5 MGF集会案内(Service Times)

 
 
 

1abu192.gif 以下の集会スケジュールは変更される場合もありますので、

MGFの教会スケジュール・カレンダーにて確認してください。

またはメールや電話で直接牧仕まで。どうぞご遠慮なくお問い合わせください。1abu192.gif

 

 

 このような礼拝をささげたいのです。


 1. 上手ではなくても、感激と喜びの賛美をささげたいのです。

 2. たどたどしく、また前後の文脈が合わなくても、主の御前で頭も上げられずに胸を打った取税人や遊女の祈りがある礼拝をささげたいのです。

 3. 美しい壁画や生け花もなく、馬小屋のような匂いがし、椅子が壊れて座るところがなくても、全てを感謝すると告白する、謙遜な人々の礼拝をささげたいのです。

 4. 驕慢な人の虚栄心を楽しませるだけの、人の知識と技巧をこらした説教ではなく、いのちをかけて主の御前に出て、聖なるみことばを肝に銘じ胸に刻み、涙をもって叫んだ昔の預言者たちの声を聞きたいです。

 5. 高慢な心の飾り物であるかのような献金の代わりに、心からささげたやめものレプタ銅貨二つのような礼拝をささげたいのです。

 6. 自分の宗教的な義に酔って、主を疎外するパリサイ人の供え物ではなく、霊とまことでささげる聖なる供え物をささげたいのです。

 7. 説教の時間が10分でも長くなると、退屈になる礼拝ではなく、主のみことばに全ての人格が魅了され、主の足元を離れなかったマリヤのような礼拝をささげたいのです。

 8. 主の栄光が現れ、人間の汚れを溶かし、主により新たに生まれ変わる礼拝をささげたいのです。

 9. 私たち同士がお互いに手を打っている瞬間にも、外で涙を流しながら立っておられるイエスの御前に出て、主の涙の御前にひざまずく、そのような礼拝をささげたいのです。

 10. 祝祷が終わった途端、いち早く逃げるように去ってしまうコンサートのような礼拝ではなく、礼拝が終わってしまったことが惜しく席を立つことが出来ないまま、主の御前に立ちつくすヨシュアのような礼拝をささげたいのです。


『礼拝革命 生きる神と出会うために』(趙建會著)より



「『こういう礼拝の仕方はわたしの好みに合うだろうか』というような問い方は絶対にいけないのであって、むしろ、次のように問いかけを行なうべきなのである。

『この教会の教義は真実だろうか。ここには神聖さがみなぎっているだろうか。わたしの良心がわたしをこの教会へと押しやっていると言えるだろうか。

この教会の門を叩きたくない気がするのは、わたしの傲慢のせいなのか。それとも単なる趣味の問題か。

あるいはまた、この門番の顔が気にくわぬというだけのことなのか。』」(C・S・ルイス)



礼拝は神の価値を宣言すること、神の性質をほめたたえること、神のみわざに捕らえられ、驚嘆すること。





◉重要【夜の礼拝時間は月毎に変動します】(詩篇連続講解説教中)

「聖日礼拝は一年に52回めぐってくる春である。」(英国の詩人 サミュエル・テイラー・コールリッジ)

2017年はなんと53回もある❗️


★【10月礼拝スケジュール】

10月 1日(日) *午前10時30分〜 (聖餐式)

10月 8日(日) *午前10時30分〜 (10月誕生会) 

10月15日(日) *午前10時30分〜 

10月22日(日) *午前10時30分〜 

10月29日(日) *午前10時30分〜  / 午後7時〜

          

※夜礼拝に関しては毎月時間の変動があります。




「私は教会に通えば通うほどイエスとイエスのことばをより一層信じるに至り、
またイエスに導いていただくことによって私は今一切の重圧から解放されているように感じる。」
「だれでも、経験と能力のある指導者の指導を必要としています。自分で自分を訓練することなどできないからです。
キリスト教についてもそれと同じです。教会は、たましいを訓練する道場のようなものです。」(シルベスター・スタローン)

偽善者たちがいるからという理由で教会に行かないのは、体型の崩れた人たちがいるからという理由でジムに行かないのと同じだ。

「教会は弟子たちが1週間に1度通うところではない。教会は弟子たちが作られる場所である。」(マイケルー・ホートン)



「礼拝出席は、豊富で健康な血の輸血が病人に欠かせないように(キリストの)弟子にとっては絶対不可欠である。」(ドワイト・ムーディー



シカゴの有名な人が、D・L・ムーディーを自分の部屋に迎えた時、「教会の外にいても、その中にいるのと同じように、立派なキリスト者になれると思うのですが」と語った。するとムーディーは暖炉の側に行き、真赤な石炭を1個火箸でつまみ出し、燃えるままにして置いた。二人は黙ってその石炭がくすぶるのを眺めていたという。そしてその紳士は「わかりました」と言い、次の日曜日には教会に出かけたという。

「本来、教会は楽しみを供給したり、弱さを励ましたり、自尊心を育てたり、友情を育んだりする場所ではなく、礼拝する所である。
この点で失敗するなら、その教会は失敗である。」(フィリップ・ヤンシー)

礼拝とは「驚きと愛と賛美に我を忘れること」(チャールズ・ウェスレー)

礼拝とは「回心する前には感じなかった何かを心で感じる事、それを何かの形で表明する事です。
そして、それは古くから神秘でありたもう方の御前で、讃美に満ちた恐れを感じ、
例えようも無い驚きに打たれ、心を揺り動かす愛に圧倒される事です。
その時の、遜(へりくだ)りつつ、尚抑え切れない喜びです。」(A・W・トウザー)

「礼拝は、私たちが自分のことに夢中になっているのをさえぎり、神の御前に出てゆくための戦略である。
礼拝は、自分たちを意図的に神の御前に出て行かせる時間と空間であるーー神が時間と空間に閉じ込められているからではなく、
私たちの自己過大視が油断ならぬほど見境ないものなので、意図して規則的に自分たちをさえぎりようにしないと、
他の時、他の場所で神の御前に出てゆくチャンスを全くなくしてしまうからである。」(ユージン・ピーターソン)

「礼拝は教会の呼吸、教会生活の魂、その伝道任務の燃え立つ炎のようなものであって、石造りの祭壇で行なわれるべきでなく、
人々の心という生きた祭壇で行なわれねばならない。」(アンリ・ジェニー)

YouTube 動画


「礼拝がキリスト教共同体を形成する中心である理由の一つは、礼拝の中で共同体の全員が出会い、その関心が一つに結びつくからである。」
(W・ウィリモン)

「キリスト教礼拝とは、イエス・キリストを中心として行なわれる、神と神の民との公かつ共同の、出会いと交わりの出来事である。」
(越川弘英)

「礼拝は本質的に応答である。
まさに神の恵みの『言葉』に対する、すなわち、神がわたしたち人間とその救いのためになしたもうたことに対する応答にほかならない。」
(レイモンド・アバ)

「礼拝とは、主イエス・キリストに出会うことである。」(車田秋次)

礼拝は、「聖書に示された神と神の民である教会とが公に全体として会見すること」(キリスト教礼拝辞典)

「もし、人々が神に触れていただくことのないまま礼拝を終えるとしたら、いったい、何のために集まったのか。
神にまみゆることもなく、人生を変え得る力と愛に満ちたお方を経験しもしないのに、それを礼拝と呼ぶのか。」(ジム・シンバラ)


 


 合同賛美の時間のあとに「キッズ・チャペル」(幼児~小学生まで)があります。
日曜礼拝後の食事は無料です。
cup of tea   animation 礼拝後はTea Time(茶話会)と交わりの自由時間があります(不定期にアフター・グローもあります)。chocolate cakes   animation


 
聖餐式:(日曜日の礼拝以外にも毎週水曜日と金曜日の夜のバイブル・スタディーにも聖餐式があります)。

「不信仰の者は祈り、聖餐を受けるべきでしょうか。その通りである。求めよ。そうすれば与えられる。
もしあなたがキリストが罪深い、助けようのない信仰者の為に亡くなられたことを知っているならば、パンを食し、杯から飲みなさい。」
(ジョン・ウェスレー)

「聖餐式は私たちの信仰の弱さを補うために備えられたものである。」(ジャン・カルヴァン)

「聖餐から遠ざかっている者はキリスト者ではない。」(マルティン・ルター)

第二次大戦で何千人というクリスチャンがヒットラーの捕虜収容所で苦しみを受けたが、その一人にマルチン・ニュオミュラーというユダヤ系ドイツ人がいた。彼は独房につながれていたが、あるクリスマスの日に、独房から出され、三人のクリスチャンがいる部屋に放り込まれた。その三人の一人はサルベーション・アーミー、一人はペンテコステ系、一人はメソジストであった。ニュオミューラー自身はドイツのフリー・エバンジェリカル・チャーチ出身であった。その部屋に放置されていた空襲で焼け焦げたドアーをテーブルにし、四人はその日あてがわれた干からびた黒パンと水をその上に載せ、四人で聖餐式を祝う。ニュオミューラーは「私たちが向き合って冷たい床にひざまずいたとき、私たちの教義の違いは完全に消え去った。」と書いている。

 



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 MGFでは(現在不定期ながら)日曜礼拝後、「ポットラック・ディナー」を催している。「ポットラック」とは、あり合わせの料理を持ち寄って行なう会食のこと。米国では教会行事として始まり、一般のコミュニティーでも親睦を図るための手段として定着した。州によってはポットラックに関する条例もあるほどだ。
 
 英語のpotluckは、pot(鍋)luck(巡り合せ・幸運)の複合語である。持ち寄ったpot(鍋)の中にどんなluck(巡り合せ)の料理が詰まっているか楽しみである。もし自分の好物があればluck(幸運)だ。したがってポットラックのメインディッシュは本来、鍋料理である。
 
 ポットラックの米国起源説を唱える人は、「ポットレッチ」という米国北西部太平洋沿岸に住むインディアンの冬の祭りにおける贈物の分配の儀式が元になったと考える。
 
 一方で、英国起源説の提唱者は、「ポットラック」という言葉が1592年(文禄の役=秀吉が朝鮮に出兵した年)の英国の文献に初めて言及されている点を主張する。そこには、“ポトフ”(牛肉の塊と野菜に香草の束等を加えて長時間に煮込んだフランスの家庭料理で、汁はスープとして、具はからしを添えて食べる)に似た料理を“ビュッフェ式”(各自が取って食べるセルフサービス式食事)で食べるようなものと説明される。当時の貧しい農家では、夕食の調達もままならず、その時々、たまたま家にある食材をまとめて鍋で調理し、残り物を暖め直して何日も食べた。正に巡り合せの食事であった。
 
 しかし、教会のポットラックに関してはエルサレム起源が定説である。AD32年5~6月、エルサレムに初めて教会が誕生した。この初代教会は「毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた・・・」(使徒2:46,47)彼らは毎日、信者の家に集い、神の家族として会食した。それは後に「愛餐」(ユダ12)と呼ばれる。
 
 愛餐の原語は自己犠牲的、非打算的な愛を意味するアガペーの複数形“アガパイ”である。したがって、原意は“愛を食べること”。愛餐は、キリストの愛を食卓において分かち合い、互いの愛と一致を確認すると共に外部に証するものであった。裕福な信者らが備えた持ち寄りの食事を、身分や貧富の差、文化の違いを越えて一家族として鍋をつつく。それは単なる親睦の会食に留まらず、教会内の社会的弱者に配給する福祉活動も伴った(使徒6:1,2)。施しの精神は敬虔なユダヤ人信者の影響を受けた(エペソ4:28)
 
 教会草創期は、愛餐と聖餐式はセットで行なわれていた(Ⅰコリント11:17~34)。時折、愛餐が単なる宴会騒ぎと化して、聖餐を軽んじる問題も生じたが、使徒たちにより厳しく戒められ、愛餐の習慣は連綿と受け継がれた。
 
1~2Cの使徒教父文書によれば、愛餐は食事と共に貧者や孤児、病人や囚人等の為の義援金集め、聖書朗読、祈祷等が含まれる重要な教会活動であった。ところが、迫害期にローマ帝国の官憲から政治的秘密結社の集りという嫌疑で弾圧され、4Cには愛餐の習慣は教会から途絶えてしまう。愛餐の消滅は主イエスとの親密な交わりの喪失を意味した。
 
 教会の戸の外に追いやられた主の言葉は傾聴に値する。
 
見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする」(黙示録3:20)
 
主は罪人と喜んで食事を共にし、弟子たちとの食事を楽しまれた。主はポトラックを愛されたのだ。食卓の団欒は主と教会の一致の手助けをする。ポットラックの真の目的が主イエスの臨在を共に味わうものならば、それは確かに礼拝の一部であると言えよう。
 

  
 

「神がまずみことばを通して人に信仰を与えられたのであるから、
それから後も神はまたみことばを通して信仰を働かせ、増し加え、固くし、完成してくださる。
それゆえ最高の神礼拝、安息日の中の安息日は、自らを信仰において鍛え、
みことばに関わり、みことばを聞くことである。」
「キリスト者の会衆は、どんなに短くても神のことばが説教され、祈りがささげられるのでなければ、
集まるべきではない。」
(マルティン・ルター)

「神の言葉が真摯に語られ、聴かれるところに主の教会がある。」(ジャン・カルヴァン)
 
「真の説教があれば人々は必ず礼拝に来る」 
「『退屈な説教』は言葉からして矛盾している。もし退屈させるなら彼は説教者ではない。」
「ある人は、自分が神について話をし、神を信じると告げ、時たま礼拝に行くからといって、 
自分は神を敬う人間だと考えている。
だが、本当は何らかの地上的な事物のために生きている。そうした人の暗さはどんなであろう!」
「会衆と説教者が神の御手の中にあって一つとなっている。これが説教である。
どうか神が私たちにこのような説教を行わせ、経験させてくださるように。」 
(D・M・ロイドジョンズ)

「実は、教会を成長させることはとても簡単なことです。人々の興味を神のことばに向けさえすればよいのです。
そして、人々の関心を祈りに向けるのです。彼らが互いにつき合うように促し、聖餐式に参加するように促すのです。
そうすれば、主が日々救われる人々を群れに加えてくださるでしょう。」(チャック・スミス) 
 
 



 



「生徒は米飯を食すべからず。ただし、らいすかれいはこの限りにあらず。」(クラーク博士)
  

日曜日の朝
 神との出会いを守るため 
 集まってくる人たちへ。
 誘いの声に惑わされ、世の荒波に傷つき、
 本当は問題にならぬ問題に心を痛めながらも、
 彼らはやってくる。
 はっきりと語りかける神の御声を聞こうとして。
 現在、彼らに奉仕している人たちへ。
 将来、そうするであろう人たちへ。

 ハッドン・ロビンソン



「天においては、日曜日の朝も、水曜日の午後も同じです。神は仕事場でも教会においても同じく語り、
聖餐式の時も夕食の席でも神をたたえることを望んでおられる。」(マックス・ルケード)

目指すは日曜礼拝ではなく日常礼拝

「新約では日々が安息日となり、時の区別がない。」(マルティン・ルター)

「日曜クリスチャンというのがある。日曜日になると彼らはいそいそと教会に出て来る。そして、ある人は夜おそくまで教会にとどまり、さまざまな奉仕に励む。教会学校の教師、礼拝の準備、聖歌隊の奉仕、礼拝の後始末、午後の交わり、夕方の礼拝等々、これらのことを一つ一つなし終えて彼は家に帰る。人々は彼をすばらしいクリスチャンと賞賛する。だが、これだけで彼は立派なクリスチャンと言えるのだろうか。月曜日から始まる彼のこの世の生活は神には関係のないものなのだろうか。神はただ教会におけるわれわれの奉仕ぶりだけに目を注いでおられるのであろうか。」(榎本保郎)





「人々は奉仕を大きく重んじるが、礼拝を小さいことと思う。
私たちの周りには多くのマルタが騒いでいるがマリヤは捜しにくい。
私たちは絶望的にプログラム化された時代に生きている。」
(ジョン・マッカーサー・ジュニア 1939年~ 米国の牧師)
 
「礼拝とは私たちの本性すべてを神に従わせることである。
神の聖さによって良心を再生させること、神の真実で精神を養うこと、
神の美しさによって想像力を浄化すること、心を神の愛に向かって開くこと、意志をみこころに屈服させること
――これらすべてを集めて讃美を捧げることです。讃美は私たちの本性ができる無私の情動だから。」
(ウィリアム・テンプル 1881~1944年 カンタベリー大主教)

「礼拝とは、私たちを限りなく愛しておられる神様が、罪深い私たちを迎えて、受け入れてくださるときです。
 礼拝とは、私たちを創造され、贖ってくださった神に、私たちの日々の糧を与えて、守り導いてくださる神を賛美し、感謝するときです。
 礼拝とは、聖なる神に、それでいて限りなく低く下ってくださる神の愛に、感動して心をふるわせるときです。
 礼拝とは、私たちのたましいが本来属する神の懐に帰るときです。
 礼拝とは、この世の価値観、この世の評価、この世の欲にとらわれた私たちが、方向転換をして神の御心を求めるときです。」
 (藤本満 インマヌエル高津教会牧師)







「わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに・・・」(ピリピ3:8 口語訳)

イエス・キリストを知ることを私たちは忘れてはならない。
「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」とイエスは言われた。
何億円金ができたとか、どれだけ事業が大きくなったとかいうようなことは、考えれば小さなことである。
パウロはイエスを知る知識の絶大な価値が、この世の比較を絶するものであることを知った。
だから、いっさいのことを損と思うようになった。  
榎本保郎

 
 
 
牧仕が、聖書各書を連続講解・注解スタイルで1節ずつ、1語ずつ懇切丁寧にたっぷり教えます。他教会の会員でも、無所属でも、クリスチャンでない方でも、聖書の学びを通してイエス・キリストを個人的に知りたい方に開かれた集会です。飛び入りも、単発的不定期参加も熱烈歓迎いたします!

 small bullet the color of kings  水曜日 14:00〜 : 創世記19章講解中!

 small bullet green  木曜日:不定期の集会あり(MGFの教会スケジュール・カレンダーを参照)


 small bullet yellow  金曜日 20:00〜 : 黙示録3章講解中!
   
 
 
gif file  各スタディーの学びの前には、ショートタイムの賛美と祈りの時間があります。

  gif file  各スタディーにはおやつ、コーヒー、ティーなどの飲み物が無料で提供されます。
 
gif file  学びの後は、自由参加のフェローシップ(Tea Time、交わり、あかし、分かち合い、聖書や信仰に関する質疑応答の時間)があります。また祈りのリクエストがあれば、スタディー・グループと共に祈ることもできます。
 
gif file (水)午後と(金)夜は、学びの後に「聖餐式」があります(クリスチャンなら誰でも参加できます)。
 
gif file (水)午後と(金)夜には「チャイルド・ケア」(幼児~小学生対象の託児サービス=「スウィーティーズ・クラブ」)があります。

gif file バイブル・スタディー(礼拝説教含む)はすべて録音され、本ホームページからも無料でダウンロードして聴くことができます 
 
 
 
 
「パンや米は他の者がそれを与えることができる。
しかしもし教会が神の御言葉を与えなければ、だれがそれを与えるのか?」
(R・L・ブリュックベルジェ 1907~1998年 フランスの神父・作家)
 
「真に心の糧となるためには説教はただ人好きのする美食であってはならず、
また粗食が過ぎて食欲減退、栄養失調となるものでもいけない。真に滋養になるものが必要である。」
(松雄造酒蔵 牧師)
 
 
 




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  orange and green bullet clipart spinning 毎週木曜日 午後1時~
 
*その他、各バイブル・スタディーの前後に随時祈る時間があります。
 *早天祈祷を希望される方はお問い合わせください。

教会は祈りによって造られる
 

「ペンテコステの日から今日まで、どこの国でも、それがたとえ2,3人によってなされた祈りであっても、
一致した祈りが原因で起こらなかった大いなるリバイバルはなかった。
どんな素晴らしい働きであっても、祈祷会が後退してもなお続いたという例はない。」(A・T・ピアソン)

「教会の状態は、祈り会を見れば実に正確に判断できる。
即ち、祈り会は恵みの尺度であり、それによって我々は、人々の間で働かれる神のみわざの偉大さを計り知ることができる。
もし、神が教会に近くおられるなら、教会は祈るはずであり、近くおられぬなら、神不在のしるしとして、まず祈らなくなる。」

「『祈禱会を開き、私たちは心から祝福を求めているのに、与えられません。』
この場合は『願っても受けられないのは、悪い動機で願うからです』というみことばで、説明されるのではないでしょうか。
祈禱会が単なる形式になり、兄弟たちが立ち上がって、燃え立つことばで神に語る代わりに、美辞麗句を長々と述べたてて時間をむだにし、
祝福への期待がなく祈りが冷淡な形式ばったものなら、何も生じないでしょう。熱意もなく祈る人は、少しも祈っていないのです。
祈りに炎がなければ、焼き尽くす火である神と交わることはできません。多くの祈りがその任務に失敗するのは、そこに信仰がないからです。
疑いに満ちた祈りは、拒絶を要請しているのを同じです。」
(チャールズ・ハッドン・スポルジョン)


「皆さんの教会の祈祷会はどんな様子だろうか。 それは発電所(力の家)だろうか。
 祈るために集まっているだろうか。 何のために祈るのか。 
説教者のために祈りなさい! 牧師のために祈りなさい! 教職者のために祈りなさい! 


しかし、皆さんは、自分の牧師のために毎日、毎週祈っているか。 
聖霊が、どのようなときでも彼らの上に臨むように、あなたは祈っているか。 
それこそ唯一の希望である。 私たちには、リバイバルが必要である。 私たちの上に聖霊の御力が臨むことが必要である。 
それまでは私たちには何もできない。 

クリスチャンの皆さん、皆さんは自分のこの責任に気づいているだろうか。 誰でも祈ることができる。 私たちは祈るために召されている。 
私たちは、この重荷を持っているだろうか。 この熱心を抱いているだろうか。 
教会の状況を嘆いたり、教会外のあわれな少年たちや他の人々を非難しているだけでは到底足りない。 そんなことでは誰一人救われない。 」
(D・M・ロイドジョンズ)


「教会の温度、それはその教会の祈り会で計れる。」(ヴァンス・ハヴナー)

「聖書には、祈祷会のことが記録されており。祈祷会こそ、教会の本質であり、いのちである。」(D・M・ロイドジョンズ)

「祈りは天に積まれた資本であって、キリストはこれによって地上の事業を経営される。」(E・M・バウンズ)
 
「今日の教会では、祈り方についてではなくまず祈りの必要性についての教えが必要な有様である。」(ニッサのグレゴリウス)

「祈る者は説教者よりも尊い。」(バークレー・バックストン)

「日曜に礼拝にくる人数で説教とワーシップのスタイルの人気が分かる、でも祈りのミーティングに来る人数でイエスの人気が分かる。
僕たちの教会が霊的に死んでるとか言っているわけじゃない、でも僕たちの教会は祈りのリバイバルを必要としている!
僕たちは、君たちは、僕は、どんなことをしてでも祈りの人にならなきゃいけない!」(ジム・シンバラ)

「祈り会の本質こそ重要なのであって、形式は二の次です。すなわち、全能の神に触れ、己の全存在をもって叫び求めるという本質と比較したら、
形式など問題になりません。私は、声が大きいだけでほとんど見せかけだけの祈り会に出席したことがあります。
また、一方では、あるグループとともに非常に霊的な沈黙の祈りの時を過ごしたこともあります。
集会の雰囲気はそれぞれ異なっても、一番肝心なことは、人が互いに顔を合わせるだけでなく、宇宙を統べ治める神に出会うことです。」(ジム・シンバラ)

「祈りはクリスチャンのいのちの源、生命線です。祈らないのは、息をしていない赤ん坊にかわいい着物を着せて抱いているようなものです。
着物の装飾などに気を取られてはいけません。赤ん坊が確かに呼吸しているかどうか、しっかりと確かめなさい。
また、昏睡状態にある者に語りかけても無駄です。今日、教会が大変な力を入れて人々を教えているのに、そこそこの結果しか得られていないとしたら、
その原因はここにあります。教えることは、そこに、教えを受け取るいのちある人がいる場合に限って有益なのです。
たとえ優れた正統派の教えでも、聴いている人が霊的に昏睡状態に陥っているとしたら、残念ながら、霊的いのちというものを教えることはできません。」
(ジム・シンバラ)

「もし、祈りの生活をしていないとすれば、私たちは新約時代のクリスチャンではない。」(ジム・シンバラ)

「教会の評判は、日曜日の朝の礼拝に来る人々でわかります。牧師や伝道者の評判は、日曜日の夜の礼拝に来る人々でわかります。
しかし、イエスさまの評判は、祈り会に来る人々でわかるのです。」(不詳)


「『何年か前、メーン州のある小さな町は、活気がほとんどない状態だった。諸教会がたいした成果を上げていなかったからである。そこで、教会に心から神を敬う何人かの人たちは、互いにこう言い合った。 「さて、私達は何の学もない平信徒に過ぎないが、この町で何かがなされる必要がある。祈りのチームを結成しよう。私達全員の祈りを一人の人に集中させるのだ。その対象は誰にしようか!』 彼らが選んだのは、町の中でも一番心のかたくなな、どうしようもない飲んだくれだった。その人に彼らの祈りが集中された。そして、一週間の内にその人は主を受け入れたのであった。そして、その次に心のかたくなな人に彼らの祈りが集中され、彼もまた主を受け入れたのであった。それからもう一人、さらにもう一人と祈りは続けられ、結局一年もしない内に2~3000人の人たちがキリストに導かれた。そして、その火は周囲の地方へと広まって行った。罪の獄に捕らわれている人たちのための明確な祈りこそ、現在必要とされているものである。 」(R・A・トーレー)
 
 
And Satan trembles when he sees, The weakest saint upon his knees.
--William Cowper (1731~1800年。英国の詩人、聖歌作家)
 


 

       

 
 コイノニアとは「交わり(フェローシップ)」を意味するギリシャ語です。
 聖餐式、賛美、祈り、あかし、分かち合いの時を神の家族とともに自由に楽しむひと時です。
 
「彼ら〔初代教会〕は使徒たちの教えを堅く守り、交わり〔コイノニア〕をし、パンを裂き〔聖餐式〕、祈りをしていた」
(使徒2:42)

「私たちの間でキリストのためになされているすべての良い行ないをよく知ることによって、
あなたの信仰の交わりが生きて働くものとなりますように。」(ピレモン1:6)




『キリスト信徒の交友』(内村鑑三)

私達は利益を語らない。天国を語る。私達は相互の上に立とうと思わない。その下に立とうと思う。
私達は、徳を競わず、罪を自覚して相譲る。私達は、敵に勝ったと言って喜ばず、自己に勝ったことを誇る。
私達は酒を飲まず、聖霊に酔う。私達は美食に飽(あ)かず、聖書を咀嚼(そしゃく)する。
私達は壮語せず、互いに相祈る。何とうるわしいことか、この交友は。あたかも天のそれのようだ。



「すべての交わりの中で分かち合う会話の目的は、私の言葉を聞く人々が主から恵みを頂くことにあります。」(C・J・マハニー)


「聴衆は群衆である。教会は家族である。聴衆は集団である。教会は交わりである。」(チャールズ・E・ジェファソン)


「苦しみを共に分かち合うことが交わり中で一番有益なものです。恐らくそれは他のどんな交わりの形よりも主にあって私たちの心を一つにします。」
(ジェリー・ブリッジス)

 
 
※上記の集会に参加ご希望の方は、急遽スケジュールの変更・キャンセルもありますので事前に電話もしくはメールでお問い合わせください。
 
 また、上記以外の教会訪問・牧仕および牧仕の妻との面会には、アポイントが必要となります。
MGFの教会スケジュール・カレンダーをご確認の上、お気軽にご相談ください。

 



 

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