達は、閉ざされた扉をいつまでも見ているために、せっかく開かれた扉の方が目に入らないのです。」

マザー・テレサ
「愛は家庭から始まります。私たちがどれだけ何かをしたかではなく、どれだけの愛をその行動に注いだかです。」
「痛みを感じるまで愛しなさい。痛みを越えるまで愛しなさい。」
「愛とは他人の痛みに傷つく心だ。」
「私たちは水路ではなく道具なのです。水路はそれ自身では何も与えません。ただ、水を通すだけなのです。私たちの活動は、神の手に握られた小さな鉛筆です。神が美しく書いてくださいます。」
「みなさんが私たちの仕事を天職と勘違いなさいますが、私たちの天職はイエス様を愛することです。」
「人間の偉大さはその人の愛の偉大さによって決まります。」
「苦しみは、苦しみそれ自体では虚しいもの。しかし、キリストの受難を分かち合う苦しみは素晴らしい神様からの贈物です。人の捧げる最も美しい贈物は、キリストと苦しみを分かつことができること。そうです。それこそ、キリストの愛の贈物であり、愛のしるしです。なぜなら、御父は、御独り子を私たちのために死に渡されることによって、世を愛しておられることを証されたからです。」
「私が死んだ後、神が私よりもっと無知で無能な人をお見つけになったら、その人を通して、より偉大なことをなさることでしょう。なぜなら、今私がしていることは、神がしていらっしゃることなのですから。」
エイブラハム・リンカーン(1809~1865年。アメリカ第16代大統領)
「結局、大切なのはあなたの人生の年月ではなく、その年月の中のあなたの人生である。」
「四十歳を過ぎた者は、自分の顔に責任を持て。」
「悪魔は招かれない処に現われない、紳士である。」
「誰も完全な嘘をつける、完全な頭を持たない。」
「世の大いなる争いに際しては、当事者のいずれもが、神の意志に従って行動しているのだと主張する。つまり、双方ともに間違っていることもありうるが、必ず一方が間違っているわけだ。神が同じことに対して賛成と反対を同時になさるはずはない。」
「あなたが転んでしまったことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ。」
「私は一つの痛切な願いを持っている。それは、私がこの世に住んだがゆえに、少しだけ世の中が良くなったということが確かめられるまで生きたいということだ。」
マーティン・ルーサー・キング(1929~1968年 。米国。牧師。アフリカ系アメリカ人公民運動の指導者)
「私たちは有限の失望を受け入れなければならない、しかし、無限の希望を決して失ってはならない。」
「闇に闇を追い払うことはできない。それができるのは光のみ――憎しみに憎しみを消し去ることはできない。それができるのは愛のみ――。」
「最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。沈黙は、暴力の陰に隠れた同罪者である。」
「本当の人間の価値は、すべてがうまくいって満足しているときではなく、試練に立ち向かい、困難と戦っているときにわかるものだ。」
「そのために死ねる何かを見つけていない男は、生きるのにふさわしくないのではないか。」
「もし道路掃除の仕事があなたに回ってきたとするなら、ミケランジェロが絵を描いたように、一生懸命、道路を掃きなさい。ベートーベンが作曲したように、一生懸命、道路を掃きなさい。シェイクスピアが詩を書いたように、一生懸命、道路を掃きなさい。あなたが一生懸命に道路を掃いた結果、天と地にいるすべての天使たちが働きの手を休め、こう言うようにしなさい。『ここに自分の役割を見事に果たした道路掃除人がいる』と。」
「人は何のために生きているかをいつも考えねばなりません。この問題が解決されるとき、その人は死についてあまり考えなくなります。人生の意義はあなたが人生から逃れることでなく、何を与えるかなのです。これがわかれば人生は豊かになります。」

J・H・ペスタロッチ(1746~1827年。スイス。近代教育の父)。
「人は愛することができるようになるために、教育されねばならない。」
「忍耐心を持たなければならないようでは、教育者としては落第である。愛情と歓びを持たねばならない。」
「人間が互いに愛情を示しあうところ、神は近くにある。」
「家庭よ、汝は道徳上の学校なり。」
トマス・アクィナス
「誰かを愛することは、その人に幸福になってもらいたいと願うことである。」
「あらゆる魂の内には、幸せと生きがいへの渇きがある」
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832年。ドイツの詩人・劇作家・小説家・哲学者・自然科学者・政治家・法律家)
「王様であろうと百姓であろうと、自分の家庭で平和を見出す者が一番幸福な人間である。」
「人は努力するかぎり罪を犯す。」
「人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである」(ドストエフスキー)。
「キリスト教はキリストである」(W・H・グリフィス・トマス。1861~1924年。英国)。
山室軍平(1872~1940年。日本人初の救世軍士官で初代日本国軍司令官。)
「クリスチャンが一つ心になって親しむ様子は、ちょうど石炭をかき集めて火を燃やすようなものだ。石炭はそれを一つずつ離しておけば、火が消えてしまうが、一緒に積み重ねれば、互いに火の勢いを助けて、今まで真っ黒であったものがやがて真っ赤になって燃え出す。」
「さびるよりは、すり減るほうがよい。」
「心は神に、手は人へ。」
「どんな場面に直面しても今は修行中だと思えば、渋柿からもよき教訓を得ることができる。」
「酒と色は、悪魔が人間を陥れる2つの最も大きな落とし穴。」
「死ぬことはちょっと暗い階段を通って明るい見事な二階に上っていくようなもの。」
「私は日本において、使徒行伝を書き続ける。」
ジョージ・ミュラー(1805~1898年。英国。孤児院経営者。牧師。説教者)
「あらゆる事柄において神の側に立つことを学び、しかも幸福であり、正しい歩みをしている限り、よいものが拒まれることはないと知っているのは、なんと尊いことだろう。」
「神にあっては失望などありません。莫大な経費がいる時も、山のような困難も、また、万策つきて行き詰ったようでも、なお、なすべきことがあります。神に望みをおくことです。」
「信仰とは、単なる曖昧な観念ではなく、また、可能性でも、外観の何かでもない。信仰とは、神がみことばのうちに述べられたことが確かであり、神はご自分のみことばのうちで約束された通りに行なわれると、確信することである。」
「困難、限界、妨害、死別、損害などに会った時、私たちはそれに直面するのをひるみます。しかし、これらの事がらを通して、神は私たちを成長させてくださるのです。幼児が運動や栄養によって五体を成長させていくように、逆境を通して、クリスチャンは力強く成長していくのです。」
「祈りと信仰によって、必要なすべての恵み、知恵、そして技能を神からいただくことのできる私たちが、悪いしもべ、悪い商人、悪い主人であるなどということは、決してあってはならない。」
「祈りによって、繰り返し自分の内的腐敗を神の御前に差し出さないなら、どのような人であっても勝利を得られると考えてはならない。」
「聖書と自然の現象は共に神の言葉から出て来ている。神は知られる。その性質はその御業によって、その教理は啓示されたみことばによって」(ガリレオ・ガリレイ)。
アイザック・ニュートン
「いかなる世俗の歴史におけるよりも、聖書の中には、より確かな真理が存する。」
「太陽、惑星、彗星からなる最も美しい系は知性と力ある存在の配慮と支配によってのみ発生しえた。」
「あらゆる物理学的出来事は直接神によっています。背後にあって支えている力がなければ、すべての出来事は起こらないでしょう。しかも神はこの世界に規則的な法則といったものを与えております。自然の出来事はこの法則に従って起こるものであり、科学者はこの事実を発見するにすぎません」(ドナルド・M・マッケイ 1922-1987年。イギリスの理論物理学者) 。
「わたしはこの人生を、主イエスの道筋をたどる永遠への通過点として過ごしている。神のかたちに造られたのに、罪ゆえに卑しくなり、どのように瞑想し、どのように礼拝し、どのような考えるべきかを教えてもらわなくてはならない者として」(ドナルド・コウガン。カンタベリーの大主教)。
フレデリック・ビュークナー(1926年~。米国。作家、神学者)
「荒野ではなおさら、どんな場所でも神を愛せよと命令されるのは、病気の時に元気でいろ、のどが渇いて死にそうな時に歓喜の歌を歌え、足の骨が折れている時に走れ、と命令されるようなものである。それでも、これは第一の偉大な命令である。荒野でさえ――荒野ではとりわけ――あなたは神を愛するものである。」
「人々は、何も見えない暗闇の向こうに大いなる光りがあるという事実以外は、何でも受け入れる用意があります。古い畑を汗水流して耕し続ける準備があります。・・・人々は有利な条件で取引をする神には備えていますが、一日働いても一時間働いても同じ給与をくれる神には備えができていません。彼らはせいぜいイモリの目ほどの大きさの、からし種のような神の国には備えができていますが、鳥が枝にとまってモーツァルトを歌うような、巨大な菩提樹には備えができていません。大教会(第一長老教会)の持ち寄り夕食会に行く準備ができていても、小羊の婚宴の夕食会に行く準備はできていないのではないでしょうか。」
「・・・病気のわが子に『お前がよくなるためには、 何だってするよ。』 と言う。父親のように、 神はついに自分の手のうちを見せたのである。イエス・キリストが神のなしたわざであり、それを行った十字架が 新しい契約のもとでの信仰の中心となる象徴なのである。」
「神は説明しない。神は激情に駆られ、ヨブにわたしを誰と思うのかと尋ねている。ヨブが説明してほしいことを説明するのは、ちっぽけなハマグリにアインシュタインを説明しようとするようなものだと言う。・・・神はその大きな計画をあらわにしない。神はご自身を現すのである。」
フィリップ・ヤンシー(1949年~。米国。著述家。)
「信仰とは、逆転して初めて意味をなすことを前もって信じることである。」
セーレン・キェルケゴール(1813~1855年。デンマーク。哲学者。苗字のキェルケゴールは”教会の庭”の意。)
「クリスチャンを見ると、算数の問題を自分で解かずに問題集の後ろの答えを見たがる生徒を思い出す。」
「結婚したまえ、君は後悔するだろう。 結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。」
「しばらく二人で黙っているといい。 その沈黙に耐えられる関係かどうか。」
ドワイト・ライマン・ムーディー(1837~1899年。米国。大衆伝道者。ムーディー聖書学院創立者)
「この世の人々は、神がご自身に全く委ねた人を通して何をすることがおできになるかを、まだ知っていない。」
ジョン・ニュートン(1725~1807年。英国。牧師。元奴隷船の船長。アメイジング・グレイスの作詞家)
「あなたがキリストをどう思うかという問いは、あなたの今の状態と将来の計画を知るのに良い問題である。もしあなたがキリストを正しく知っていないならば、他のことにおいても正しくはあり得ない。」
「主が送られるものは、すべて必要なものである。主が与えられないものは、すべて不必要なものである。」
レフ・トルストイ(1828~1910年。ロシア。小説家、思想家)
「だれもが人類の人間性を変革することを考える。だが、だれも自分自身を変えることを考えていない。」
「敵を取り除くためには、敵を愛さなければならない。」
「すべての人は、それぞれ何をもっているかではなく、他の人々に愛をもっているかによって生きる。」
オリゲネス(182?~251年。ギリシャ。古代キリスト教最大の教父)
「悪魔とその軍勢が破壊されたのは真実であるのに、神の僕たちに対して悪魔がかくも強力だと、なお信じているのはどういうわけか。」
「高すぎる理想への途上で死ぬほうが、全然出発しないよりはましだ。なぜならその生きた過程はとても充実していたはずだから。」
オズワルド・J・スミス(1889~1986年。カナダ。牧師。伝道者。著述家)
「クリスチャン生活は、内住のキリストを外に表わすことです。キリストが御霊の満たしと力によって内住されるときだけ、あなたの外なる生活はあるべき姿になるのです。」
「かつて私は聖霊を用いようとし、今は聖霊が私を用いてくださる。」
「長い間、私は一つのモットーを採用してきました。それは実に簡単なモットーです。『攻撃せず、防御せず』です。私はこのモットーを他の伝道者に分けて差し上げたことがあります。彼らはそれが実際に通用することを学んだのです。私は個人的に他人を攻撃したことはありません。そして攻撃されても、自分自身で防御したこともありません。私は問題をすべて、神にゆだねるのです。」
ブラザー・ローレンス(本名:ラウレンシオ。1611~1691年。フランス。修道士)
ブラザー・ローレンスは、神への愛のためなら何でもしようとした。彼は臨終にあたって、こう言った。
「私は死んでも自分の仕事を変えるつもりはありません。私は今まで、地上で四十年間神を礼拝してきました。そして天国に着いたら、今していることをそのまま続けるつもりです。」
オズワルド・チェンバーズ(1874~1917年。イギリス。牧師、聖書学校校長、巡回伝道者)
「礼拝とは、神から与えられた最善のものを、神にお返しすることである。」
「私たちが神と一つになるまで、神は私たちを孤独なままで置き去りにされることはない。」
「経験の豊富のいかんを問わず、労をいとわずに、神とともにいる十分な時間を持たないなら、信者が神と正しい関係を保つことは不可能である。たとい他のことはおろそかになっても、神をおろそかにしてはならない。」
ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685~1750年。ドイツ。作曲家。音楽の父)
「音楽の唯一の目的は、神の栄光が現わされ、人の魂が再生されることでなければならない。」
アラン・レッドパス(1907~1989年。英国 牧師、伝道者)
「私たちが今日必要としているのは、もっと多くの真理ではない。すでに知っている真理に服従することである。」
J・I・パッカー(1926年~。英国 牧師、神学者)
「もしあなたが『なぜこのこと、あのことが起ったのですか』と尋ねても、何の光明も見いだせないでしょう。なぜなら、『隠されていることは、私たちの神、主のものである』(申命記29:29)からです。ところが、『私がいる今この場で、どのように神に仕え、栄光を表わすことができるのでしょうか』と尋ねるなら、必ず解答を見いだすのです。」
ロバート・マーレイ・マクシェーン(1813~1843年。英国。牧師、宣教師)
「神の前にひざをかがめるのは人間以外にいません。それが人間であり、それ以上のものではありません。」
レテー・B・カウマン(1870~1960年。米国在日宣教師。)
「人生はダイヤモンドではなく、成長の無限の可能性を秘めた種子である。」
「人生最大の損失は、信仰の喪失です。」
「栄光の冠の最高入札者は、最も卑しい自己犠牲の十字架を担うものである。」(A・J・ゴールドン)
「神と交わる本当の1時間は他のどんなことをする人生よりも尊い。」(ウォータベリー)
「聖書は講壇で朗読するときの速度で読めば創世記1章から黙示録22章まで78時間しかかかりません。」(G・キャンベル・モルガン)
マックス・ルケード(1955年~ 米国 牧師、ベストセラー作家)
「信仰とは、あなたが求めていることを神がしてくださると信じることではない。信仰とは、神が正しいことをしてくださると信じることだ。」
「信仰とは、神がこの人生についてぼくたちよもよくご存知で、ぼくたちが生き抜けるように助けてくださると確信することなのだ。」
「神は、ご自分のひとり子を見捨てても、あなたを見放すことはない。」
「十字架につけられる前夜、イエスは心を決められた。主はあなたのために地獄に行くことさえ願われたのだ。あなたのいない天国に行くくらいなら、と・・・。」
「あなたの目はあなたの過ちを見る。あなたの信仰は、あなたの救い主を見る。あなたの目はあなたの罪を見る。あなたの信仰は、主の血を見る。」
アンドリュー・マーレー(1829~1917年 南アフリカ 牧師・伝道者)
「ああ、魂が滅びつつあるというのに、私は何と安楽に、満足して生活していることだろうか。キリストが罪人たちのために涙を流し、同情されたと同じ感情を、私は何と少ししか感じることができなかったのだろうか。私たちの心に、休むことができないほどに魂への愛が満ち溢れていたならば、私たちは、今の私たちとは非常に違った存在になったであろう。」
「謙遜とは完全な心の静けさを意味する。これには、いらだちや痛みや失望がない。それは何も期待しないし、自分になされたことをいぶかしくも思わない。だれも自分をほめてくれなくても、あるいはさげすまれ、非難されても、安んじている。」
エミー・カーマイケル(1868~1951年 インド宣教師)
「愛なしに与えることはできますが、与えることなしに愛することはできません。」
「宣教師の生活とは、単的に言うなら、死ぬことです。」

三浦綾子(1922~1999年 作家)
「私にはまだ死ぬという大切な仕事がある。」
「悪いということがわからなことが罪なんだ。」
「『死ぬよりほかに道がない』などと考えるのは、いかに人間が傲慢であるかということの証左である。道は幾つもある。生きようとする時、必ず道はひらけるのだ。」
「わたしたちひとりひとりの命はかけがえのないものだ。そのかけがえのない命を、生かされるままに、せいいっぱいに生きて行くすなおさをわたしは持ちたいと思っている。」
「自分だけが中心の生活をしていると、自分だけに太陽の光が注ぐことを望むような、けちな根性になるのではないか。そして、それはそれだけの貧しい人生でしかない。豊かな人生、それは相手のことも思うことの出来る人生である。」
「もし、わたしが、家庭とは何かと尋ねられたとしたら、『家庭とは、愛を学ぶ学校である』ということになるであろうか。」
「やさしさとは、相手の身になって考えると共に、そのやさしさを意志によって持続することにあると思う。意志と知性に支えられないやさしさは、それはいわば、気まぐれであって、真のやさしさではない。」
「お互いはお互いの鏡です。こちらが冷たい顔をすれば、相手も敏感に感じて冷たくなります。心のそこからにっこり笑えば、相手もそのあたたかさに感じて、微笑みを返します。よほどのへそ曲がりでない限り、人間というものは、そのように反応し合うものだと、わたしは思います。」
「『使命』という字は、命を使うと書くと聞いた。なるほど、使命とは命を使うことか。味わい深い言葉なり。一本の花が命の限りに咲いている。それもまた使命を果たしているということ。その人なりにひたすらに生きる、美しいことだ。」
「人間、怒ることはやさしい。だが、相手の謝罪を受け入れるということは、そう簡単にできないものだ。その証拠に、私たちは人を怒って苦しむよりも、人を許せなくて苦しむことのほうが多いのではないかと思う。」
「誰にとっても、現在の自分自身が、たまらなくいやになることがある。しかしそれが、永遠に変わらぬ自分の姿とは、いい切れないのだ。」
「言葉を交わすことによって私たちは、勇気づけられ、慰められ、喜びを与えられます。と、同時に、人を傷つけ、見下すという愚かな過失も犯します。言葉は人間の運命をも変えるほどの大きなものです。」

リチャード・バクスター(1615~1691年 英国 牧師 ミスター・ピューリタン)
「私はもう二度と語ることがないつもりで説教した。死んで行く者が死につつある人たちに語るように。」
ニュッサのグレゴリオス(335年頃~394年以降、神学者)
「キリストによって人間が救われるということはどういうことなのか。それは人間が神とともに働き、そして最初の人間アダムの堕罪以前の状態すなわち恩寵に満たされ、何らの不足も不満も不安もない、そして神とともにあたかもその友となって暮していた状態、神の友となるという状態への回帰です。まさに神の友である以上、もはやこの世の何者をもその心の主とする必要もない。したがってだれの手下でもないということ、それゆえ、本当に自主的であるという状態です。」
ラビ・ゼカリアス(1946年~ 哲学者、弁証論者、伝道者)
「信仰とは、イエス・キリストというお方と、そのお方の力に信頼を置くことである。それゆえ、そのお方の力が私の願いとは違った方向に働いたとしても、そのお方への信頼が揺らぐことはない。なぜなら、信仰とはそのお方の人格への信頼であるからだ。」
カール・ルイス(1961年~ 米国 元陸上選手)
「オリンピック・メダルの喜びも、イエス様との信頼関係の前には色褪せる。陸上の記録など、すべての地上の出来事と同じように、消え去るものだ。しかしイエス様との関係は消滅しない」
パトリック・ヘンリー(1736~1799年 米国 弁護士、政治家)
「私は全財産を家族に分け与えた。しかし、どうしても与えたいものがもう1つ残っている。それはキリストを信じる信仰である。たとい彼らに1シリングも与えなくても、彼らが信仰を持っているなら、彼らはすでに富める者なのだ。だが、もし信仰がないとするなら、世界のすべてを与えても、彼らは全く貧しい。」(パトリック・ヘンリーの遺書より)
ジョン・R・W・ストット(1921年~ 英国国教会司祭 世界的神学者)
「あなたは、一瞬のうちに、完全になることはできません。その瞬間、あなたはクリスチャンになりますが、成熟したクリスチャンになりません。キリストがあなたの心にはいり、あなたをきよめ、ゆるすことは、まさに一瞬のうちになされますが、あなたの品性が、キリストの意志に従って変革、形成されるのには、一生かかるかもしれません。」
キーツ・L・ブルックス
「謙遜とは、ただ単に自分を価値の低い者であると考えることではない。自分のことを全然考えず、キリストのことのみを真に深く考えることである。」
「人は、無理に平穏な気持ちを持つことができないのと同じように、汚れた心を聖なる心へときよめることはできない。心をきよく保つには、聖霊の支配のもとに、それをゆだねなければならない。そうすれば、汚れた事がらを避けることができる。もしあなたの心をきよく保ちたいならば、このことを守りなさい。そして、神のみことばのきよい真理で心を満たしなさい。」
「人間が持っている最もすぐれた能力の一つは、事実をそのまま表現できることである。ある事について、その正確な長さ、広さ、相互関係、意味などを理解すること、そして、それらを正確に言葉で表現することは、すばらしく均斉のとれた人間の理性の特徴である。ただし、それは聖霊によってのみ与えられるものである。」
「きよいクリスチャン生活 それは数多くの小さな事がらから成り立つ 雄弁な説教ではなく、ちょっとした言葉 勝利の奇跡ではなく、ちょっとした行為・・・ ささいな悪事、ふとした気まぐれ わずかな弱点、小さな愚行と放縦・・・ これらを避けること それがきよい生活の美をつくりあげるのだ。」(アンドリュー・ボナー)
「初代教会のクリスチャンたちは、彼らの苦難が無限の恵みによって報われることを知っていた。・・・彼らは屈辱を受けるに値する者とされた時、喜びに満たされた。しかし私たち――なまぬるいたましい――は、何も苦しもうとはしない。その理由は、私たちが自分を支える希望を持っていないからである。私たちは、一番軽い十字架でさえも負う力がなく、自己の誇りが生み出す愚劣さと弱さにさえひざを屈する。」(フランシス・フェネロン)
「有益であること、啓示されること、そして御霊に満たされた生活の鍵は、神のみことばに対する従順である。」(ジョン・G・ミッッチェル)
「神の力にとって大きすぎるものはなく、神の愛にとって小さすぎるものはない。」(ジョナサン・ゴーフォース夫人)
「私が今までに考えた最も重要なことは、神に対する私の個人的責任ということである。」(ダニエル・ウェブスター)
「心に聖霊を、手に聖書を持っている人は、必要なものすべてを持っている。」(アレクサンダー・マクラーレン)
「一度限りの完全な満たしなどというものはない。イエス・キリストご自身からのやむことのない供給を絶えず自分のものとしていくこと、すなわち、刻一刻救い主に信頼し、瞬間瞬間きよめられ、満たされていくこと、それが満たしである。」(チャールズ・インウッド)
「悪魔とともに1マイル歩いた多くの人は、初めは決して2マイル行くつもりではなかった。しかし、いったん悪魔とともに歩くと、彼から離れることができなくなってしまった。」(ウィリアム・ガーナル)
国際ナビゲーター
「神は、私たちを取り扱われるすべての面で、私たちのために働いておられる。私たちが繁栄するときには、主は私たちの感謝をためされ、平穏なときには、私たちの満足を、不運にあっては、私たちの従順さを試みられる。また人生のやみの中にあるとき、そしてどのようなときでも、主は私たちの従順さと主に対する信頼をためされる。」
「私たちが神の約束に信頼して生活するように、神はときどきご自身の目的を隠されます。その理由を探ろうとしたり、未来を恐れたりしてはなりません。神の約束は、彼が支配しておられることを私たちが確信するのに十分なのです。」
「悪魔は神のみことばに対して疑いを起こさせ、御子の信用を傷つけることをいつも仕事にしている。」
「サタンは最善のものを約束し、最悪のものを支払う。彼は生まれながらの偽り者である。愚かなものは彼に欺かれる。約束された冠は首吊りの縄となり、安らぎは苦悩に変わり、誉れは恥となり、天国は地獄となる。」
「安全は危険がないことによって確かにされるのではなく、主がおられることによって、初めて確かにされる。」
「誘惑に負けないようにと祈りながら、しかもなお誘惑に身を任せることは、指を火に突っ込みながら、火傷をしないようと願っているようなものである。」
「クリスチャンが間違った場所にいるとき、彼のいるべき正しい場所はからになっている。」
「聖書について無知な者は、キリストについても無知である。」
「私たちの多くは、自分の足で宣教の働き場に出て行くことはできない。しかし、私たちはひざまずくことによって働き場に行くことができる。充実した永続性のある宣教の働きは、ささげられた祈りによって――それが中国からであろうと、インドからであろうと、または、アメリカからであろうとにかかわらず―完遂されるのである。」
「もし、ソクラテスが部屋にはいって来たら、私たちは、みな立ち上がって、彼に敬意を表するであろう。しかし、もし、イエス・キリストが部屋にはいって来たなら、私たちはひれ伏して、彼を拝するであろう。」
「キリストを知ることは、貧しい者を富ませ、キリストを知らないことは、最も富める者をも貧しくする。」「宇宙の保持者であられるキリストに、私たちの心の保持者としての地位をも与えるべきである。」
「自分がなす行ないと、語ることばによって、あなたは福音を、毎日1章ずつ書いていく。それがゆがめられたものであっても、あるいは、真実であっても、人々は、あなたが書いた福音を読む。あなたの福音は、どのようなものであろうか。」
「クリスチャンにとって、キリストとの交わりは、潜水夫に対する空気のようなものである。彼がどんなに誠実であり、経験に富んでいても、これなしには彼は全く役に立たない。」
「従順なクリスチャンは、その心を通してキリストが考え、その生活を通してキリストがご自身を現わし、その口を通してキリストが語り、その手を通してキリストが他の人を助ける。」
「罪は禁じられているから悪いのではなく、悪いから禁じてられているのである。」(ベンジャミン・フランクリン)
「あなたの理性を弱め、良心の敏感さをそこね、神についての意識をぼやけさせるもの、あるいは霊的事がらを味気なくしてしまうもの、つまり、精神よりも肉体の力や権威を強めるものはすべて罪です。」(スザンナ・ウェスレー)
「小さい罪というものはない。それは神に抵抗するものであり、測りがたい、恐ろしい結果を招くかもしれないものである。時計の精密な内部構造にとっては、砂の一粒でも小さくはないのと同じように。」(ジェレミー・テーラー)
「耳でだけ説教を聞くより この目で説教を見たい ただ正しい道を教えるだけの人より 正しい道をともに歩く人がほしい そして、 何にもまして望ましいのは 説教者たちが彼らの信条どおりに歩むことだ なぜなら、 だれもが必要としているのは 正しいことが実行されているのを見ることだから」(エドガー・A・ゲスト)
「キリストの王国に関係のあるもの以外に、私が持っているどのようなものにも価値を認めない。もし私の持っているものが御国の益になるなら、神の栄光を増し加えるために、それを人に与えるか自分の手に持っているであろう。私のすべての望みは、今も、そして永遠に至るまでも、神にかかっているからである。」(デーヴィド・リヴィングストン)
「キリストがおられない心は、収穫の場、キリストがおられる心は、働き人である。」(デック・ヒルズ)
「キリストを口であかししないこと、これほど大きな過ちはない。」(ヘンリー・クレイ・トランバル)
「キリスト教を頭に詰め込むのは容易だが、心にまで到達させるのは困難である。」(バリー・セントクレア)
A・T・ピアソン(1837-1911年 米国 牧師 宣教師)
「History is His story(歴史は彼=神の物語)」
植村正久(1857-1925年 牧師)
「いまだかつてキリストのごとく語りしものなし。」
チャールズ・スウィンドル
「神は人間が作った時計の奴隷ではない。」
「与える時ほど、私たちが神に似た者となる時はありません。『神は、実にそのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された』のですから。」
ピーター・マーシャル(1902-1949年 スコットランド出身の米国人牧師 米国合衆国上院チャプレンも務める)
「困難のない人生に憧れる時は思い出すのです。樫の木は向かい風によって強く育ち、ダイヤモンドは高い圧力によって生まれることを。」
「人生の価値は、その長さではなく、どれだけ人のためになったかで決まる。」

バークレー・バックストン(1860-1946年 英国 宣教師、牧師、神学校教師 日本伝道隊の創立者であり、関西聖書神学校ならびにイエスキリスト教団の礎を築いた )
「本当の礼拝は、神がすべてのすべて(All in all)になること。人間は無きがごとき者(Nothing)なることを感じ神を拝すること。」

ウィリアム・ケアリ(1761-1834年 英国 宣教師 近代海外宣教の父)
「神から大いなることを期待して、神のために大いなることを企てよ。」

ジョン・R・モット(1865-1955 米国 YMCA指導者、ノーベル平和賞受賞者)
「あなたは、自分のために偉大なことを求めているのではないですか? それはやめなさい。まず神の国を求めなさい。」(ジョン・モットの生涯を決定付けたC・T・スタッドの言葉)
「愛と創造力に満ちたもう主、偉大なご計画を持ちたまいます。それゆえ私たちはあえて冒険をし、前を見つめて前進しなければなりません。」
「キリストの生涯、み業とみ言葉の記録を本気で学ぶとき、キリストはリアルになります。その人がどんな人であるかを知って初めて、その人はリアルになるからです。」
「キリストに従うということは、主の意志と支配に、絶対的に身を投げ出すことを意味します。私たちは、無条件に、完全に、私たちを明け渡すことです。あるフランスの作家が言ったように、『神にわれわれを導かないと感じる一切を、心において拒否する』ことです。」
マーティン・ロイドジョンズ
「何事かを試みて失敗する者と、何事も試みないで成功する者との間には、計り知れない相違がある。」
「クリスチャン生活を送ることが『歩む』ということばで表現されていることには、深い意味がある。『歩む』ということは、行動すること、動くことまた前進することを示唆している。」

A・B・シンプソン
「ゆだねるとは、引き渡すこと、他の人に全面的に委託することを意味する。もし私たちが自分の試練を神にゆだねるなら、神はその試練を担ってくださるのである。…そこには二つの御手がある。私たちを押し下げへりくだらせる神の御手と、私たちを引き上げる神の御手である。」

ジョージ・B・ダンカン
「キリストの要求される明け渡しは、私たちの生涯をだめにするような過酷なものではない。私たちが求めても、しばしばそれを見出せない幸福へ私たちを導くように企てられた、愛に満ちた、賢明なものである。」

レーナ・マリア
「一番危険なのは、自分をあわれむ気持ちに陥ることだと思います。」
「私が生きるのに必要な力や喜びは、すべて神様が与えて下さることがわかったので、『私には乏しいことがない(聖書・詩篇23篇)』のです。」

コーネリアス・ヴァン・ティル
「聖書が教える神の御旨とは、世界のあらゆる領域を、キリスト礼拝の場と変えることである。」

ジョン・パイパー
「神が私たちにおいて最も大きなご栄光をお受けになるのは、私たちが神において最も満ち足りているときである。」

マシュー・ヘンリー
「自分の最後の日に備えることを、日々の仕事にするべきだ。」

ジョン・バニヤン(1628-1688 英国の牧師、文学者 著書『天路歴程』)
「あなたが神のためにする良いことは何でも、それがみことばに沿って行われるのなら、あなたのために宝として金庫の中にたくわえられ、人々と御使いの前で、あなたの永遠の慰めのために、報いとして与えられるのである。」

ジョン・D・ロックフェラー
「世界で最も貧しい人は金以外の何も持っていない人である。」
「何百万もの富を築いたが、私はそれで幸せを得ることはなかった。」
「私のお金を稼ぐ才能は、神様から頂いた賜物であると信じています。このような素晴らしい神様の賜物を受けているのですから、お金を稼いでそれをまた増やして得たお金を、主のみこころに従って用いることが私の使命であると考えているのです。」

A・J・ゴールドン
「栄光の冠の入札者は、最も卑しい自己犠牲の十字架を担うものである。」

チャック・スミス
「もし私たちの神との関係が、私たちの義や善によっていたなら、私たちは決して成功することはできない。」
「努力や行ないという土台の上に神との関係を持とうとすることは、常に苦闘を意味する。私たちは神の恵みを体験するまで、神の平安を知ることはできない。」
「我々の行動は、我々の信じているものと調和がとれなくてはならない。信念とは、単に私たちが口で言うことではなく、私たちがする行動によって現されるものである。」
「私たちの思いは、御霊に従って生きるか、肉の欲求に従って歩むかを決断する戦場である。」
「御霊によって歩むとは、私たちが意図的に、常に神を自分の友、道連れとすることを意味する。」
「人を喜ばせるよりも神を喜ばせる方がはるかにたやすいことだ。神を喜ばせるにはただ神を信じ、神を信頼すればいい。それが恵みの福音である。」
「キリストにあって一つであることから喜びは、世や肉が与えることのできる何ものにもはるかに優っている。」
ウィリアム・ラルフ・イング(英国の神学者)
「心配は、それがやってくる前に支払われるトラブルの利子である。」
Jesus Says
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