13 クリスチャンの信仰詩&祈りのコレクション A Collection of Christian Poems and Prayers


祈りに関する名言はこちら
「主の祈り」(文語訳聖書)



天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、

地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、

我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みに会わせず、

悪より救いいだしたまえ。

国と力と栄えとは、

限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

「主の祈り」(コテコテ大阪弁)


天にいたはる、わてらの神はん、

あんたはんの名前が

崇められますように願ってまっさ。

ほいで、御国がきますように。

あんたはんの思いのままになりますように。

天にあるように地でもよろしゅうに。

わてらの必要な食いもんは、

今日ちょうだいできますように。

わてらの至らんとこは勘弁してちょうだい、

そんかわり、わてらも他人はんの

至らんとこは許しますよって。

ほいで、どうかわてらを

誘惑に遭わさんとってちょうだい、

悪い奴らからも救ってちょうだい。

ナニワ太郎&大阪弁訳聖書推進委員会訳
『コテコテ大阪弁訳「聖書」』 データハウス、2000年より

 
「アフリカの若き殉教者の言葉」

 
私は誇り高き交わりに加わっている。

さいは投げられた。

もう後へは引けない。

私は一歩踏み出したのだ。

心は決まった。

私はイエス・キリストの弟子になるのだ。

私はもう振り向かない。

力を抜かない。

歩みを遅くしない。

後へ引かない。

じっと立ち止まることもしない。

私の過去は贖われた。

私の現在には意味があり、私の未来は保障されている。

程度の低い妥協的な生き方はもうやめた。

見えるものに頼る生き方、

すべすべのひざ、

色あせた夢、

鎖のついたビジョン、

この世的な話、

安っぽい施し、

歪めれたゴール…。

私の目は向くべきところに向いている。

私の足取りは軽い。

ゴールは天国にある。

道は狭く、険しい。

同行者は少なくとも、案内人は信頼できる。

私の成すべき仕事は明らかである。

私はあきらめない。

黙らない。

力を抜かない。

イエスのために生き続ける。

祈り尽くす。

犠牲を払い切るまでは。

私は行かなければならない、

主が来られるまで。

ささげなければならない、

倒れるまで。

伝えなければならない、

すべての人が知るまで。

働かなければならない、

主が私を止められるまで。

そして、主が来られるとき、

私を探し出すのに苦労はしないだろう。

私の旗印は明らかだから。
 
 
 

「私たちにできない事」 作者不詳

 

 

私たちは、他の者の損失となる利益を獲得することはできません。

 

私たちは、十字架につまずいて冠を失うことはできません。

 

私たちは、友を失うような不注意な冗談を飛ばすことはできません。

 

私たちは、終わりには苦い涙となるような笑いをなすことはできません。

 

私たちは、あすの断食となるようなきょうの宴会をすることはできません。

 

私たちは、最後に悲劇となるようなレースをすることはできません。

 

私たちは、火遊びをしたり、へびをそそのかしてかまれる危険を
冒したりすることはできません。

 

私たちは、皮肉屋の冷笑を本気で扱うことはできません。

 

私たちは、賢人の言葉に対して不注意に耳を傾けないでいることはできません。

 

私たちは、憎しみに対して同じような憎しみを返すことはできません。

 

私たちは、火をおこし、それを更に激しく燃え立たせることはできません。

 

私たちは、この世の束の間のつまらない事のために魂を失うことはできません。

 

私たちは、死と生を交換するという気違いじみた取り引きを
することはできません。

 

しかし、あなたを離れては、すべてをごらんになる主なるあなたを離れては、
私たちは善に対して盲目なのです。

 

おお、私たちが、自分にはすることのできない事を知ることができるように、
私たちに光を与えてください!
 
 

「中国の獄中で殉教したある伝道者の詩」


もしもほんの少しだけ

  義の道から離れたなら

  私はすぐに楽になる

  この苦しみも取り去られるのだろう

  もしもほんの少しだけ

  十字架から目を離せば

  私はすぐに楽になる

  この痛みも取り去られるのだろう

  しかし私は キリストを覚える

  このお方がどれほど

  忠実に苦難を忍ばれたかを

  私はもうこの世の者ではない

  あらゆる関わりは解けたから

  たとえこの道は 狭く苦しくても

  私はこの地では 旅人でありたい
 
 

「FOOTPRINTS あしあと」 by マーガレット・F・パワーズ


One night I dreamed a dream.
I was walking along the beach with my Lord.
Across the dark sky flashed scenes from my life.
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
one belonging to me and one to my Lord.

When the last scene of my life shot before me
I looked back at the footprints in the sand.
There was only one set of footprints.
I realized that this was at the lowest and saddest times in my life.

This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.
"Lord, you told me when I decided to follow You,
You would walk and talk with me all the way.
But I'm aware that during the most troublesome times of my life
there is only one set of footprints.
I just don't understand why, when I needed You most,
You leave me." He whispered, "My precious child,
I love you and will never leave you
never, ever, during your trials and testings.
When you saw only one set of footprints
it was then that I carried you."



ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、

わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、

 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、

 わたしと語り合ってくださると約束されました。

 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、

 ひとりのあしあとしかなかったのです。

 いちばんあなたを必要としたときに、

 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、

 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。

 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。

 ましてや、苦しみや試みの時に。

 あしあとがひとつだったとき、

 わたしはあなたを背負って歩いていた。」
 
 

「苦しんでいる者のための信条」

(原文「A Creed For Those Who has Suffered」からKazの私訳)



I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...

 
私は何かを成し遂げようとして 神に力を求めたが

私が謙遜になって従うようにと 弱くされた 


I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...

 
私はより大きなことを成そうとして 健康を求めたが

私がより良いことを成すようにと 病を授かった 


I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...

 
私は幸福になろうとして 富を求めたが

 私が賢明になるようにと 貧困を授かった



I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...

 
私は人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたが

私が神の必要を感じるようにと 弱さを授かった


I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...

 
私は人生を楽しもうとして あらゆることを求めたが 

私があらゆることを喜ぶようにと いのちを授かった


I got nothing that I asked for -- but everything I had hoped for

Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!

 
私が求めたものは何一つ得られなかった 

しかし 願ったことはすべてかなえられた


こんな私であるにもかかわらず 

私の数々の暗黙の祈りは答えられた


私はあらゆる人々の中にあって 

最も豊かに祝福された者だ!


アメリカ南北戦争で負傷した南軍の無名兵士が収容先の病院の病室に残した詩と言われる。
現在ニューヨーク州立大学病院物理療法リハビリテーション研究所の受け付けの壁に展示されている。
 
 

「スポルジョンの祈り」
 
 
祈りは人の力、まさに人の呼吸、存在そのもの
 
祈りは恵みの戸を受け入れる黄金の鍵
 
祈りは摂理を受け入れる不思議なことば
 
祈りは全能の筋肉を動かすしなやかな神経
 
それゆえ祈れ、ああ人よ、あなたの必要は多いのだから
 
あなたの思考、分別、存在、必要は
 
あなたを祈りに向かわせる
 
祈りはあらゆる思い煩いの解決法、あらゆる苦しみの万能薬
 
疑いを打ち壊し、荒廃をいやし、あらゆる心配を消し去る
 
 
”説教のプリンス”こと、チャールズ・ハッドン・スポルジョン(1834~1892年 英国)。
19世紀世界最大の教会の牧師。
 
 

「HE'S BEEN FAITHFUL(彼は真実を尽くされる)」
<Words and Music by: Carol Cymbala>


In my loneliness and fear, through every pain every tear
独りぼっちで恐れている時、痛みの一つ一つ 涙の一粒一粒を通して

There's a God who's been faithful to me
私に真実(誠実・忠実)を尽くしてこられた神がそこにおられる

When my strength was all gone, when my heart had no song
私の力がすべて失せた時、私の心に歌さえわかない時

Still my God has been faithful to me
それでも私の神は私に真実を尽くしてこられた

Every word He promised is true
彼(神)が約束された言葉はすべて真実

What I thought was impossible
私が不可能だと思ったことを

I've seen my God do
私の神がなさるのを見てきた

He's been faithful, faithful to me
彼は真実な方、私に真実を尽くされた

Just looking back His love and mercy I see
振り返ってそこに見るのは彼の愛とあわれみ

When in my heart I have questioned
私の心で疑い

And failed to believe
信じなかった時でさえ

He's been faithful, faithful to me
彼は真実な方、私に真実を尽くされた

When my heart looked away, the many times I could not pray
私の心がそっぽを向いた時、祈れなかった幾多の時も

Even then He's been faithful to me
なお彼は私に真実を尽くされた

The days I've spent so selfishly, reaching out for what pleased me
自分の楽しみを求めて あまりに自分勝手に過ごした日々

Still in love He's been faithful to me
そんな時も彼は私に真実を尽くされた

And every time I come back to Him
私が彼に立ち返るたびに

I see Him waiting with His open arms and I know once again
私は見る 彼が両手を広げて私を待っている姿を そしてあらためて知る

He's been faithful, faithful to me
彼は真実な方、私に真実を尽くされた

Just looking back His love and mercy I see
振り返ってそこに見るのは彼の愛とあわれみ

When in my heart I have questioned
私の心で疑い

And failed to believe
信じなかった時でさえ

He's been faithful, faithful to me
彼は真実な方、私に真実を尽くされた


※この曲の作者キャロル・シンバラは、ニューヨークのブルックリン・タバナクルという6000人を超える世界的に有名な教会の主任牧師ジム・シンバラの夫人で、グラミー賞を受賞したブルックリン・タバナクル・クワイヤーの主事。驚くことに彼女は楽譜を読めないが、口伝えでクワイヤーを指導する。


「主イエス・キリストのみ」 by A・B・シンプソン


かつては、私は祝福を求めた。

今は、主を求める。

かつては、感情を求めた。

今は、みことばを求める。

かつては、賜物を求めた。

今は、賜物を与える方を求める。

かつては、いやしを求めた。

今は、主ご自身のみを求める。

かつては、痛みに満ちた努力であった。

今は、全き信頼である。

かつては、いいかげんな救いであった。

今は、全き救いである。

かつては、たゆむことなくしがみついていた。

今は、主が固く握っておられる。

かつては、常に流されるままであった。

今は、しっかりいかりを降ろしている。

かつては、多忙な計画であった。

今は、より頼む祈りである。

かつては、不安で心配ばかりしていた。

今は、主が心配してくださる。

かつては、私の願望に従っていた。

今は、イエスのことばに従っている。

かつては、常に願ってばかりいた。

今は、いつも賛美している。

かつては、自分の働きが大切であった。

今は、主の働きを大切にする。

かつては、私が主が使おうとしていた。

今は、主が私を用いられる。

かつては、力を求めた。

今は、全能者によって生きる。

かつては、自分のために働いた。

今は、主のためにのみ働く。

かつては、主イエスのうちにあって期待した。

今は、主が私のものであることを知る。

かつては、私のランプは消えようとしていた。

今は、明るく輝いている。

かつては、死を待つ生活であった。

今は、主の再臨を待ち望んでいる。

こうして、私の希望は天国にしっかりといかりを降ろしている。

とこしえまでも 主イエスを歌う。

すべては、イエスのうちにあり イエスは私のすべて
 
 
アルバート・ベンジャミン・シンプソン(1843~1919年)は、カナダ出身の説教者、神学者、
超教派の宣教団体クリスチャン・アンド・ミッショナリー・アライアンスの創設者。
 


「ヘルマン・ヘッセの祈り」



神さま、私をして私に絶望させて下さい。

しかし、あなたに絶望させないで下さい!

迷いの嘆きを残りなく味わわせて、

あらゆる苦悩の炎をして私をなめさせ、

私をしてあらゆる辱(はずかし)めを受けさせて下さい!

私が自分を保持するのを助けないで下さい!

私が自分をひろげるのを助けないで下さい!

しかし、私の我(が)のすべてが砕けた時は、

それを砕いたのはあなたであったことを、

あなたが炎と苦悩を生んだことを、

私に示して下さい。

なぜなら、私は喜んで滅び、

喜んで死にますが、

私はあなたの中でなければ死ねないのですから。
 
ヘルマン・ヘッセ(1877~1962年 ドイツ 詩人、小説家)
 

 
「三浦綾子の祈り」


神よ

人生は

一人 林を

歩み行くような

ものかも 知れません

自分の前には

何の道もなく

また 自分の後を

従いてくる者も

ありません

そんな辛いものかも

知れません。

でも、どんな辛い道でも

主が手を引いて下さるなら

私たちは 安んじて

生きて行けるのでは

ないでしょうか

何十年かの

人生の中で

人は幾度 大きな

重荷を肩に負い

おろし また負って

来たことでしょうか

でも 主が共に在すならば

ああ 本当に共に在すならば

それは 何と幸いな

人生であることでしょう
 
 

「十字架」 by V・レイモンド・エドマン
 
 

私は十字架のかげを隠れ家とし 

御顔の光だけを 絶えず求めます 

この世のものはみな過ぎ去っても 

この世で何を得ても 何を失っても 

私は満ち足りています 

罪に満ちた私の自我も 恥も 誉れも 

すべてが十字架につけられているからです


私に与えてください

愛の喜びでもなく

いとしい者の口づけでもなく

犠牲の喜びを知る力を

目を開いて人生を極みまで見る力を

神よ 何ものにもまして 

この力を与えてください

おお 愛する神よ

涙を通して また損失を通して

私に知らせてください

あなたの十字架の喜ばしい奥義を
 
 

「傷の跡はないのか」 by エミー・カーマイケル
 

あなたには 傷の跡はないのか

足 脇 手にも 隠れた傷の跡はないのか

わたしは聞いた 世の人があなたの力をほめるのを

わたしは聞いた 上る明けの明星があなたをたたえるのを

しかし どうしてあなたには傷の跡がないのか


あなたには痛む傷はないのか

わたしは天より離れ 傷ついて

死ぬために木の上にかけられた

獰猛な狼が囲んで 私を裂き 衰えさせた

しかし どうしてあなたには傷がないのか


傷もなく 傷の跡もないのか

しもべは主人のようになれば十分なのに

わたしのあとに従う者は足を刺されるはずなのに

あなたは健やかで 傷もない

傷も傷の跡もない者が どうしてわたしに従えよう
 

 
「Sometime(いつか)」



いつか、人生のすべての教訓を学び終えたとき

そして、太陽と星が未来永劫に沈むとき

ここ(地上)で私たちの軽率な判断ではねつけたこと

私たちが眼を濡らして悲しんだことも

人生の闇夜の中から私達の前に照らし出されるだろう

ちょうど星が漆黒の闇において最も光輝くように

そして、私達は神の計画のすべてが、どんなに正しかったかを知るようになる

そして、非難されたと思ったことが、実は最も真実な愛の表れだったことも

そして、私達が不機嫌で、ため息をついているその間も

あなたと私の最善ために神の計画がどのように進められているかを知るだろう

私達が呼び求めた時、
 
神がどうして私達の叫びに心を留めてくださらなかったのか

それは事を最後まで見通す神の知恵によるものであった

そして、思慮深い両親が
 
甘いものばかりほしがる小さな子の欲求に答えないように

神もまた、
おそらく、
 
それが人の目には人生でもっとも甘美なものに映ったしても、

今は私達から遠ざけているかもしれない

そして、もし時に人生に酔いしれるようなことがあるなら、

私達は苦味、反抗、後退を味わうことになる

私やあなたよりも賢い御手のあることを覚えよ

その御手は私達が人生で受けるべき分を私達の口に注がれる

そして、もしあなたの愛する友があまりに低い所に横たわっているなら

そこでは人の愛情の口づけも彼の頬には届かない

ああ 愛情に満ちた父のせいにしてはならない

むしろ あなたの悲しみに従順の恵みを身につけさせよ

そして、あなたはまもなく残された命の日数を知る

それは神が友に贈る最高の贈り物とは言えない

時に暗黒の死の力が

神の最高の賜物を覆い隠してしまうことがある

もし、私達がいのちの扉を少しでも開くことができるなら

その中に立ち、神の働きのすべてを目の当たりにする

私達はあらゆる疑いと争いの意味を解くことができる

そして、1つ1つの謎を解く鍵を見つけることができる

でもそれは今日ではない。その時、萎えた心よ 満ち足りよ

神の計画は、純白のゆりのように花開く

その堅く閉じた花びらをめくりはがしてはいけない

時は黄金の花が開くのを見せてくれる

そして、もし労苦に耐えて約束の地に踏み入るなら

そこでくつひもを解かれた疲れた足は休まる

私達がはっきりと見て、理解するその時、

私達はこういうに違いない。「神は最善を知っていた」と。


アメリカの女流詩人メイ・リリー・スミス(1842 - 1927)の私訳


「私はどうするでしょう」
by ルース・ハームズ・カルキン


主よ、ご存知ですね

私があなたにお仕えしていることを

脚光を浴びながら すさまじい情熱を傾けて

ご存知ですね

婦人集会で

あなたのことを熱心に語っているのを

ご存知ですね

親睦会を発起して

どんなに意気衝天しているかを

ご存知ですね

聖書研究会に向けている

あのひたむきな私の思いを


でも、私はどうするでしょう

水の入ったたらいを指して

腰の曲がったしわだらけの老婆の

こわばった足を洗っておあげなさいと

あなたがおっしゃったら

いく日も いく月も

部屋の中でひっそりと

だれの目にもとまらずに

だれに知られることもなく

 

 

 「明日」(作者不詳)
 
 
彼は、人間の達しうる最高の者に

なろうとしていた ―明日

彼は、誰よりも親切で勇敢な者に

なろうとしていた ―明日

彼は、悩み疲れたひとりの友を知っていた。

自分の境遇から引き上げられることを

喜びとし、それを必要としてた友だった。

彼は、その友を尋ね、どうすればよいか

相談しようとしていた ―明日


彼は、朝ごとに、書こうとする手紙を

山のように積み重ねた ―明日

そして、彼が喜びをもって満たそうとしている人々のことを考えた ―明日

きょうは忙しすぎるのだ、

一瞬の息をつく暇もない。

彼は言う、

「私は他の人々のために働く時間を

持つようになろうだろう ―明日」と。


彼は、最も偉大な働き人になったであろう

 ―明日になれば。

世界は彼を知ったであろう

 ―もし彼が明日まで生きていれば。

しかし、事実は、彼は死んだのだ。


そして彼は人々の見える所から消え去った。

彼が生涯の終わったあとに残したものは

明日しようとしていた山のような仕事だった。
 
 

「私ではなく、キリストが」(作者不詳)
 
 
私ではなく、キリストが

あがめられ、愛され、高められますように。

私ではなく、キリストが

見られ、知られ、聞かれるように。

私ではなく、キリストが

すべての行動の中にいますように。

私ではなく、キリストが

すべての思いと言葉の中にいますように。


私ではなく、キリストが

謙遜で静かな働きの中にいますように。

私ではなく、キリストが

つつましく熱心な労苦の中にいますように。

キリスト、キリストだけです!

見栄や、見せびらかせがあってはいけない。

キリスト、キリストだけが

魂を集めてくださる方です。


キリスト、キリストだけが

遠からず私のビジョンを満たされるでしょう。

すばらしい栄光を私はすぐに見るでしょう。

キリスト、キリストだけが

私のすべての願いを満たすのです。

キリスト、キリストだけが

私のすべてとなられるのです。

 
 

「平和島」(作者不詳)
 
”「信仰」という名の虐待”からの回復 心のアフターケア (パスカル・ズィヴィー著) より



平和島。

そこは涙も悲しみも苦しみもないところ。

過去の痛みも癒され、慰められ、喜びに変わる場所。

平和島には王がいる。

「平和島行き切符無料」

私はそれを手に入れた。切符は血で真っ赤だった。

切符を手にして港に来た。

平和島行きの船がいくつもある。

どれに乗ろうとか見渡す。

ぼろぼろの小船が目に留まった。

その船は、重病人やけが人でいっぱいだった。

前方に豪華で巨大な船があった。

若い人がいっぱいいた。きらびやかで、楽しそうだった。

「この船にしよう」

船に入った。扉が閉められ、船は出発した。

平和島が遠くに見える。そこに着くのが楽しみでたまらない。

船が動き出し、客はご馳走を振舞われた。

すばらしい演劇も見た。この船は、すばらしいもので満ちていた。

アナウンスが流れた。

「平和島行きのお客様。ご馳走とショーはここまでです。

お客様に重大なお知らせがあります。

平和島に着くまでの間、お客様には重大な任務があります。

各自、船長の指示に従ってください。」

「重大な任務ってなんだろう?」

船長が来た。私の任務について説明を受けた。

どうやら平和島の海には弱肉強食がなくて、
 
魚が生き生きと安心して住めるらしい。

海で弱肉強食にさらされている魚を一尾でも多く救い出して、

平和島に連れて行くことになった。

そのために毎日、魚を取る漁師が必要だというのだ。

私の任務は、漁師だった。

えさをまいて魚を集め、巨大な網で魚を取る。

そうすれば一度に大量の魚を保護できるから。

この海には恐ろしいサメがうようよしているから

あやまって海に落ちないようにと注意された。

私には、魚のえさと網が与えられた。

なんと光栄な任務だろう。

魚を安全な平和島に連れて行くために捕獲するのだ。

私は、平和島に行くまで、この任務に命をかけようと思った。

わくわくした。

少々の危険があってもかまわないと思った。


えさをまいた。

魚が大量によってくる。いろんな色の魚。いろんな大きさの魚。

魚がたくさん集まったので、網を引いた。

大量で、全身の力を込めて網を引かないとびくともしない。

必死で網を引く。 痛い! 網の重みで指が切れた。でもあきらめない。

もっと力を入れて網を引いた。引き上げる。

ゆっくりゆっくり網を手繰り寄せる。

もう少しで、船に上げられる!! ぎりぎりぎり。

網が指に食い込む。血があふれ出る。

あっ。網が切れてしまった。 大量の魚は海へ散っていった。

でも数尾の魚は捕獲できた。

魚管理の任務に当たっている人がその魚を水槽へと運ぶ。

私はその後ろ姿を見送り、再びえさをまき始める。

魚がたくさん集まってきた。

今度こそ、すべて捕獲しよう。

決心を新たに全身の力を込めて網を引く。

ゆっくりゆっくり、網が上がる。ぎりぎりぎり。

網が指に食い込む。肉がはがれた。

激痛が走る。でもあきらめない。網を引き続ける。

あっ。また破れた。

残ったのはわずかな魚。

一日中、やってみた。

でも必ず網が破れる。いったいどうしたことか。

船長が来た。

網の苦情を言った。

ビジッ。体の肉が裂けた。血があふれ出る。

何が起こったかわからない。

船長の手に鞭が握られていた。その先には金具がついている。

船長は怒鳴った。

「何が不満なんだ! 私にけちをつけるのか!! もっと魚をとれ。怠けるな。
 
休まず働け! どうして魚がこんなに少ないんだ!! しっかりやれ!!」

私は悟った。

船長に苦情を言ってはいけない。殺されるかもしれない。


えさをまき、網を引く。ぎりぎりぎり。

網が指に食い込む。肉が裂け血が流れる。

あきらめずに網を引っ張る。あっ・・・・

また破れる。残ったのはわずかな魚。

いったいどうしたことだろう。

でも、頑張らないと。魚を平和島に連れて行くために。

何度も何度も繰り返す。網は必ず破れてしまう。

もっと頑張らないと。もっと。もっと。

ある日、気がついた。私は白髪が増えたようだ。

あれから何年たったのか。

平和島。ただ、そこに着くのを望みとしている。

体中から血があふれる。網を引きたびに指が裂ける。

もう骨が見えている。

でも休むことはできない。休んだら、さらにひどいことになる。

もう船は出てしまった。もう引き返せない。

体中から膿があふれている。

長年の傷。化膿して、あふれる膿。

体中が痛くてたまらない。

船が出発するころには見えていた平和島。

なぜか平和島が見えない。

どうしたのだろう。本当に平和島に着くのだろうか。

船長の姿が見えなくなった。

捕獲した魚の様子が気になった。こっそり見に行った。

私は自分の目を疑った。魚が腐っている。

腐っているのに泳いでいる。

いったい何なんだ。 魚を逃してやらなければ・・・・・

ビッシッ。背に激痛が走った。

船長が立っていた。手には鞭。

私は倒れこんでしまった。

「こんなところで何をやっているんだ。

任務はどうした!! 魚をとれ!!」

はいつくばって自分の場所に戻った。

えさをまき、網を引きながら、私は考えた。

「水槽の魚に何が起こっているんだろう。

私は何をしているんだろう。

本当に魚にとって幸せなんだろうか・・・・・」

「落伍者がでたぞ!!」 だれかが叫んだ。

体中血だらけの人が、動けなくなってうめいていた。

「役に立たないものは海に捨ててしまえ!!」

その人は海に投げ捨てられ、見えなくなった。

次は私だろうか・・・・・

恐怖におののく。

体力の限界を感じながら。


「平和島行き」の切符を見た。

いったいいつたどり着けるのか。

見えていたはずの平和島はまったく見えなくなってしまった。

船はどこに向かっているのだろう。

でも、もう引き戻せない。

意識がもうろうとしてきた。

体中の激痛すら感じなくなっていた。

ああ。私はもう死ぬんだな・・・・・

「落伍者が出たぞ!!」

叫び声がする。

私の体は宙に浮き、海に投げ出された。

ぶくぶくぶく・・・・・

冷たい。体が凍りそうだった。

傷に塩水がしみてくる。激痛・・・・・

がぶがぶがぶ。水を飲んだ。動けない。

泳げない。意識が遠くなった。

きれいな船が通りかかった。助けて・・・・・

船からだれかが叫んだ。

「定員オーバーで助けられないよ。頑張って。」

そして遠くへ消えていった。

私の意識も限界だった。

そこへ、何かが私の腕をつかんだ。

引き上げられた。

目を上げてみると、見覚えがある船。

ああ。病人がいっぱいいるあの汚い船だ。

私は助け出された。腫れ上がった体に手当てがなされた。

看護してくれた人。覚えている。

前に見たときは全身やけどだった。今はすっかりきれいになっている。

彼は言った。

「この船は病人を救出しているんです。

私もここで手当てを受けて、良くなりなりました。

ゆっくり休んでください。

必要なことはなんでもおっしゃってください。」

ここは安全な場所。暖かい人たち。

ふと外を見ると平和島が見えた。

だれかが近づいてきた。

私を助けてくれた人だとわかった。

握手をしようとした。

手に傷がついていた。

見上げると、平和島の王だった。



注)「平和島」=天国。「王」=イエス・キリスト。「切符」=十字架の贖いによる救い。「船」=教会。
「船長」=牧師をはじめとした教会指導者。「海」=世俗世界。「魚」=未信者。「サメ」=サタン。
「漁」=伝道。「えさと網」=伝道手段。
 

「あなたの最良のものを世に与えなさい」
by マザー・テレサ
 
 
人は不合理、非論理的、利己的です

気にすることなく、人を愛しなさい

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと思われるでしょう

気にすることなく、善を行いなさい

目的を達成しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう

気にすることなく、やり遂げなさい

善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう

気にすることなく、し続けなさい

あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう

気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい

あなたが作り上げたものが、壊されるでしょう

気にすることなく、作り続けなさい

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう

気にすることなく、助け続けなさい

あなたの最良のものを、世に与えなさい

けり返されるかもしれません

でも、気にすることなく、最良のものを与え続けなさい



「夫をささえる祈り」
by ストーミー・オマーティアン
 
 
"Lord, Help me to be a good wife.
主よ、どうぞ私がよい妻になれるように助けてください。

I fully realize that I don't have what it takes to be one without Your help.
あなたの助けなしによい妻になれないことを私は完全に思い知りました。

Take my selfishness, impatience, and irritability and turn them into kindness, long-suffering, 
and the willingness to bear all things.
どうぞ私の自己中心、忍耐のなさ、いらだちやすい性質を取り出して、親切さ、忍耐強さ、
そして与えられるすべてを心から感謝して受ける性質に
置き換えてください。

Take my old emotional habits, mindsets, automatic reactions, rude assumptions, 
and self-protective stance, and make me patient, kind, good, faithful, gentle, and self-controlled.
どうぞ私の古い感情的習慣を、固定観念を、無意識にやり返してしまう行動を、
無作法な出しゃばりと自己防衛的な姿勢を取り去り、親切で我慢強く、忠実で
優しく、セルフコントロールができるように変えてください。

Take the hardness of my heart and break down the walls
with Your battering ram of revelation.
私のかたくなな心を取り去り、隔ての壁を打ち壊す強力な破城用の大槌のようなあなたの啓示で
心の壁を打ち崩してください。

Give me a new heart and work in me Your love, peace, and Joy
 (Galatians 5:22,23).
私に新しい心を与え、あなたの愛と平安、喜びで満たしてください(ガラテヤ5:22、23)。

I am not able to rise above who I am at this moment.
今の私には、現実の自分以上の者として立ち上がる力はありません。

Only You can transform me.
ただあなただけが私を変えることがおできになります。

Show me where there is sin in my heart, especially with regard to my husband.
私の心のどこに罪が、特に夫に関係する罪があるのかを示してください。

I confess the times I've been unloving, critical, angry, resentful, disrespectful, or unforgiving toward him.
私が夫を愛さず、批判的で、怒って、恨んで、尊敬せず、ゆるさないでいた時があったことを告白します。

Help me to put aside any hurt, anger, or disappointment I feel and forgive him the way You do
---totally and completely, no looking back.
私が感じるいかなる傷や怒りや失望も手放して、あなたがゆるすのと同じゆるしで、
すべて完全に、過去にあったことを決して見ず、蒸し返さずに、
彼をゆるすことができるように助けてください。

Make me a tool of reconciliation, peace, and healing to this marriage.
どうぞ、私を和解と平和、そしてこの結婚に癒しをもたらす道具にしてください。

Enable us to communicate well and rescue us from the threshold of separation 
where the realities of divorce begin.
あなたの御前でお互いに良好なコミュニケーションができるようにし、
そして離婚の現実が始まる場所である別離への戸口から私たちを救い出してください。

Make me my husband's helpmate companion, champion,
friend, and support.
どうぞ私を、夫の協力者、気の合った伴侶、擁護者、友、支え手としてください。

Help me to create a peaceful, restful, safe place for him to come home to.
平和に満ちた、休まる安全な場所を、彼が帰ってくるための場所として用意することができるように
私を助けてください。

Teach me how to take care of myself and stay attractive to him.
私が彼にとっていつまでも魅力的でいるために、どのように自分を管理すべきかを教えてください。

Grow me into a creative and confident woman who is rich in mind, soul, and spirit.
霊と心と魂において豊かに富んだ創造的で自信に満ちた女性に育ててください。

Make me the kind of woman he can be proud to say is his wife.
どうぞ私を、夫が自分の妻であることを誇りにするような女性にしてください。

I lay all my expectations at your cross.
私のすべての期待をあなたの十字架のもとにおゆだねします。

I release my husband from the burden of fulfilling me in areas where I should be looking to You.
私は、私があなたに求めるべきだった望みを達成するために夫が負ってくれた重荷から彼を解放します。

Help me to accept him the way he is and not try to change him.
私が彼を変えようとするのではなく、あなたがおつくりになったありのままの
彼を受け入れることができるように助けてください。

I realize that in some ways he may never change, but at the same time, 
I release him to change in ways I never thought he could.
私は彼がある意味では決して変われないかもしれないことに気づきましたが、
しかし今、彼が私の思いの及ばなかったような形で変えられるように彼を解き放ちします。

I leave any changing that needs to be done in Your hands fully accepting 
that neither of us is perfect and never will be.
私は、私たちのどちらも決して完全ではなく、そしてこれからも完全になれないことを
徹底的に受け入れつつ、彼の中のどんな変えられるべきことも、すべてあなたの御手にゆだねます。

Only You, Lord are perfect and I look to You to perfect us.
ただあなただけが、主よ、完全完璧なお方ですから、
私たちを完全にしてくださることをあなたに求めます。

Teach me how to pray for my husband and make my prayers a true language of love.
どうぞ私に、どのように夫のために祈るべきかを教え、私の祈りを真の愛のことばにしてください。

Where love has died, create new love between us.
私たちの間で愛が死んでしまったところには、新しい愛を生れさせてください。

Show me what unconditional love really is and how to communicate it in a way he can clearly perceive.
無条件の愛とは現実にどのようなものかを私に示し、どうすればそのような愛を彼がはっきりと気づいて
受け取れるような方法でコミュニケートできるかを教えてください。

Bring unity between us so that we can be in agreement about everything (Amos 3:3).
私たちがすべてのことにおいて同意できるように、二人の間に一致をもたらしてください(アモス3:3)。

May the God of patience and comfort grant us to be like-minded toward one another, 
according to Christ Jesus (Romans15:5).
忍耐強く慰めと励ましに満ちた神様が、キリスト・イエスの御名のゆえに、
お互いに同じ思いをもつようにさせてくださいますように(ローマ15:5)。

Make us a team, not pursuing separate, competitive, or independent lives, but working together, 
over looking each other's faults and weaknesses for the greater good of the marriage.
どうぞ私たちを、別離や競争、それぞれ独立した生活を追い求める者とせず、
よりよい結婚を築き上げるために一緒に働き、お互いの過ちや弱さを大目に見るチームにしてください。

Help us to pursue the things which make for peace 
and the things by which one may edify anther (Romans 14:19).
私たちが平和を作り出すもの、お互いに相手を成長させ向上させるものを
追い求めることができるように助けてください(同14:19)。

May we be 'perfectly joined together in the same mind and in the same judgment' (I Corinthians 1:10).
私たちが「一致して、仲間割れすることなく、
同じ心、同じ判断を完全に保」つ者となれますように(1コリント1:10)。

I pray that our commitment to You and to one another will grow stronger and more passionate every day.
主よ、あなたとお互いに対する私たちの献身が、これから毎日ますます強められ、さらに熱くされますように。

Enable him to be the head of the home as You made him to be, and show me how to support 
and respect him as he rises to that place of leadership.
あなたが彼をそうつくられたように、夫が家庭の頭としての働きと責任を果たすことができるように力を与え、そして彼がリーダーシップの位置に立ち上がる時、私が彼を支え、
尊敬することができるように助けてください。

Help me to understand his dreams and see things from his perspective.
彼の夢を理解できるように、物事を彼と同じ目線から見ることができるように私を助けてください。

Reveal to me what he wants and needs and show me potential problems before they arise.
どうぞ私に、彼の望みと必要が何であるのかを示し、そして問題が起こる前にその可能性を見せてください。

Breathe Your life into this marriage.
この結婚に、どうぞあなたのいのちの息を吹き込んでください。

Make me a new person, Lord. Give me a fresh perspective, a positive outlook, 
and a renewed relationship with the man You've given me.
主よ、私を新しい人にしてください。私に新鮮な視野と前向きな見通しを与え、
そしてあなたが私に与えてくださった男性との関係を刷新してください。

Help me see him with new eyes, new appreciation, new love, new compassion, and new acceptance.
私が新たな目で、新たな感謝で、新たな愛をもって、新しいあわれみをもって、
そして新しい受容の心で彼を見ることができるように助けてください。

Give my husband a new wife, and let it be me."
主よ、私の夫に新しい妻を与えてください。そして、どうぞそれが私でありますように。

 
 

「ピューリタンのリチャード・アレンの祈り」
 
 
私はもはや私のものではなく、あなたのものです。
 
あなたの望まれるところに私を置いてください。
 
あなたの望む立場に私を置いてください。
 
みこころでしたら、私にそれをさせてください。
 
苦しみにも会わせてください。
 
あなたのために私を使い、またみそばに置いてください。
 
あなたのために引き上げ、あなたのためにへりくだらせてください。
 
私を満たし、また空にしてください。
 
すべてのものを持たせてください。何も持たせないでください。
 
あなたの喜ぶまま、あなたの意のままに
 
すべてのことを自由にそして喜んでさせてください。
 
そして今、栄光と祝福に満ちた父、御子、御霊なる神よ。
 
あなたは私の神であり、私はあなたのものです。
 
しかあれかし。この地上で結んだ契約を天において批准してください。
 
アーメン。

「台所の祈り」



主よ、私の小さな台所を祝福してください。

お料理をする時も、お皿を洗っている時も、

私の心をいつも喜びで満たし続けてください。

あなたの祝福を私の家族みなでいただくことができますように。

そして、あなたが再びおいでになるときの心ぞなえができますように。

 

アーメン。

 

 
 

「ロイドジョンズの祈り」
 

ああ!神よ、私たちをあわれんでください。
 
私たちをその形式主義と無気力から目覚めさせてください。
 
私たちが約束の御霊を真に知るようになり、喜び、あがめ、
 
このお方に満たされるまで、いかなる休息も平安も与えないでください。
 
この御霊は、あなたがたとその子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、
 
すなわち私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。
 
私たちに、私たちが召されていることを確信させてください。
 
私たちが信じてきたお方を知り、そのお方のために生き、
 
必要ならば、そのお方のために死ぬ備えをなし、
 
彼にあって、いつでも救いと確信を自覚していることができますように。
 
ああ、主よ、私たちの神よ。私たちをあわれんでください。
 
私たちはへりくだって御前に祈ります。
 
私たちは初代教会のここに描かれた人々の状況から、
 
何とかけ離れていることでしょう。ああ!神よ、あわれんでください。
 
私たちはへりくだって御前に求めます。御霊の御力のうちに来て、
 
私たちを目覚めさせてください。私たちをイエスの血潮へと導いてください。
 
私たちを謙遜にし、打ち砕いて、ひとりよがりと自己満足を取り除き、
 
私たちを彼らの神を知る民としてください。『彼らの神』と呼ばれることを、
 
あなたが恥じることのない民としてください。
ああ!主よ、あなたのみわざを再び興こして(リバイブ)してください。
 
あなたの力ある御腕を知らしめてください。
 
私たちの住むこの邪悪で歪んだ世界の真っただ中で、
 
新しいみわざをなしてください。そして後、そして後のみ、
 
私たちが栄光のうちにいますその栄誉をとこしえまでも、
 
ほめたたえることができますように。アーメン 
 
 
 

「サムエル・チャドウィックの祈り
 
 
主よ。

あなたに求めます。

私たちに祈りを教えてください。

〝祈る聖霊様が息をされる、察する力を送られ、

 すべての結んでいた私の問題から、

 憂いを取り除かれる。

 この世の重い思いが私の心を弱くする。

 永遠の安息に戻るように、私に命じてください。゛

〝主よ、弱く心乱された祈りの中にも、

 主はいつも近くにおられます。

 ひとり、心つかれた罪人、

 主をいつも求めます。

 謙遜な祈りは、

 その魂をすべての誘惑から自由にさせ、

 何故生きるべきかをも教えてくださいます。

 愛する主よ、

 祈りは主にかかっています。〝

 


「カウマン夫人の詩」


主が私を今どのように取り扱われるかを

あなたに語らせてください。

主は私のすべての欠乏を満たされます。

主は私が求める以上のものを与えられます。

主は私のすべての必要を見通されます。

主は私のかっての恩知らずを

決して私に思い起こさせれません。

主は私のかつての愚行を決して責められません。

私が主について思っていることを

もっとあなたに話させてください。

主は偉大であるばかりか、善であられます。

主の愛は真実であるばかりか、熱烈です。

主はご自身の約束を守ることに

忠実であるばかりか、惜しまず約束を果たされます。

主は私の愛にふさわしいだけでなく

私のねたむばかりの愛にふさわしいのです。

私はあらゆる点で、主に負うています。

でも主は私にご自身を「友」と呼ぶように言われます。



「悲しみよ」(水野源三)


悲しみよ

悲しみよ
悲しみよ
本当にありがとう


お前が来なかったら 強くなかったら


私は今、どうなったか


悲しみよ 悲しみよ お前が私を


この世にはない 大きな喜びが


変わらない平安がある


主イエス様のみもとに


つれて来てくれたのだ




苦しまなかったら



もし私が苦しまなかったら


神様の愛を知らなかった


もし多くの兄弟姉妹が苦しまなかったら


神様の愛を伝えられなかった


もしも主なる神様が苦しまなかったら


神様の愛はあらわれなかった



 


「A・B・シンプソンの祈り」 


私の貧しい心を取り 

この心があなた以外の全てのものに対して

永遠に閉じるようにしてください

私の胸に封印をして 

この胸があなたの愛の契約を 

永遠に秘めておくようにしてください。 





「ひざまずいて旅をする」
(サンドラ・グッドウィン)


昨夜 私は旅をした 

海の彼方の国へ 

船でもなく 飛行機でもなく 

このひざに乗って 

大勢の人がそこにいた 

罪の深みに溺れる人が 

でもイエスは告げられた 

その魂を救いに行けと 

私は言った 

「イエスよ できません こんな仕事は私には無理です」 

すると答えがあった 

「いや できる あなたのひざで旅することによって」 

「祈りなさい 必要物は供給しよう 

求めるならば 答えよう 

これらの魂を心に抱け 

遠きにいても 近きにいても」 

そこで私はやってみた  

自分のくつろぎの時間を祈りのために割いて 

そうすると感じた 主がそばにおられるのを 

ひざまずいて旅している間 祈るにつれて 魂は救われ 傷ついた体は癒されて 

畑で働く神のしもべたちにも 新たな力が生まれた

私は言った 

「主よ 私に仕事ができました 

私の願いは、御心を果たすこと 

ひざまずいて旅をすることで あなたの召しに従うことができるのです



「希望」(カール・ヒルティ)


十字架は重いが、ふしぎなことに

おまえがそれを担うやいなや それがおまえを担ってくれる

初めは闇夜だが 行く手は真昼の明るさ

その道を進む者は「勇者」と呼ばれる

おまえの力は小さくとも

おまえが帰依した主の力は偉大だ

おまえの星は暗い夜空に輝きわたり

今日は死に、明日はいのちによみがえる


「国民の霊魂を清めてください」(内村鑑三の祈り)


神よ、私は、あなたの富貴をもって、私の国民を、お恵みくださることを願わない。

彼らはすでに有り余る富をもっているからだ。富ははなはだしく彼らを堕落させた。

そして愛なる神は、なお、この上に罪悪の科を彼らに課して、堕落の上に堕落をお加えにはならないだろう。

まことの神よ、もし聖意ならば、彼らの上に飢饉をお下しになるのもよい。

彼らの茶と生糸とを腐食させのもよい。

もし、やむをえなければ新火山を起こして、溶岩に田圃をうめさせるのもよい。

この国民の霊魂を清めてください。

その方法いかんについては、ひとえにこれをあなたの聖意に任せます。

ただ願う神よ、この国に精神的大改革を起こしてください。

この国を真正の聖人国としてください。

日本を17世紀の英国のようなものとしてください。



「パスカルの祈り」


イエス・キリストがなければ、世界は地獄のようになるだろう。

イエス・キリストを離れては、ただ、悪徳、惨めさ、誤り、暗黒、死、絶望だけしかない。

わたしは、彼から離れていた。ああ、もうどんなことがあっても、彼から離れることがありませんように。

神様、どうかわたしを見捨てないでください。



「人生の秋に」ヘルマン・ホイベルス

この世の最上のわざは何?

楽しい心で年をとり

働きたいけれども休み

しゃべりたいけれども黙り

失望しそうな時に希望し

従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、

人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり

弱って、もはや人のために役立たずとも、親切で柔和であること…。

老いの重荷は神の賜物、

古びた心に、これで最後のみがきをかける。

まことのふるさとへ行くために…。

おのれをこの世につなぐくさりを少しずつ、はずしていくのは

真にえらい仕事。

こうして何もできなくなれば、それを謙遜して承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残して下さる。それは祈りだ…。

手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために・・・・・。

すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。

「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と・・・・・。



「新島襄の祈り」


主よ、主よ、われらをあわれみて、


世の暗き中より召し給えることを感謝いたします。


願わくばわれらの祈りを聴き、まことの道を示し、


その心を開き、明らかに主を知ることを得させたまえ。


また、天の力を与えて、罪に克つ力と真理を悟る知識と


われらが学び舎のために限りなき祝福をお与えください。



「J・I・パッカーの祈り」


主よ、私が死ぬか生きるかは


私の関心事ではありません。


あなたを愛し、仕えることが私の務め


そこにこそ、あなたの恵みが与えられるのです。


わたしのいのちが長ければ、


長く仕えることができるのを喜びましょう。


わたしのいのちが短ければ――


どうして悲しむことがありましょう。


終わりなき日へと天がけるのですから。



「ハドソン・テーラー
の祈り」


どんな人の生涯にも

先を急ぐことも道を開くこともやめ

大きなわざをなすこともやめ休まなければならない時がある。


主権者のみこころのままにじっと立ち止まるべき時がある。

熱気を帯びた語り合いをやめため息をつくこともせず


荒野の叫びを上げることをやめてただ黙っていなければならない時がある。


主権者のみこころのままにじっと静まる時がある。 

休止と沈黙が声を合わせて静かに絶えず二重唱を歌うのだ。

おお、人のたましいよ 神のご計画には休みがない、人の助けを求めることもない。


立ち止まって、見よ、

静かにして、悟れ。




「その時の祈り」

神さま

いま新しい生命を手にして感謝でいっぱいです

この手の中でくしゃみをし、あくびをし

泣き、笑い、無邪気に動く生命を見ていると

この生命を託されたことの重みを感じます

親になる資格のない者に

あなたは親になることを命じられました

神さまからの命令として

この大きな仕事にたずさわろうとしています

力を与えてください

日々の祈りが

「子どものつまずきとならぬように」と

くりかえし祈るものでありますように

その背中にいつも神の愛と

神への信頼を映しださせてください

そのまなざしに

御言によって生きている喜びをあふれさせてください

神さまのいつくしみを伝達できれば

これにまさる幸いはありません

朝起きてまず祈り

夕べに感謝して一日を終る生活とさせてください

親子ともどもに

神の栄光をあらわす器とさせられますように

主イエス・キリストの御名によってお願いいたします 

辻宣道著『その時の祈り』より



「その時の祈り」

主なる神よ

今日までの旅路を導いてくださいましたことを感謝いたします

この生涯をふりかえるとき

すべてのことが感謝のうちに過ぎたような気がします

生涯の中で

もう終わりかと思う危機に

幾度か出会いました

経済的な危機、病気の危機、

人間関係の危機など数えあげればきりがないほどです

しかし今それらをのりこえ

「晩年」といえるこの時期を静かに迎えています

若い時は余分なものをたくさん身につけていました

若さにまかせて乱暴でした

時間を無駄に使いました

無理がきかなくなったいま

自分の限界をじっと見つめています

すべてが弱くなり

力もありません

神さまは一つずつ余分なものをとり去り

身軽にしてくださっていると心から感謝をささげます

御旨に従い、御旨にゆだね

あるべき姿に自然に帰ることができますように

ここにきていたずらな反逆に

つき進むことがないようにしてください

主にあって

辻宣道著『その時の祈り』より


「前夜」


牢に閉じ込められていたペトロのために教会が祈ったとき、その祈りが答えられたのはいつだったでしょうか。

「ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜」でした。

祈りがいつ答えられるかについて悩まないでください。

私たちの時には答えられません。神の時に答えられるのです。

私たちの祈りの答えは、私たちが予想もしていない「前夜」に訪れます。

イスラエルの民はエリコの町を何周したでしょうか。

6周目までは何も起こりませんでした。7周目をまわったとき、奇跡が起こりました。

目に見えるしるしもなく、祈った通りに答えられないとしても心配しないでください。

祈りの答えは「前夜」になされるからです。

ナアマン大将がヨルダン川に6度入ったときまでは、いやされませんでした。

7度目にヨルダン川に入ったときに、重い皮膚病はいやされました。

エリヤが6度祈ったときまでは、空には何の変化もありませんでした。

7度目に祈りはじめたときに、雲が現れ、彼は大雨の音を聞きました。

ペトロはその前夜、どのような状況にいたでしょうか。二人の兵士の間で寝ていました。

ペトロは逃げられないように二本の鎖でつながれ、二人の兵士が隣で番をしていました。

外にはだれがいたでしょうか。番兵たちが戸口で牢の監視をしていました。

これらはペトロが脱出することは絶対に不可能だったということを意味しています。

神は私たちに奇跡を体験させるために、時には逃げ場もない状況に私たちを置かれます。

そして、人の手や世の方法ではなく、神の方法での問題解決を経験させてくださいます。

不可能な状況のせいで挫折しないでください。寄りかかる壁がないからと言って涙を流さないでください。

進展がないからといって悩まないでください。

あなたの計画に合わないからといって、絶望したりあきらめたりしないでください。

私たちが信じて祈るなら、神が神の時に働いてくださいます。

私たちが祈り、待つならば、神が「前夜」に答えてくださいます。



「オリゲネスの祈り」


イエスよ、私の足は汚れています。

どうか、しもべとして私のもとに来て、桶に水を入れ、私の足を洗ってください。

このようなお願いをするのは、私の分を超えていることは知っています。

しかし、私は、あなたとの関係がなくなることを恐れます。

それは、あなたが、「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません」とお語りになられたからです。

どうか、私の足を洗ってください。私は心からあなたとの交わりを求めております。


「水野源三の詩」


朝祈る前に 夜寝る前に

神は愛なり 神は愛なりと

心の中で となえてみよう

涙ぐむ人に うなだれる人に

神は愛なり 神は愛なりと

祈りを込めて 話しかけよう

苦しみの夜に 悲しみの時に

神は愛なり 神は愛なりと

まぶたをとじて 思いめぐらそう

御恵みによりて 集ったならば

神は愛なり 神は愛なりと

声を合わせて 讃美しよう



「完成を目指して」

by J・オズワルド・サンダース


もし、私が夏しか知らなかったら、

  主の言われる「雪よりも白く」という意味が、

  どうしてわかっただろうか。

もし、輝きに満ちた日しかなかったら、

  美しい神の国に行き、

  「涙をぬぐい取って下さる」と

  どうして言えたであろうか。

もし、疲れることを知らなかったら、

  「その愛する者に眠りを与える」という

  御言葉を心に留めておくことができただろうか。

もし、自分の墓が無かったら、

  虚しい道ばかり追っていて、

  永遠の命を思わなかっただろう。

冬も、涙も、疲れも、墓さえも、

  私を祝福する神の道なのだ。

  私がそれを不幸と呼んだとしても、

  それはなお、私に生を示してくれ

  愛のほか何ものでもないのだ。


「花」
by ジョージ・ハーバート

おお、主よ、再び私の許に戻り給うた主よ、再び主に

めぐりあえたこの喜びの、なんと爽やかなこと!春の花に

再び会えた思いなのです。花に会えた喜びは勿論のこと、

過ぎ去った冬の寒さを思えば、その喜びはさらに深まるのです。

苦しみが五月の

雪のように解けてゆき、

この世に寒さがあることさえ嘘のように思われるのです。


私の凋んでいた心が再び緑に萌えだすとは、いったい

誰が想像しえたでしょうか?朽ちた私の心は、

土の下に埋もれていたのです。それは盛りを過ぎた花が、

その母なる樹の根元に散りしいてゆくのに似ています。

そこでは花たちは身をすりよせ、

厳しい冬の間、よそ目には死んだように

見えながらも、ひっそりと生きのびてゆくのです。


おお、力なる主よ、私は主の御業を賛美します。主は、

私たちを殺すことも生かすことも、地獄に落とすことも天国に

昇らせることもお出来になるのです、それも須臾の間に。

そしてまた、弔鐘の音でさえ美しい調べに変えることも……。

私たちは、愚かにも、あれこれと

勝手に決めることもしばしばです。もし

私たちに正しく理解できれば、御言葉こそすべてなのに!



できれば無常を超え変化を超えたい、朽ちざる花の咲く

楽園の人になりたい、とかつては私も願ったのです!

くる朝も、くる朝も、上に昇ることを心がけ、ひたすら

天を仰ぎ営々と苦しみながら、そこに達したいと願ったのです。

私のこの花も、そうです、私という花も、

春雨に欲しないわけではなかったのです、

この身が罪に塗れていたにもかかわらず!



ですが、私が終始天をめざし、ひたすら高きを窺い、

首尾よく天国に達しえたと思った瞬間、私は主の御怒りにふれ

たちまち失意のどん底に沈みました。どんな酷寒も、

御怒りの厳しさには比ぶべきもありません。どんな極地も、

いわば酷熱の砂漠と同じです。

主が御心をそむけ、憤怒の色を

いささかなりともお示しになるときには!おお、主よ!



そして、今、年老いた私に蕾が芽生えてきたのです!

多くの死の苦しみを経て、今、私は蘇り、詩を書いております。

再び朝露と雨の匂いをかぎながら、こうやって、

詩を書く喜びに浸かっております。おお、私の唯一つの光よ、

光なる主よ、まさかこの私が

一晩中主の御怒りのあの

激しい嵐に苦しんでいたあの人間と同じ人間だとは!



愛の主よ、私は主の御業を讃美します。主は、私たちが

人知れずそっと朽ちてゆく花であることを、教えておられます。

私たちがこのことを心の底深く悟るとき、

主は私たちの住むべき楽園を与え給うのです。そして、

自らの力を恃み、さらに高きを

望むものは、傲慢に災いされ、

その楽園を失うことを、私たちに教えておられるのです!


『御霊の神よ 働きかけて』
水野源三


いくらみ言葉を聞いても

理解できないあのともに

御霊の神よ 働きかけて

救いの御業をなしたまえ


ますますかたくなになって

素直になれない心に

御霊の神よ働きかけて

救いの御業をなしたまえ


どうしてもナザレのイエスを

主と呼べない者に

御霊の神よ働きかけて

救いの御業をなしたまえ




『私のための神の計画 』
作者不詳


キリストの裁きの座に立ったとき、 

私の人生に対する神の御計画が映し出されたとしたら・・・ 

神様の方法を選ぶこともできたのに 

私は神を無視していたとしたら・・・ 

御心に従っていなかったとしたら・・・ 

イエス様の目に涙が浮かぶでしょうか。 

主を悲しませた私を神はなおも愛してくださるでしょうか。 

主は富むものとしてくださったのに 

私は貧しいものとしてそこに立っているのでしょうか。 

すべてを剥ぎ取られ、 

ただ神の御恵みだけによってそこに立っているのでしょうか。 

走馬燈のように記憶が駆け抜ける 

もう二度とやり直しのきかない事どもを。 

荒れはてた私の心 

傷つき、涙もかれはてて。 

手のひらを広げて顔をおおう 

冠をいただけなかった頭を垂れて。 

これからの人生を、主よ、御手にお委ねします。 

私をお受け入れください。 

私を砕いて、 

あなたが御計画されたとおりに造りかえてください。


『老ヨハネの独語』
作者不詳


私は老いていく
主のみふところに幾たびか寄りかかったこの頭は 白く霜をいただき

主のお供をして歩んだこの足は もはや歩む力すらない。

私はすでに老いてしまい 

親しい友の顔さえも思い出せないほど 全く老い果てた。


しかし、唯一つなつかしい御顔 

語り給うた御ことばの一つ一つが

他のすべてが失せゆくにつれ いよいよ鮮やかに浮かびくる

生きている人々よりも 

去りてまた生き給いし御者と共に 私は親しく交わっているのだ


70年ばかり前であった 私はガリラヤ湖で漁夫をしていた

ある夕暮れのこと あの御方が来られ私を呼ばれた

あの神々しい御顔を 私は仰ぎ見た

永遠のロゴス 受肉せる愛が 

完全に私をとらえ 私は彼のものとなった


彼と共に歩みし日の 何と聖かりしことよ 

されど主よ、今私は老い衰え弱りました。

御腕もて強く抱き給え! 黄昏は近づきました。


わが子たちよ、今一度私を教会に運んでくれ 

主の愛を今一度私は語りたい

神はその独り子を賜うほどに世を愛し給うた 神は愛なり。

このゆえに汝らも互いに相愛せよ

私がのこす形見はこれだけだ 私の使命は終わったと感ずる


人は私のことを何と呼んでいる 「聖ヨハネ」 否とよ

「イエス・キリストに愛された者」と言ってくれ 

また「子供らを愛する者」と。


私を横にしてくれ 東の窓を開けてほしい 

視よ、光が差し込んでくる。

きこえる! 羔をたたえる歌声が


あの輝く道から来る一群は ああ歓喜! 11人だ。

ペテロが先頭だ。 皆の顔に微笑が輝いている。

過越の羔の食卓はこれで揃った 私の席は主のみそば 

おお 私の主よ 私の神よ


ああ何と輝いておられることよ しかしガリラヤの昔と同じ愛の主

この至福を味わう瞬間 おお私は満ち足る

愛する主よ、今こそ 御身のふところに私を抱き給え!

私はいついつまでも そこにおります


『沈黙しよう』
ディートリッヒ・ボンヘッファー


沈黙しよう み言葉に耳を傾ける前に。

私たちの思いはすでにみ言葉に向かい合っているのだから。

沈黙しよう み言葉を聞いた後に。

それは私たちの中に生きて住み、なお語り続けるから。

沈黙しよう 暁に目覚めた時。

最初に聞こえてくるのが神からの言葉であるように。

沈黙しよう 夜、眠りにつく時。

最後に聞こえてくるのが、神からの言葉であるように。




『すべてが辛い時』 
by ヘレン・スタイナー・ライス


いちばんよくご存知な神様

 私たちにとって何が一番よいのか父なる神様はご存知で

 不平を抱くことがあるでしょうか



 私たちはいつも日の光を恋しがるけど

 雨が降らなければならないことを神様はご存知で

 私たちは笑い声や歓楽を愛するけど

 もし一滴の涙も知らなければ

 心の中の潤いは消えるでしょう。


時には辛さと悲しみで

 私たちを試みられる神様

 その試みは罰ではなく

 明日を迎えろと私たちを励ましてくださる。


 暴風に打ち勝てば

 育っている木々は力を得

 鑿で鋭く抉れば

 大理石が美しさと形を現すように

 神様はむやみに私たちを傷つけたりなさらず

 私たちの痛みを見捨てられず

 何かを取り去れば、またいっぱいに満たしてくださる

 こんなにも惜しげなく与えてくださる祝福を思うと

 不平をいう理由も

 悲しむ時間もありません。


父の私たちへの愛は変わることなく

 魂の痛みが必ず必要なときには

 喜びをくださることはなく

 苦脳が押し寄せ、すべてが辛いとき

 それは私たちの中で神様が働かれ

 私たちの魂を堅くしてくださるときだと。





イエスさま、私がどこにいても、あなたのかおりをはなつことができますように、

私を助けてください。


私の心をあなたの霊といのちであふれさせてください。

私の存在に浸み通り私を捕らえつくすことによって私の生活のすべてが、

ひたすらあなたの光をかがやかすものとなりますように。


私をあなたの光をかがやかせるものとしてお使いください。

私が出合うあらゆる人々が、私の中にあなたのみ姿を感じることができますように、

私のうちでかがやいてください。


主よ、人々がもはや私でなく、あなただけを見ますように。

私の中におとどまりください。そうすれば私があなたの光でかがやき、

私の光で他の人々もかがやくことができるのです。


主よ、光はすべてあなたからのもの、ごく僅かの光でさえ、私のものではありません。

あなたが私を通して人々を照らしておられるのです。


私の周囲にいる人々を照らすあなたへの賛美を私の唇にのぼらせてください。

言葉でよりも行動で、私の生き方、あなたから与えられる私のあなたへの愛が、

目に見える光となって、あなたを人々にのべ伝えることができますように。



スポルジョンの祈り


呼吸の一つ一つが、あなたのためでありますように。

毎分があなたのために費やされますように。

命の続く限り、本当の意味で生きることができますように。

そして勤勉な者となるよう求められているがゆえに、

私たちがこの世で忙しく労する間にも、あなたの奉仕のために、この世を聖別できますように。

私たちが社会において一塊の塩となり、

この霊や性質や言葉が、天国を思わせるものとなりますように。

私たちが去った後に、この世が以前よりも良くなるような、

そんな影響力を携えることができますように。

主よ、こらの願いを聞き届けて下さい。



ロヨラの聖イグナチオの祈り

主よ、私の自由、記憶、理解、意思のすべてを手に取り、受け取って下さい。

私のすべてと私の持つすべては、あなたが下さったものです。

そのすべてをあなたに明け渡します。どうか、御旨のままになさって下さい。

ただあなたの愛と恵みを下さい。

それがありさえすれば私は豊かであり、それ以上は何も望みません。

アーメン。



トーマス・マートンの祈り

主なる神よ、私は自分が何をしているのかさっぱりわかりません。

前方には道が見えません。

どこにたどり着くのか定かではありません。

自分自身のこともよくわかりません。

あなたの御旨に従っているとは思いますが、それでさえ、実際にそうしているとは限りません。

けれども、あなたに喜んでいただきたいという願いは、実際にあなたを喜ばせるのだと信じます。

ですから、私が何をするにも、その願いを持って行えますように。

その願いなしには、どんなこともしませんように。

そうするなら、私は何も知らなくとも、あなたが正しい道に導いて下さるとわかるのです。

ですから、たとえ死の影の谷で道に迷ったように思えても、どんなときにもあなたに信頼します。

私は恐れません。あなたはいつも私と共におられ、

私を一人きりで危険に直面させることは決してないからです。



フランシスコ会の祝祷


容易な答、半端な真実、うわべだけの人間関係に対し

神があなたに不快感という祝福を与えられますように。

そうすれば、あなたは心の奥深くで生きるようになるでしょう。


人に対する不正、抑圧、搾取に対し

神があなたに怒りという祝福を与えられますように。

そうすれば、あなたは正義と自由と平和のために働きかけるでしょう。


痛み、拒絶、飢え、戦争に苦しんでいる人たちのために流す涙を

神があなたに祝福として与えられますように。

あなたが手を差し伸べて人々を慰め

彼らの痛みを喜びに変えることができるように。


世界をより良くできると信じるだけの愚かさを

神があなたに祝福として与えられますように。

人ができないと主張することを行い

すべての子供や貧しい人に正義と優しさをもたらすことができるように。

アーメン


【子どもの祈り】



 神さま、ぼくは、あなたが、せかいじゅうの子どもたちをまもってくださる、いいかただと知っています。

 神さま、とってもたいせつなおねがいがあります。ぼくをテレビにしてください。
 そうすれば、お父さんとお母さんは、テレビとおなじくらいぼくのことをたいせつにしてくれるでしょう。


 そうすれば、お母さんが大すきなドラマをみたり、お父さんが大すきなニュースやスポーツをみるのとおなじくらいねっしんに、ぼくのことをみてくれるでしょう。

 そのときぼくは、アナウンサーのようにはなしたいな。なぜって、アナウンサーがはなすとき、いえ中がだまってねっしんにきくんだよ。

だあれもおはなししないんだ。

 テレビがこわれたとき、お父さんとお母さんは、すぐにしゅうりやさんをよびます。ぼくにも、そんなふうにしてほしいな。

 ぼくは、テレビになりたい。お父さんとお母さんのいちばんの友だちや、ふたりが大すきなドラマのしゅじんこうになるために。

 かみさま、どうかぼくをテレビにしてください。たった一日だけでいいから…。



ホラティウス・ボーナーの祈り


私はもしできるなら、

私の行く道を選びたくはないのです


正しい歩みができるように

神よ 私に代わって 選んでください



求めているのは あなたの御国です

そこまでの道を

私の歩んで行く道としてください

そうでなければ 私は迷ってしまいます


私の杯を満たしてください

喜びをもって また悲しみをもって

ただ あなたのよいと思われるように

私の益も 損も 選んでください



私のため 代わりに選んでください

私の友 私の健康 そして私の病を

私の悩みを 選んでください



私が選ぶのではなく あなたが選ぶのです

小さなことも 大きなことも

あなたが私の導きとなり 力となり

私の知恵 私のすべてとなってください
「主の祈り」(新改訳聖書)



天にいます私たちの父よ。

御名があがめられますように。

御国が来ますように。

みこころが天で行なわれるように

地でも行なわれますように。

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

私たちも、私たちに負いめのある

人たちを赦しました。

私たちを試みに会わせないで、

悪からお救いください。

国と力と栄えは、とこしえに

あなたのものだからです。

アーメン。

 

LORD'S PRAYER (欽定訳聖書 1662年)
 
 
Our Father, which art in heaven,
 
hallowed be thy name;
 
thy kingdom come;
 
thy will be done,
 
in earth as it is in heaven.
 
Give us this day our daily bread.
 
And forgive us our trespasses,
 
as we forgive them that trespass against us.
 
And lead us not into temptation;
 
but deliver us from evil.
 
For thine is the kingdom,
 
the power, and the glory,
 
for ever and ever.
 
Amen.
 

 

「あなたの人生のかぎは神が握っておられる」 
(作者不詳)


あなたの人生に

解決すべき問題がありますか。

あなたの人生は

不可解に満ちていますか。

隠れている事を明るみに出される神は

すべてをご存知です。

神はかぎを持っておられます。


父なる神の御手によって

閉ざされた戸があるでしょうか。

あなたは、それが広く開かれるのを

望んでいたでしょうか。

神に信頼し、神を待ち望みなさい。

なぜなら、神が戸を閉ざされるとき、

かぎを持っておられるからです。


まだ答えられない熱心な祈りがありますか。

あるいは、あなたの期待のようには

答えられなかった祈りがあるでしょうか。

神はやがて、ご自分の目的を

明らかにされるでしょう。

神はかぎを持っておられます。


あなたの神を忍耐強く待ち望みなさい、

あなたの忍耐強い神を待ち望みなさい。

知恵に満ち、すべてを知っておられ、

遅れることのない神は

あなたの将来の生活の

すべてのかぎを持っておられます。


神が一つ一つの戸のかぎを

持っておられるということを知ることは、

尽きない慰めと

すばらしい祝福に満ちた安息を与えます。

神は、最もよいと見られるときに

あなたにそのかぎを与えられます。

 

「ハイジのうた」
 
 
み心のままにゆだねよう
 
すべてを知るそのかたに
 
みわざははかりしられず
 
おどろくこともあろう
 
ときには やむをえず
 
深いおぼしめしから
 
きびしいこころみに
 
あわせたもうこともある
 
 
しかも なぐさめとて
 
しばしはさずけたまわず
 
もはやうち捨てられ
 
かえりみられぬものと
 
苦しみなやみに
 
胸はおののくばかり
 
 
されど つねにおそれず
 
みもとにとどまれ
 
思いもよらぬときに
 
すくいはおとずれ
 
心はつらい重荷から
 
ときはなたれるだろう
 
このうえない耐えがたい
 
その重荷から
 
 
『ハイジ』(J・シュピーリ)より
 
 
 
「病まなければ」 河野進
 

病まなければ 捧げ得ない悔い改めの祈りがあり

病まなければ 聞き得ない救いのみ言葉があり

病まなければ 負い得ない恵みの十字架があり

病まなければ 信じ得ないいやしの奇跡があり

病まなければ 受け得ないいたわりの愛があり

病まなければ 近づき得ない清い聖壇があり

病まなければ 仰ぎ得ない輝く御顔がある

おお 病まなければ 人間でさえあり得なかった
 
 
※ 河野進 1904(明治37)年生まれ。岡山倉敷の玉島教会牧師。キリスト教社会運動家で有名な賀川豊彦の薦めにより、
岡山ハンセン病療養所における慰問伝道に50有余年をささげた。1990(平成2)年、86歳で召天。
 
 
 

「中国のある殉教者の残した詩」


本当の主の働きというのは、

命が流れ出てくるようなもの


奉仕と言えるようなものがあれば、

それは、キリストが生き生きと現われ出てくる、そういうものだ


自分自身を神にささげるということは、

神のために何かの働きをするということではない

神様ご自身に働いていただくということ


すべて、神様に働いていただいていないならば、

それは、神のために働きができているとは言えない


神様 私を、神様を愛する者にしてください

そして、人からの感動や敬意を受けることがありませんように


神様 私に仕えさせてください

でも、そのために賞賛を受けてしまうことがありませんように


神様 私に力を尽くさせてください

でも、覚えられることがありませんように


神様 あなたのために、苦しみを受ける者とさせてください

でも、人に見られませんように
 
 

 
「キリストを知るためだと分かりました」 水野源三

 
病に倒れたその時には 涙流して悲しんだが

霊の病いやしたもう キリストを知るためだとわかり

喜びと感謝に変わりました



友にそむかれたその時には 夜も眠れずに恨んだが

とわに変わらない友なる キリストを知るためだとわかり

喜びと感謝に変わりました



過ち犯したその時には 心を乱してくやんだが

すべてをば 償いたもう キリストを知るためだとわかり

喜びと感謝に変わりました

 
瞬(まばたき)の詩人 水野源三

1937年坂城町に生まれ。9才の時、赤痢による高熱で脳性麻痺にかかり、以来寝たきりで言葉を話すこともできなくなった。12才の時、初めて聖書に触れ、13才で洗礼を受けクリスチャンになった。
母の手助けで、五十音図を瞬きで指定する方法で、多くの詩を作る。1984年、47才で天に召された。
 

「押さえつけられて」 by V・レイモンド・エドマン

 

押さえつけられる 極限まで 限度まで

押さえつけられる 到底耐え得ぬまで

押さえつけられる からだとたましい

押さえつけられる 波は心の暗やみに高くうねる

押さえつけられる 敵だけでなく 友にまで

押さえつけられる 今や自分の命の果てるまで

押さえつけられて 神のほかに助けなきことを知り

押さえつけられて 懲らしめのむちを愛することを知り

押さえつけられて まとえるものなき自由を得

押さえつけられて かなわぬものをなしたもうを信ずる

押さえつけられて 主のうちに生きることを学び

押さえつけられて キリストのいのちにあふれて日を送る




「ジム・エリオットの祈り」
 

 父よ、私を弱めてください。

世のものすべてを握りしめるこの手をゆるめることができるように、

わが生涯、わが名声、わが財産を掴んでいるこの手の握力を、

主よ、どうかゆるめさせてください。

いいえ、父よ、むさぼりの心を失くさせてください。

何回となく私は手を放しても、結局は”無害”な欲求というむさぼりで

手放したものに見合うものを手に入れてしまったのでしょうか。

ああ、むしろ私の手をカルバリーの釘をさされるために開かせてください。

キリストの手が開かれたように。

そして、すべて手放すことによって私を今縛っている

すべての鎖から放たれることができますように。

御子は、しがみつくべきこの世のもののことではなく、

天国を、神とともなることを思っておられました。

それゆえ、私の手の握りも開かせてください。
 
 
”ジャングルの殉教者”こと、ジム・エリオット(1927~1956年)。
1956年、28歳の時エクアドルのジャングルでアウカ族の槍に命を奪われた宣教師

 


「エリザベス・エリオットの祈り」


愛する主よ、天の父よ、
 
今日、わたしは自分の存在、持ち物、働き、
 
そして苦しみのすべてをあなたにささげます。

それらのすべては今より永遠に至るまであなたのものです。

主よ、あなたの聖なる御旨を知り、
 
そのすべてを行い得るように恵みを与えてください。

わたしの心を清め、思いをさぐり、願いを正しく導いてください。

御霊の力を受け、今日の働き、問題、喜びのすべての中で
 
心からの賛美をささげ、単純に信頼し、すぐに従って、
 
わたしの人生を生きた聖なる供え物としてささげることができますように。

わたしの主、わたしのすべてであられるイエス・キリストの御名によって、
 
アーメン。
 
 
ジム・エリオットの元妻。殉教した夫の跡を継ぎ、宣教師となり、夫を殺したアウカ族を赦し、
彼らに福音を宣べ伝え、全部族を救いに導く。その彼女の名刺に印刷された祈りの言葉。
 
 

『ただ神を待ち望め』(フリーダ・ハンブリー)


 
ただ神を待ち望め。わがたましいよ、静まれ。
 
そして、お前の神の全き御旨を見させていただくのだ。
 
この一年の間ずっと、喜びつつ主に従え。
 
喜びをもって心の耳を主に傾け、その御声を聞け。
 
神の御支配のままに、常に御霊に導かれ、
 
喜んで主の楽しき御用に当たる、従順な器となれ。


そして静まっていよう。
 
お前がそうすることによって初めて主は、
 
そのみこころの願うところを、お前の内に実現することがおできになるのだから。
 
おお、御計画通りに器を作られるその御手を、妨げることなどないように。
 
神の御前に静まれ。
 
そうすればおまえは、御自身を待ち望む者に与えられる、
 
穏やかで清らかな安らぎを味わうことになるだろう。


するとお前は、夜のやみが最も濃い時にも、
 
主の御臨在といのち、光を身に帯び、
 
この地上におけるお前の生涯は、主の御愛を現わし、
 
主の栄光を高らかに賛美するだろう。
 
そしてお前を通して、主は、何ものにも束縛されない自由な御手をもって、
 
高貴で聖なる目的を果たされるだろう。


だが、その力強い御手は、まず初めにお前に向けられ、
 
お前の汚れが、愛の強力な火で焼き尽くされなければならない。
 
火をくぐり抜けたお前は、主の器となって出て来るだろう。
 
もろい、空っぽの器として。
 
だが、主がそのお前のむなしさの中に、
 
御自身のいのちと御愛を注がれるゆえに、その時から神の力は、
 
お前を通して働き、主が、お前のためにみわざをなして下さるのだ。


立ち止まれ。
 
そして、神がお前のために勝利を収められるのを見よ。
 
お前の神は黙々と、だが何ものにもとどめられることなく、
 
不可能なわざを成し遂げられる。
 
おお、それゆえにこれから後は、
 
自分に何ができるかと問うのをやめよ。お前にできることは何もないからだ。
 
しかし主は、人の力に及ばぬところ、
 
お前の精一杯の努力が徒労に終わったところで、そのみわざをなして下さる。


それゆえ、わがたましいよ、静かに待ち望め。
 
お前の神が、お前のために、その全き御旨を成就して下さるからだ。
 
お前が、主から受け取ろうとしさえすれば、
 
主の最も良きものが、今から後、永遠にお前のものだ。
 
 


「ハドソン・テーラーの祈り」


どんな人の生涯にも

先を急ぐことも道を開くこともやめ

大きなわざをなすこともやめ

休まなければならない時がある。

主権者のみこころのままに

じっと立ち止まるべき時がある。

熱気を帯びた語り合いをやめ

ため息をつくこともせず

荒野の叫びを上げることをやめて

ただ黙っていなければならない時がある。

主権者のみこころのままに

じっと静まる時がある。

休止と沈黙が声を合わせて

静かに絶えず二重唱を歌うのだ。

おお、人のたましいよ

神のご計画には休みがない、

人の助けを求めることもない。

   立ち止まって、見よ、

   静かにして、悟れ。


 ジェームズ・ハドソン・テーラー(1832~1905年)は、宣教師、中国奥地宣教団(現:OMFインターナショナル)の創立者である。 テーラーは中国で51年を過ごした。彼が開始した宣教団体は、800人の宣教師を呼び、125の学校を開校し、18,000人の回心者を生んだ。
 
 
 

「リンカーンの祈り」
 
 
神よ、私と共にいてくださいとは祈りません。
 
私がいつも、あなたと共ににいることができるようにお助けください。
 
 
南北戦争中の祈り
 

「The Serenity Prayer」


O God, give us

Serenity to accept what cannot be changed,

Courage to change what should be changed,

And wisdom to distinguish the one from the other.



「静穏の祈り」

 
おお神よ、

変えることのできないことを受け入れる静穏と、

変えるべきことを変える勇気と、

そして、その両者を見分ける知恵とを

我らに与え給え。


作:米国の神学者・倫理学者ラインホールド・ニーバー(Reinhold Niebuhr:1892~1971)

私訳:カズ(Kaz:1971~)
 

「マザー・テレサのことば」
 

人々は、理性を失い、非論理的で自己中心的です。
    それでも彼らを愛しなさい。

 もし、いいことをすれば、人々は自分勝手だとか
 何か隠された動機があるはずだ、と非難します。
    それでもいい行いをしなさい。

 もしあなたが成功すれば、不実な友と、
 ほんとうの敵を得てしまうことでしょう。
    それでも成功しなさい。

 あなたがしたいい行いは、明日には忘れられます。
    それでもいい行いをしなさい。

 誠実さと親しみやすさはあなたを容易に傷つけます。
    それでも、誠実で親しみやすくありなさい。

 あなたが歳月を費やした建物が、一晩で
 壊されてしまうことになるかもしれません。
    それでも建てなさい。

 ほんとうに助けが必要な人々ですが、彼らを助けたら
 彼らに襲われてしまうかもしれません。
    それでも彼らを助けなさい。

 持っている一番いいものを分け与えると、
 自分はひどい目にあうかもしれません。
  それでも、一番いいものを分け与えなさい。
 
 
マザーが創立した孤児の家の壁に記された言葉
 

 「マザー・テレサの祈り」

 
 
イエスよ、私をお救いください

 愛されたいという欲望から

 ほめられたいという欲望から

 名誉を得たいという欲望から

 称賛されたいという欲望から

 人よりも好かれたいという欲望から

 相談されたいという欲望から

 よく思われたいという欲望から

 人気を得たいという欲望から

 屈辱を受けるという恐れから

 軽蔑されるという恐れから

 非難されるという恐れから

 中傷されるという恐れから

 忘れ去られるという恐れから

 ひどい扱いを受けるという恐れから

 嘲笑されるという恐れから

 疑われるという恐れから
 
 

「ぼくは選ぶ」
 
 
ぼくは愛を選ぶ・・・・・

いかなる場合でも、憎しみを正当化することはできない。

どんな不当なことでも、憎悪の正当な理由とはならない。

ぼくは選ぶ。

今日、ぼくは神と、神が愛しておられるものを愛そう。


ぼくは喜びを選ぶ・・・・・

ぼくは、神にどんな状況をも支配してくださるようにお願いする。

ぼくは、神と人を信じないすねた生き方を拒む。

頭でっかちで何もしない人の道具になることを拒む。

どの人も神が創られた人間なのだと、

どんな問題も神と出会うチャンスなのだと、

そう思えない生き方を拒む。


ぼくは平安を選ぶ・・・・・

ぼくは赦されて生きる。

赦されて生きるために、ぼくも赦そう。


ぼくは寛容を選ぶ・・・・・

この世界の不便さを大目にみよう。

ぼくの場所を奪おうとする人を呪うかわりに、自分からそう勧めよう。

長く待たせすぎると文句を言うかわりに、

祈る時間が与えられたことを神に感謝しよう。

また仕事を言いつけられたと拳を握りしめるかわりに、

喜びと勇気をもってそれに取り組もう。


ぼくは親切を選ぶ・・・・・

貧しい人に親切にしよう。彼らはひとりぼっちだからだ。

お金のある人に親切にしよう。彼らは不安だからだ。

不親切な人に親切にしよう。

なぜなら、神がぼくをそう扱ってくださっているからだ。


ぼくは善意を選ぶ・・・・・

不正なお金を受け取るくらいなら、文無しでいい。

自慢ばかりで、おごりたかぶるよりも、見落とされるほうがいい。

人をなじる前に自分が告白しよう。

ぼくは善意を選ぶ。


ぼくは誠実を選ぶ・・・・・

今日、ぼくは自分のした約束を守る。

ぼくに貸しのある人は、ぼくを信頼しても後悔することはない。

ぼくの同僚は、ぼくの言葉を疑問に思うことはない。

ぼくの妻は、ぼくの愛を疑うことはない。

ぼくの子どもたちは、

お父さんが家に帰ってこないんじゃないかと心配することは、

決してない。


ぼくは柔和を選ぶ・・・・・

力ずくで勝ち取れるものは何もない。ぼくは柔和を選ぶ。

ぼくが声を張り上げるのは、賛美のときだけでありますように。

ぼくが手をぎゅっと握りしめるのは、祈るときだけでありますように。

ぼくが、何かをするように迫るのは、自分自身に対してだけでありますように。


ぼくは自制を選ぶ・・・・・

ぼくは霊的な存在だから、

この身体が死んだら、ぼくの霊は天に昇る。

ぼくは朽ち果てるものが永遠を支配することを許さない。

ぼくは、自分を制することを選ぶ。

ぼくは喜びにのみ酔い、

自分の信仰にのみ燃え上がり、

神だけに影響を受け、

キリストだけから教えを受ける。

ぼくは自制を選ぶ。


愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制*―

ぼくは、これらのものに、ぼくの一日をささげる。

うまくいけば、神に感謝し、

もしも失敗したら、神のあわれみを求める。

そして、今日の終わりには、

枕に頭をのせ、ぼくは安らかに憩うのだ・・・・・。


マックス・ルケード
 When God Whispers Your Name
 

 
「小さな黒い犬」
by エリザベス・ガードナー・レノルズ
 
 
私はひそかに思う、キリストは

小さな黒い犬を持っておられたろうか、と。

からだじゅうがちぢれ毛でおおわれ、

二つの柔らかい耳

湿った丸い鼻

そして、二つ輝く優しい褐色の目の

私の持っているような犬を。


私は確信する、

もし彼が持っておられたなら、

その小さな黒い犬は

初めから、彼の神なることを

知っていたということを。

その犬にとって、

キリストが神であられるという

証明は必要でなく、

ただ彼の歩まれた地を

敬慕していたということを。


私は恐れている

キリストはそんな犬を

持たれなかったのではないか、と。

主が園にひとり祈られたこと、

主の友や弟子たち

それに、岩と呼ばれたペテロでさえも

逃げてしまったという記事を読んで。


おお、私は確信したい、

この上なく優しいあたたかい心の

小さな黒い犬が、

主がひとりお苦しみになるままに

してはおかなかったであろうことを、

御腕の下にはい寄ったであろうことを。


犬は、苦悶のうちに組み合わされている

愛の指をなめ、

すべての好意を損と考え、

人々が主を連れ去ったとき

そのあとに従って行き、

十字架に至るまで従ったことだろう!

 

 
「ある年老いた黒人の祈り」

 
おお、主よ、
 
きょう、あなたと私がいっしょに処理することのできないような問題が
 
一つも起ころうとしてはいないということを、
 
私が覚えることができますよう、助けてください。
 
 

「私たちふたり」 by L・B・カウマン


私はそれを、ひとりではできない。

波が高いから、

そして、冷たい霧が一面にたれこめ

光が大空に消えて行ってしまうから。

しかし、私は知っている、

私たちふたりが

最後に勝利を得るということを。

             ―イエスと私


私は、私だけの力で

荒れ狂う海に漂うボートを

こいでは行けない。

しかし、私のかたわらには

もうひとりのかたがすわって

私とともにこぎ、かじを取っておられる。

私は知っているのだ、

私たちふたりが

安全に港にはいることを。

            ―彼の子供と彼


臆病で、強情で、弱い私は、

変わりやすい空のように変わる。

きょう、この上なく熱心で

勇敢であるかと思うと、

あすはもう努めようともしない。

しかし、彼は決して屈服されないのだ。

そして、ふたりは勝利を得る!

              ―イエスと私


彼は強く、優しく、真実で、

私のためにひとたび十字架にかかられた。

私は知っている、

たとえ、私がどのようであっても

彼は決して変わられることはない、と。


しかし、彼の言われるすべてを

私は行なわなければならない。

罪から常に離れていなければならない。

そして、私たちは私たちのコースを走り、

ついにホームに到着するのだ。

               ―彼の子供と彼
 
 

「御心が行われますように」 (作者不詳)



日は暗く、空は曇り、

私の計画がことごとく挫折してしまった時、

愛する主よ、私にかく言う力をお与えください、

御心が行われますようにと。


絶え間なく悩みが襲いかかり、

苦しみで私の心がひるむ時、

心を鎮めてかく祈る力をお与えください、

御心が行われますようにと。

主よ、あなたはご存知です。

幾たび私がそむき去ったかを、

御心が行われますようにと、

かく祈りたいながらも


教えてください、愛する主よ、

あなたの備えている道を歩むべきことを。

そして私の支えとなってください、

日ごと日ごとに御心が行われる道で。
 
 
 

「忠実な隠れた者」  by E・W・グロースマン夫人


あなたが第一線に出て行くことができない時

あなたは、忠実な隠れた者でありなさい。

神はひそかな奉仕の人々を必要とされる。

また、他の人を助ける人をも必要とされる。


少年よ、それは暗く寂しい機関室で

古いボイラーをたいているようなものなのだ。

忠実な隠れた者でありなさい。


まずひそかな祈りの場所を見いだしなさい。

あなたは、忠実な隠れた者でありなさい。


戸をしっかり閉じ、そこにとどまりなさい。

そこは力の場所だ。そこは力の場所だ。

少女よ、もし家庭において、台所において、

あなたがあなたの召しを見いだすなら、

将来を形造る力が

女の手にあることを覚えて、

忠実な隠れた者でありなさい。


エリヤは荒野において

忠実な隠れた者であった。

国中に飢饉を警告するために

神の隠れたエリヤは遣わされた。

それなら、もし来るべき雨を待つために

あなたがエリヤのように

ケリテ川に送られるなら、

神はあなたを守り、養い、

そしていつくしんでくださる。

忠実な隠れた者でありなさい。


あなたは、これまで

第一線で働いていたかもしれない。

そして今、忠実な隠れた人となっている。

あなたの健康はそこなわれ

あなたは働くことができない。

そのためあなたは、自分の活動の時期が

もう終わってしまったように感じている。

目を上げよ、元気を出すのだ。

あなたの時はまだ終わっていない。

神はあなたの優しい愛する方だ。

人が神に最もよく仕えるということ、

それは人の心においてなされるものだ。

忠実な隠れた者でありなさい。


「すべてを神に」 by カール・ヒルティ
 
 
すべてを神に
 
ときおり勇気がくじけようとも
 
かたく、かたく神に頼れ、わが心よ、
 
自分の勇気でなしとげたものはなに一つない、
 
おのが勇気をたのむな。
 
そうすればおまえの一生の道は転じて、
 
みめぐみが注ぎはじめる。
 
 
そうすれば、主の力はいやまさり、
 
もはや古きおまえではない
 
おまえの姿の中で、主がはたらかれ、
 
闇と光、
 
人間とキリストとが
 
ぶっつかり合うことはない。
 

 トマス・アクィナスの祈り」


私の神よ、私があなたを忘れても

あなたは私を忘れないでください

私があなたを見捨てても

あなたは私を見捨てないでください

私があなたから離れても

あなたは私から離れないでください

私が逃げだしても呼びもどし

反抗しても引き寄せ

倒れても起きあがらせてください



私の神、主よ、お願いいたします

いかなるむなしい考えによっても

あなたから遠ざかることのない目覚めた心を

いかなるよこしまな意向によっても

ゆがめられることのないまっすぐな心を

いかなる逆境にもめげず

勇敢に立ち向かう強い心を

いかなる卑しい情欲によっても

打ち負かされることのない自由な心を

主よ、私にお授けください



主よ、お願いいたします

あなたを求める意志を

あなたを見いだす希望を

信仰をもってあなたを待ち望む堅忍を

そして、ついにあなたを所有できる確信を

主よ、この私にお与えください
 
 

「マザー・テレサの祈り」
 
 
イエスさま、私がどこにいても、

あなたの香りを放つことができますように、

私を助けてください。

私の心をあなたの霊といのちであふれさせてください。

私の存在に染み透り、私を捕らえつくすことによって

私の生活のすべてが

ひたすらあなたの光を輝かすものとなりますように。

私をあなたの光を輝かせるものとしてお使いください。

私が出会うあらゆる人々が、

私の中にあなたのみ姿を感じることができますように、

私のうちで輝いてください。

主よ、人々がもはや私ではなく、あなただけを見ますように。

私の中におとどまりください。

そうすれば、私があなたの光で輝き、

私の光で他の人々も輝くことができるのです。

主よ、光はすべてあなたのもの、

ごくわずかの光でさえ、私のものではありません。

あなたが私を通して人々を照らしておられるのです。

私の周囲にいる人々を照らすあなたへの賛美を

私の唇にのぼらせてください。

言葉でよりも行動で、私の生き方、

あなたから与えられる私のあなたへの愛が、

目に見える光となって、

あなたを人々にのべ伝えることができますように。



「イエズスの聖テレジアの詩」


何ごとも心を乱すことはなく

何ごとも恐れることはない

すべては過ぎさっていく

神のみ変わることがない

忍耐はすべてを勝ちとる

神をもつ者には何も欠けるものはない

神のみで満たされる
 

「来なさい。すべてのクリスチャンよ。
御用にあたりなさい
 
by 賛美歌作家エヴァ・B・ロイド
 
 
来なさい。すべてのクリスチャンよ。

 主の御用にあたりなさい。

あなたがたの生活を主のために整え、

 あなたがたの心を一致させなさい。

喜びをもって主の宮に来なさい。

 聖なる誓いを更新しなさい。

罪と悲しみに別れを告げ、

 新しい生活に変えられなさい。


あなたがたの時間と能力をささげなさい。

 上なる神からの賜物を。

自由にそれを用いるクリスチャンが

 主の素晴らしい愛を告げるために。

来なさい、もう一度。主に仕えるため、

 十分の一とささげものを携えて。

あなたがたのわざの中に主の恵みを覚え、

 喜びをもって主を賛美しなさい。


互いに愛せよとの神のご命令は、

 すべての人に求められています。

兄弟にあわれみを施す者は、

 神の救いのご計画を映し出します。

主があわれみにより与えられた、

 その愛は神の愛。

十字架の上であなたの罪は赦され、

 喜びと平和は豊かに与えられました。


賛美と崇敬をもって来なさい。

 すべてキリストの御名を信じる者よ。

献身の思いをもって主を礼拝しなさい。

 そうすれば、恵みと愛とを受けるでしょう。

その恵みのゆえに主に栄光を、

 御霊と御言葉のゆえに主に栄光を帰しましょう。

福音の物語を繰り返し話して、

 すべての人に主の御名を聞かせなさい。

 

「ヤベツの祈り
 
 
私を大いに祝福し、
 
私の地境を広げてくださいますように。
 
御手が私とともにあり、
 
わざわいから遠ざけて
 
私が苦しむことのないようにしてくださいますように。
 
 
Ⅱ歴代誌4:10

「パスカルの祈り」①
 
 
主よ、わたしはただ一つのことを知っているだけです。
 
それは、あなたに従うのは善で、あなたに逆らうのは悪であるということがあります。

このほか、すべてのことのうち、どれがよく、
 
それが悪いかを知りません。健康と病気と、富と貧しさと、
 
この世のあらゆる事柄のうち、どれが自分に有益であるかを知りません。
 
それは人間と天使との力を超え、
 
あなたの摂理の秘密のうちに隠されている分別であります。
 
その摂理を私はあがめ、あえて探索しようとは思いません。
 
それゆえに、主よ、私をどんな時にも、あなたの御心にかなう者にしてください。
 
今のように病気をしている時には、
 
自分の苦しみの中であなたをあがめさせてください
 
パスカルの原理で有名な数学者ブレーズ・パスカル(1623~1662年)は病の床に臥したときの祈り
 

「パスカルの祈り」②


主よ いまから

あなたの御用のために

あなたとともにまたあなたにおいて

役立てる以外には

私が健康や長寿をいたずらに

願うことがありませんように。

あなたお一人が

私にとって何が最善であるかをご存じです。

ですからあなたがご覧になって

もっともよいと思われることをなさって下さい。

御心のままに私に与え また取り去って下さい。

私の意志をあなたのご意志に従わせて下さい。

そしてへりくだった まったき従順の思いをもって

きよらかな信仰を保ちつづけ

あなたの永遠の摂理によるご命令を

受け取ることができますよう

そしてまたあなたから与えられるすべてのものを

讃美することができますように。
 

「オズワルト・J・スミスの祈り」

主よ、与えて下さい。
 
失われた魂のために涙し、苦しみの中でのみ知りうる愛を。
 
ああ御前に砕かれた悔いた心を。罪人のために引き裂かれた心を。
 
主よ、味わわせてください。
 
主と同じカルバリの死の苦痛を。
 
私のいのちのうちに死を働かせ、熱い血の涙を流させて下さい。
 
御言葉を拒む者たちのために。
 
主よ、求めます。祝福ではなく、魂の救いを。
 
そのほかのものはみな虚しく、誇るべきものは何もありません。
 
主よ、この事のみを私は求めます。
 
主よ、みこころをなしてください。どのような犠牲もいといません。
 
主と共に死にまた生きるこの身。
 
ただ主のみむねのみを祈り求め、尊き魂よと叫び続けます。


オズワルト・J・スミス(1889~1986)。カナダで最も有名な牧師、世界宣教に従事。
 
 

「ジョージ・マクドナルドの祈り」①
 
 
天の父よ。あなたこそ私たちに必要なお方、
 
孤独な私たち一人一人の友となってくださる神よ。
 
 
それゆえ主よ、あなたにお会いするまで、
 
生はいまだ、その全貌を見せてはいない
 
かの朝が来るまで、私はいまだ真の私ではない、
 
永遠の朝に、目覚めるまでは。
 
ジョージ・マクドナルド(1824~1905年) スコットランドの詩人、小説家、聖職者
 

「ジョージ・マクドナルドの祈り」②
 
 
我がいのちなるキリスト、我を全く汝がものとなし、
 
我を占領し、我を小さきキリストへと造り変えたまえ。
 
我が内に汝が父の子にあるまじき何ものかあれば、
 
それいまだ、闇の支配より勝ち取り得ざりしところなり。
 
 
与えたまえ、光を。開かれしまなこもて生きんために。
 
与えたまえ、いのちを。大空より高き望み抱かんために。
 
与えたまえ、汝が聖霊を。
 
心の叫びもて、絶えず御父のみもとにゆかんために。
 
 
 

「チチェスターのリチャードの祈り」
 
 
日ごとに、日ごとに、
 
愛する主よ、三つのことを祈ります。
 
よりさやかにあなたを見まつることを。
 
より深くあなたを愛することを。
 
より近くあなた後に従うことを。
 
日ごとに。
 

 
「ラビシドラナス・タゴールの祈り」


魂が渇き 枯れたる時に 恵みの雨を降らせて

主よ 来たりたまえ。

生命より恵みが失わるる時に 歌声に満ちあふれて

主よ 来たりたまえ。

騒がしきわざが四方に起こり

彼方のみ声を閉ざす時に

沈黙の主よ

平安と休憩とをたずさえて来たりたまえ。

わが貧しき心が片隅にうずくまり

その思いを閉ざす時に

わが主よ 戸を打ち破りて

力をもって来たりたまえ。

欲望に惑わされ 塵におおわれ

心が盲目となる時に

聖なる神よ 目を覚ましていたもう主よ

み光と雷(いかずち)をもって来たりたまえ。


「私がいる」   

ナザレのイエスを 十字架にかけよと 

  要求した人 許可した人 執行した人 

  それらの人の中に 私がいる 

水野源三
 

「すべてが辛いとき
by ヘレン・スタイナー・ライス
 
 
いちばんよくご存知な神様

 私たちにとって何が一番よいのか父なる神様はご存知で

 不平を抱くことがあるでしょうか

 私たちはいつも日の光を恋しがるけど

 雨が降らなければならないことを神様はご存知で

 私たちは笑い声や歓楽を愛するけど

 もし一滴の涙も知らなければ

 心の中の潤いは消えるでしょう。

時には辛さと悲しみで私たちを試みられる神様

 その試みは罰ではなく

 明日を迎えろと私たちを励ましてくださる。

 暴風に打ち勝てば

 育っている木々は力を得

 鑿(のみ)で鋭く抉(えぐ)れば

 大理石が美しさと形を現すように

 神様はむやみに私たちを傷つけたりなさらず

 私たちの痛みを見捨てられず

 何かを取り去れば、またいっぱいに満たしてくださる

 こんなにも惜しげなく与えてくださる祝福を思うと

 不平をいう理由も 悲しむ時間もありません。

父の私たちへの愛は変わることなく

 魂の痛みが必ず必要なときには 喜びをくださることはなく

 苦脳が押し寄せ、すべてが辛いとき

 それは私たちの中で神様が働かれ

 私たちの魂を堅くしてくださるときだと。」

あなたが置かれた現実がとても厳しいからといって、

気落ちしないでください。

神様はあなたの生涯を美しく造られるのですから


「メアリー・D・ジェイムズの詩」


すべてをイエスに、すべてをイエスに!

あがなわれた自己存在のすべての力を、

わたしのすべての思い・言葉・行為

すべての日と時間とを。




「我らは四人」(内村鑑三)


我らは四人であった、しかして今なお四人である。

戸籍簿に1人の名は消え、四角の食台の一方は空しく、

四部合奏の一部は欠けて、讃美の乱されしといえども、

しかも我らはいまなお四人である。


我らは四人である。

地の帳簿に一人の名は消えて、天の記録に一人の名はふえた、

三度の食事に空席はできたが、残る三人より親しくなった、

彼女は今は、我らのうちにある、一人は三人を縛る愛の絆となった。


しかし我らはいつまでもかくあるのではない、

我らは後にまた前のごとくにあるのである。

神のラッパの鳴り響くとき、ねむれるものがみな起き上がる時、

主が再びこの地にきたりたもう時、新しいエルサレムが天より降る時、

我らは再び四人になるのである。

 


【解説】
内村鑑三の長女、ルツ子は19歳で結核のために天に召された。葬儀の直後に書いた内村の詩である。雑司ヶ谷の墓地で内村は、一握りの土をつかんで「ルツ子さん、万歳」と叫んだあの有名な場面からすぐ作られた詩である。娘を天に送り出す内村の復活と再臨の信仰を伝える詩である。



「中国のある伝道者の詩」


かつては 自分を表すことが好きだった

今は キリストのうちに隠されたいと願う


かつては 人にほめられることを求めていた

今は キリストに喜ばれたいと祈る


かつては 奉仕の成果を求めていた

今は 主のみこころが成し遂げられることを喜ぶ


かつては 知恵によってみことばを語っていた

今は 聖霊のみ力に頼る


かつては 思いのままに人をさばいていた

今は キリストにあって自らを顧みる


かつては 奉仕の忙しさを喜んでいた

今は 耐え忍んで待つことを学んでいる


かつては 人にほめられる絶妙なみことばの解き明かしを求めた

今は ただ 御霊の光に照らされることを喜んでいる


かつては経験によって語った

今は 聖霊の導きによって語ろうとしている




「貝殻」
エミー・カーマイケル)



砂浜に ひとつの貝殻

その向こうには 果てしない海

おお 救い主よ

あのうつろな貝殻はわたしで

大海は あなたです


寄せる波が 岸辺を洗い流すと

うずまき貝のくぼみの すみずみまで

きらめく水が入りこみ それを満たし

あふれ出ます


貝殻には なんのほまれもありません

すべての栄光は 輝かしい海に

あなたがわたしを あふれさせてくださるとき

栄光は わたしのものではありません


低く横たわるわたしを――あなたの貝殻を

洗い清めてください

あなたのみこころに この身をゆだねます

おお力強い波よ 押し流し 清め

あなたの豊かさで満たしてください



「平和の祈り」 by アッシジの聖フランチェスコ 


ああ主よ、わたしをあなたの平和の道具にしてください。

 憎しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。 

争いのあるところにゆるしを、 

分裂のあるところに一致を、 

疑いのあるところに信仰を、 

誤りのあるところに真理を、 

絶望のあるところに希望を、 

悲しみのあるところに喜びを、 

闇のあるところに光をもたらすことができますように。 

ああ主よ、わたしに、 

慰められるよりも、慰めることを、 

理解されるよりも、理解することを、 

愛されるよりも、愛することを求めさせてください。 

わたしたちは与えるので受け、 ゆるすのでゆるされ、 

自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。 

アーメン



「私は後ろを振り向かない」(J・H・ハント)


私は後ろを振り向かない。

神は実りのない努力を知っておられるから

それは無駄な時間であり

罪と後悔に終わる


私はそれらすべてを神の御前に置く

神はその記録を消し去り

恵みのゆえに赦し 

そして忘れてくださる


私は前を見ない

先のことは神がすべてご存じである

道は短くとも長くとも、ついには

私を家まで導いてくださる

そしてすべての試みに際して

いつも神が私とともに臨んでくださる

そればかりか、課せられる重荷を

神は私に代わって、背負ってくださる


私は周りを見ない

もしそうするなら、恐れが私を襲い

人生の休みなき海の騒ぎは

非常に荒々しくなる

また世界は暗くなり

争いと悪に満ちるようになる

そして慰めと安息という希望は

はかなく消えるであろう


私は自分の内側を見ない

それは私を惨めな思いにさせる

なぜなら自分の内側は

私が信頼を置くべきところがないのだ

そして、失敗と欠点

埃にまみれて、ボロボロになったはかない努力

それらのもの以外はなにもない


しかし、私は、上を見上げる

そう、イエス・キリストのみ顔に目をとめるのだ

なぜなら、そこでこそ

私の魂は休息を得、私の恐れは静まるから

そして喜びと愛と光が

暗闇にとって代わる

そこには安全な平和があり

全てを成就した希望がある



「主なるイエスを私は信じる」水野源三

主のみ姿は この目で一度も

見たことはないが 口から心に

語りつがれた み言葉により

主なるイエスを 私は信じる

 

私を罪より 死より救うため

十字架につき 命をすてさり

まことの愛を 示したもうた

主なるイエスを 私は信じる

 

悩みの坂道 登り行く時も

あわれみ昨日も 今日もいつでも

血したたるみ木で とりなしたもう

主なるイエスを 私は信じる



「ジョン・ベイリーの祈り」


天のお父様


今日の生活を通して味わうすべてのことをよく用いて、

罪の実ではなく御霊の実を刈り取るようにしてください。

失望を通して希望を、成功を通して感謝を、

不安を通して信頼を、危機を通して大胆さを、

非難を通して我慢を、称賛を通して謙遜を、

喜びを通して自制を、苦痛を通して忍耐を

学べるようにしてください。



「マルティン・ルターの詩」 


感情は、来てはまた去り 

決して頼りにならぬもの 

私が頼みにするのは、神の御言葉のみ 

他の何ものも信じるに値せず 



目に見える証拠がないではないかと 

心にとがめを感じても 

神は私の心より偉大なる方 

その言葉は決して違えることがない 



魂が肉体から離れ去る日まで 

私は神の揺るがぬ言葉に信頼する 

全てが過ぎ去ろうとも 

神の言葉は永遠に堅く立つ 




「マルチン・ルターの詩」


キリストは何も持たずに来た。

借りた家畜小屋の飼い葉桶でお生まれになり、

借りた小舟の上で神の国を語り、

借りたロバの子に乗ってエルサレムに入城し、

借りた墓に葬られた。

全世界、全宇宙を所有される方が・・・

そのキリストがあなたを自分のものとするために

あなたの十字架だけはご自分のものと主張されたのだ。

キリストは十字架の上で、自分ではないもの(罪人)になられた。

それは、私たちが自分ではないもの(義人)となるためであった。



家には一人を減じたり 楽しき団欒は破れたり

愛する顔 いつもの席に見えぬぞ悲しき

さはれ 天に一人を増しぬ 清められ 救はれ

全うせられしもの一人を

家には一人を減じたり 帰るを迎ふる声一つ見えずなりぬ

行くを送る言葉 一つ消え失せぬ

別るることの絶えてなき浜辺に

一つの霊魂は上陸せり 天に一人を増しぬ

家には一人を減じたり 門を入るにも死別の哀れにたえず

内に入れば空きし席を見るも涙なり

さはれ はるか彼方に 我らの行くを待ちつつ

天に一人を増しぬ

家には一人を減じたり 弱く浅ましき人情の霧立ち蔽いて

歩みもしどろに 目も暗し

さはれ みくらよりの日の輝き出でぬ

天に一人を増しぬ

げに天に一人を増しぬ 土の型にねじこまれて

キリストを見るの目暗く 愛の冷ややかなること

いかで我らの家なるべき 顔を合はせて吾が君を見まつらん

かしここそ家なれ また天なれ

地には一人を減じたり その苦痛 悲哀 労働を分つべき一人を減じたり

旅人の日ごとの十字架をになふべき一人を減じたり

さはれ あがなわれし霊の冠をいただくべきもの一人を

天の家に増しぬ

天に一人を増しぬ 曇りし日もこの一念に輝かん

感謝 讃美の題目 更に加はり

吾らの霊魂を天の故郷にひきかかぐるくさりの環

さらに一つの環を加へられしなり

家に一人を増しぬ 分るることのたえてなき家に

一人も失はるることなかるべき家に

主イエスよ 天の家庭に君と共に坐すべき席を

我らすべてにも与えたまえ

---セラ・ゲラルデナ・ストック作(植村正久訳)


「戦死したロシア兵の祈り」


聞いてください、神さま。

今まで、ぼくはあなたに話しかけたことなど一度もありません。

けれども、今、あなたに何かを訴えたいのです。

子どものころから、ぼくは、あなたなんかいないと聞かされてきました。

愚かにもぼくはそう信じてきました。

今まで一度もあなたのみ業について考えたことがありませんでした。

でも、今夜、頭上にきらめく星を眺めていて、人の残酷さに気がつきました。

神さま、あなたの手をぼくの上においてくださるでしょうか。

とにかくぼくはあなたに語りかける、あなたは分かってくださる。

光がぼくに出会うのは別に不思議ではありません。

ぼくはこの呪わしい夜にあなたに対面しています。

もういうべきことはありません。

とにかく、あなたを知ることができてうれしいのです。

真夜中、ぼくの隊は出撃の予定です。

でもあなたがごらんになっているので怖くはありません。

合図です。もういかなくては。

あなたと一緒で幸せでした。

もう一つ言わせてください。

あなたがご存じのように、闘いは激しく、

今晩ぼくはあなたのドアをたたきに行くかもしれません。

今まで、ぼくはあなたの友ではなかった。

それでも今夜、ぼくが行ったら中へ入れてくださいますか?

どうしてぼくは泣いているのでしょう。

神さま、あなたはぼくに何が起こったのかおわかりですね。

今晩、ぼくの目は開かれたのです。

さようなら、神さま。

もう行かなくてはなりません。

たぶん生きては帰れないでしょう。

おかしいのでしょうか、

ぼくはもう死を恐れてはいないのです。


「バプテスマを受けて」


天の神さま

過ぐる日、罪の赦しのバプテスマを受けさせていただきました

心から感謝いたします

バプテスマを受けるまえは

いろいろ迷いがありました

生涯、神さまの御旨に従って生きられるかどうか

それが心配でした

しかし、従えるか従えないかは

神さまが決めてくださるのだとさとり

信仰を与えてくださいとだけ祈りました

そして、バプテスマを授けてくださいとお申し出ました

いま私は後悔していません

むしろ喜びで一杯です

人はいうかもしれません

「バプテスマを受けたのに

何も変わってないではないか」と

それでも私は恐れません

私が変わる前に

神さまの方で扱いを変えてくださったからです

ゆるされて

神の子として扱われる幸いが胸にしみます

黒から白へというほど激しく変わらないかもしれませんが

少しずつ、少しずつ、ゆるされた者として

変わっていくことができますように

主にあって


『河野進の詩』


朝が来ない 夜はない

春にならない 冬はない

晴天に消されない 雨雲はない

山頂につづかない 谷底はない

幸いにみちびかれない 禍はない

感謝に出会わない 悲しみはない

キリストに救われない 罪人はない

愛に席をゆずらない 憎しみはない




『マッカーサー元帥の祈り』


主よ、この様な息子に育てる事が出来ますように。

自分が弱気になっている時、自分でそう悟れるだけ強く、

又、恐れている時には、その恐れに直面できるほど、勇気ある息子に。

敗北しても誇りを失わず、不屈の精神を貫きつつ、正直に敗北を認め、

勝利しても、あくまでも謙虚で穏やかである息子に。 



 ただ願うだけでなく、実行に移す息子に育てる事が出来ますように。

あなたを知っており、己を知ることが、知識への扉を開くと知っている息子に。 



 楽で快適な道へとではなく、困難と挑戦に満ちた道に、息子を導いて下さるよう祈ります。

嵐の中でも堅く立つことを息子に学ばせて下さい。また、失敗した人達を思いやることを学ばせて下さい。 



 心に確信を持ち、高い目標を持った息子に育てることができますように。

他の人の上に立ちたいと思う前に、まず己を制することを学びますように。

また、未来に向かって前進しつつも、決して過去をうとんじる事のないように。 



 そして、これらすべてのことに加えて、

十分なユーモアの感覚を備えた息子に育てることができますように。

常に真剣であっても、あまりにも自分の事を深刻に考えすぎない息子に。

そして、謙虚な心を息子に与えて下さい。

真の偉大さとは、単純素朴であることだということを忘れず、真の知恵はいつでも歓迎し、

真の強さは弱さの中にあると忘れないように。 



 それを達成した時に、彼の父である私は、こうささやくことができます。

「私の人生は無駄ではなかった」と。 


「愛」
by ジョージ・ハーバート

愛は私を喜んで招き入れてくださった、だが私の魂はしり込みしていた

 塵と罪に汚れていたからだ

だが慧い眼をお持ちの愛は、私がぐずぐずしているのを見ておられた

 私が初めて戸口に入った時から

私に近付いて、やさしくおたずねになったのだ

 何か足りないものがあるのか?と


客人が、私は答えた、ここにふさわしくないのです

  愛はおっしゃった、お前がその客人になるがいいと

私のような薄情で恩知らずな者がですか?ああ、わが愛しきお方よ

  私はあなたを見つめることもできません

愛は私の手を取り、微笑んでお答えになった

  私でない誰がその目を作ったというのだ?



真実です、主よ、ですが私はそれを汚してしまいました、私の恥に

  しかるべき報いを受けさせてください

お前は知らないようだな、と愛はおっしゃった、誰がその責めを負ったのかを?

  わが愛しきお方よ、それではお仕えしましょう

お座りなさい、愛はおっしゃった、そして我が肉を食べるのです

  そこで私は座り、いただいたのだ



「私のための神の計画」
作者不詳

キリストの裁きの座に立ったとき、

私の人生に対する神の御計画が映し出されたとしたら・・・

神様の方法を選ぶこともできたのに

私は神を無視していたとしたら・・・

御心に従っていなかったとしたら・・・

イエス様の目に涙が浮かぶでしょうか。

主を悲しませた私を神はなおも愛してくださるでしょうか。

主は富むものとしてくださったのに

私は貧しいものとしてそこに立っているのでしょうか。

すべてを剥ぎ取られ、

ただ神の御恵みだけによってそこに立っているのでしょうか。

走馬燈のように記憶が駆け抜ける

もう二度とやり直しのきかない事どもを。

荒れはてた私の心

傷つき、涙もかれはてて。

手のひらを広げて顔をおおう

冠をいただけなかった頭を垂れて。

これからの人生を、主よ、御手にお委ねします。

私をお受け入れください。

私を砕いて、

あなたが御計画されたとおりに造りかえてください。


「あんなにも」
水野源三


  主イエスがあんなにも

  主イエスがあんなにも

  私達の罪のために

  涙を流して悲しんでおられるのに

  罪を悲しまなくてもよいだろうか

  罪を悲しまなくてもよいだろうか



  主イエスがあんなにも

  主イエスがあんなにも

  私達を愛するために

  血潮を流して苦しんでおられるのに

  悔いあらためなくてもよいだろうか

  悔いあらためなくてもよいだろうか



  主イエスがあんなにも

  主イエスがあんなにも

  私達を救うために

  きのうもきょうも招いておられるのに

  御許へ行かなくてもよいだろうか

  御許へ行かなくてもよいだろうか



『鏡の中に見るのは』
マックス・ルケード


鏡のそばに立って自分の顔を見る。

ダメ人間の顔が映っている。

神との約束をまたしても守れなかった人間の顔だ。


もう二度としないと約束したのに、またやってしまった。

大胆に語るべきだったのに、また黙っていた。

キリストのために立ち上がるべきだったのに、座ったままだった。

これが初めてだというなら話は変わってくる。

だけど初めてじゃない。


転んでも転んでも、抱き上げてもらえることを期待する。
そんなことを一体、どれだけくり返すのだろう。

あなたの目は鏡の中に罪人を見ている。

約束を守れないダメ人間を。


けれども信仰によって、あなたが鏡の中に見るのは放蕩息子の姿だ。

いちばん良い服を着せてもらい、指には恵みの指輪をはめ、

父のキスを頬に受けた放蕩息子の姿を。


あなたの目はあなたの過ちを見る。

あなたの信仰はあなたの救い主を見る。

あなたの目はあなたの罪を見る。

あなたの信仰は主の血を見る。




「最後だとわかっていたなら」 

作:ノーマ・コーネット・マレック
訳:佐川睦 


あなたが眠りにつくのを見るのが

最後だとわかっていたなら

わたしは もっとちゃんとカバーをかけて

神様にその魂を守ってくださるように

祈っただろう


あなたがドアを出ていくのを見るのが

最後だとわかっていたら

わたしは あなたを抱きしめて キスをして

そしてまたもう一度呼び寄せて

抱きしめただろう


あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが

最後だとわかっていたなら

わたしはその一部始終をビデオにとって

毎日繰り返し見ただろう


あなたは言わなくても

わかってくれていたかもしれないけれど

最後だとわかっていたら

一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と

わたしは伝えただろう


たしかにいつも明日はやってくる

でももしそれがわたしの勘違いで

今日で全てが終わるのだとしたら、

わたしは 今日

どんなにあなたを愛しているか 伝えたい


そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若いにも 年老いた人にも

明日は誰にも約束されていないのだということを

愛する人を抱きしめられるのは

今日が最後になるかもしれないことを


明日が来るのを待っているなら

今日でもいいはず

もし明日が来ないとしたら

あなたは今日を後悔するだろうから


微笑(ほほえみ)や 抱擁や キスをするための

ほんのちょっとの時間を

どうして惜しんだのかと

忙しさを理由に

その人の最後の願いとなってしまったことを

どうして してあげられなかったのかと


だから 今日

あなたの大切な人たちを

しっかりと抱きしめよう

そして その人を愛していることを

いつでも

いつまでも大切な存在だということを

そっと伝えよう


「ごめんね」や「許してね」や

「ありがとう」や「気にしないで」を

伝える時を持とう

そうすれば もし明日が来ないとしても

あなたは今日を後悔しないだろうから





キティー・L・サフィールド作


あなたが召された働きの場は

小さ過ぎ、無名過ぎるように思えますか?

神がそこにおられるならそれは大いなること

神はご自分の者を忘れることはありません


神がおられるなら小さくても大きい!

富や名声のために働いてはいけません

冠はそこに。あなたはそれを勝ち取れる

イエスの御名で進むなら



『礼拝の前の静かなひとときに』
リチャード・バクスターの祈り


主よ、家に戻るまでに
私の心を天に引き上げるようななにかを

あなたからいただきたく思っています



御霊により あなたの臨在のうちに憩い

天的な喜びで 私の心を
やわらかく 香(かぐわ)しいものにしてください



キリストが 私の前に 現れてくださり

天からの光で 

私のまわりを照らしてくださいますように



人を導き たましいを生き返らせる 

あなたのみ声を お聞かせください



私の目から うろこを取りのぞいてください

――そうすれば、さらなるあなたの栄光に 

目が開かれるでしょう



主よ、どうか 私の心を 

あなたの安息の光景のうちに いこわせ

御父のみ前に 

導き入れてください



そうすれば 

天の幻をみた あの羊飼いたちのように
「ああ、見聞きしたことが、ぜんぶそのとおりだった」と

神をあがめ、

賛美しながら
帰路につくことができるでしょう



作者不詳

わが魂よ、静まれ。主がそう命じられるから。

道が塞がっているように見えても、賢い主の御手に委ねなさい。

主の御腕は強く、波を分つ。

わが魂よ、静まれ。静まれば、見るだろう。

神があなたのために「不可能」を可能とされることを。

神は大いなる救出をもって救われるから。


苛立ってはいけない。静まっていなさい。

たとえ四方を囲まれていたとしても。

あなたの霊がそれを理解できなくとも。

神はあなたが静まるまで道を開くことはできない。

その時、神はあなたの内に御旨のわざを行われる。

そしてあなたの心と意思はすべて神に向けられる。


わが魂よ、静まれ。静まっているなら

神はあなたにご自身を現すことができるのだ。

そして、あなたを通して神の愛と光と命が自由に流れるようになる。

神は静けさの中であなたを通して働き

あなたのまわりの魂に手を差し伸べる。その時神はあなた通して

教訓を教え、弱さの中に神の力を表す。


静まること、それは信仰と休息の、より深い歩み。

静まって、父が最善をご存知であることを、知れ。

神の子どもを素晴らしい国へと

静かな水が流れる夏の地へと導く道を。

そこでは慕い憧れる魂は満たされ、

彼らの神を知り、神のご計画すべてを感謝する。






愛するイエスよ、あなたの香りを行く先々で広めることができますように。

あなたの霊と命を、私の魂にあふれさせて下さい。

私という存在全体にことごとく浸透し、それをあなたの所有として下さい。

私の人生がただあなたの光の輝きとなりますように。


私を通して、私の中で輝いて下さい。

出会うすべての人が

私の魂の中にあなたの存在を感じるように。

彼らが目を上に向けて、もはや私ではなく、イエスだけを見ますように!


私のそばにいて下さい、あなたが輝くように輝くことができ

光となって他の人々を照らすことができるように。

ああイエスよ、すべての光は私ではなく、あなたから来るでしょう。

それはあなたが私を通して、他の人の上に輝くのです。


そのように周りの人を照らすことによって、

あなたが最も喜ばれる方法で賛美を捧げることができますように。

説教によらず、言葉よりも手本によって、あなたをのべ伝えることができますように。

私の行いがもたらす共感という、心奪われるような力によって

私の心はあなたのために、豊かな愛という実を結ぶのです。

アーメン。

—ジョン・ヘンリー・カーディナル・ニューマン


野の花を見よ


花は言うだろうか。

自分の咲くこの地は風通しが悪い。

日が当らない。

地質が合ってない。

他の花に比べて自分は小さく美しくない。

目立たない。

しかし私たちと違って花々はそうは言いません。

私たちはすぐに言います。

自分の生まれ育った環境が悪い。

日が当らない。

美しい。

力も劣っている。

努力しても実らない。

それに比べてどうしてあの人だけは日の当る所にいるのか。

なぜあの人だけが幸せなのか。

自分は不遇だ。

いつもこのように目に見える相対的な世界で私たちは振り回され
一喜一憂しているのではないでしょうか。


これはハンセン病の方が書いた言葉である。この病気にかかり、家族からも社会からも隔離された療養所に入り、何度も自殺を企てたが死にきれなかった。やがて療養所の中で主イエスを信じる人々の集まりに加えていただき、主イエスの恵みによって救われた時、この人はこう言ったという。

「癩(らい)という字は、やまいだれの中に頼るという字を書く。この病は私が主イエスに出会い、救われ、主イエスを頼みとして生きるようになるために神様が私のために選びに選んで与えてくださったものだ。」

あれも嫌、これも嫌とつぶやいていた者にとって、これは実に驚くべき言葉であった。



キリスト
八木重吉


キリストが十字架にかかって死んで

蘇って天に昇ったので

私も救われるのだと聖書に書いてある

キリストが代わって苦しんだので

私は信じさえすればいいと書いてある

私はキリストがすきだ

いちばん好きだ

キリストの云った事は本当だとおもう 

キリストには何もかも分かっていたとおもう

キリストは神の子だったにちがいない

キリストは天に昇ってからも

絶えず此の世に働きかけているとおもう

ポーロの言葉 使徒の言葉

すぐれたる信徒の言葉

それ等は

キリストが云わせたのだと信ずる

そう云うことの出来ぬほど

キリストが無能な者だとはおもわれぬ

再びキリストが来る

キリスト自身がそう云っている

キリストが嘘を云う筈がない

そのとき

私自身は完全に悪るい人間だけれど

ただキリストを信じている故にのみ

天国に入れてもらえると信ずる


聖 書
八木重吉

この聖書<よいほん>のことばを 

うちがわからみいりたいものだ 

ひとつひとつのことばを 

わたしのからだの手や足や 

鼻や耳やそして眼のようにかんじたいものだ 

ことばのうちがわへはいりこみたい



マザー・テレサの祈り


神さまいっしょにいてください。

あなたの言葉ではない言葉が、

この唇を横切ることがありませんように。

あなたの思いでない思いがこの頭に入りませんように。

あなたの行ないでない行ないを、

この私がしたり、しようとしたりしませんように。

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