23 MGF墓地マクペラ・プロジェクト(MGF Cemetery Machpelah Project)

「安心せよ。キリストは墓にまでもあなたと共に行き、再び起き上がって、あなたを天の丘にまで導かれる。」

(チャールズ・スポルジョン)

「クリスチャンのすべての死は、その者をイエス様に引き渡します。死は、私たちを永遠の救い主のみもとに連れていくものです。」(ジョン・マッカーサー)

GONE TO BE WITH JESUS

「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。

しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」(ヨハネ12:24)

「人は、いつまでも生きられるだろうか。墓を見ないでいられるだろうか。」(詩篇49:9)

墓があってもはかない人生では何にもならない。

〈MGFのクリスチャンの関係者なら誰でも無料で使用できる教会墓地の建墓プロジェクト〉

「そこでアブラハムは立って、その土地の人々、ヘテ人にていねいにおじきをして、彼らに告げて言った。『死んだ者を私のところから移して葬ることが、あなたがたのおこころであれば、私の言うことを聞いて、ツォハルの子エフロンに交渉して、彼の畑地の端にある彼の所有のマクペラのほら穴を私に譲ってくれるようにしてください。彼があなたがたの間でその畑地に十分な値をつけて、私に私有の墓地として譲ってくれるようにしてください。』」(創世記23:7−9)

※ 現在、マクペラのほら穴は、パレスチナ自治区の都市ヘブロンにある宗教史跡である。ユダヤ教の伝承、並びに旧約聖書の『創世記』によれば、「民族の父母」と呼ばれているアブラハムサライサクリベカヤコブレアの六人がこの地に埋葬されているという。

「マクペラ」 (מכפלה) という単語は「二重、二倍」を意味する語根 "כפל" の派生語である。

「キリストもこの埋葬という人間味ある義務を、いやしからざるものとして、すすめておられるが(マタイ26:10)、これは一切のものを腐敗させ、消滅させる墓に目を注ぐことから転じて、われわれの目を更新へと高めさせるため以外の何ものでもない。」(ジャン・カルヴァン)

現在、MGFでは個人の墓の納骨式や散骨式に対応している。

【散骨について】

散骨とは、焼骨を細かく砕いて骨灰としたものを山や海、川などの自然界にまくことです。自然葬とも呼ばれ、近年一般的になりつつありますが、死体等遺棄罪(刑法190条)では、「遺骨」を「遺棄」すると3年以下の懲役刑となります。ただし法務省は非公式ながら、「節度を持って散骨が行われる限り、違法ではない」という見解を示しています。「節度をもって」というのは、この場合、「骨を遺骨とわからないような状態にする」という意味です。つまり散骨の際には、細かいパウダー状(粉骨)にしたり、布で包んで散骨するなどといった方法が求められます。このような自然葬には埋葬許可は必要ありませんが、死亡したときの死亡届、死亡診断書、火葬許可証等は必要書類として、散骨するまで保管しておくことが大切です。粉骨は散骨業者にも依頼できますが高額です。手間でも自分でやればお金はかかりません。今のところ、東京など一部の公営火葬場で粉骨処理を受け付けているとのことですが、まだ全国的には普及していないようです。

墓地・埋葬等に関する法律(墓埋法)では「焼骨の埋蔵は、墓地以外区域にはしてはならない」と決まっています。この場合の「埋蔵」とは、土中に埋めることです。つまり、墓地以外の土中に散骨することは、墓地埋蔵法違反で千円以下の罰金又は拘留若しくは科料となります。よって、墓地内の自然葬という方法であれば別ですが、土中に埋める方法での散骨は原則的にできません。

ちなみに、全国殆どの公営火葬場では遺族が火葬場に引き取りをお願いした遺骨、小さい骨壺で入りきれなかった遺骨や焼却台から「お骨上げ」ワゴンに積み替えるとき粉末のため除外されたものは、火葬場の仮置き場に留め置かれます。仮置き場が満杯になると市町村所有の山林に埋葬したり、貨物船に乗せて海上沖合に散布します。結局、自然葬と言われる樹木葬、散骨と同じです。違うのは多くの人の遺骨と一緒くたにして埋葬、散骨になることです。なお自治体によっては最終処分する前に金歯など貴金属を回収し、雑収入として翌年度の予算に計上するところもあります。

人は生きてきたように死んでいく。一日一生。

〈エンディングノート・ダウンロード集〉

エンディングノートとは、人生の最終章を迎えるにあたりご自身の思いやご希望をご家族などに確実に伝えるためのノートです。

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〈キリスト教専門葬儀社〉

株式会社ナザレ(東京都練馬区)

キリスト教葬儀聖心セレモニー(東京都足立区)

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栄光式典社(東京都渋谷区 03-3370-4902)

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『愛する人と自分のためのキリスト教葬儀』(水野健著 いのちのことば社)

『キリスト教葬儀』(疋田博著 イーグレープ)

『エンディングノート 愛する人に遺す私のノート』(木村恵子 キリスト新聞社)

『キリスト教の終活・エンディングノート』(水野健著 いのちのことば社)

冊子『 ひと目でわかる キリスト教葬儀の流れ 』(PDF)

〈クリスチャン墓地〉

エクレシアサポート(クリスチャン共同墓地園の墓 富士霊園/大阪メモリパーク内)

ラザロ企画/ラザロ霊園(千葉県柏市 04-7192-2734)

「墓地は復活の更衣室である。」(A・フロサール)

「キリストなしでは墓があってもはかない人生。」(カズ)

「”墓”とはなんであろう? それはキリスト者が自分の身に着けていた衣服を浸して洗い清める浴槽のようなものである。”死”とはなんであろう? それは私たちが不死のための礼服を着る控えの間のようなものである。またそれは、かのエステルのように(訳注:エステル記2:1-12)、主の抱擁にふさわしくあるように、己が身をかぐわしい香料入りの沐浴槽に浸す場所のようなものである。死は、“命”への門なのだ。私は死ぬことを恐れはしない。」(チャールズ・スポルジョン)

「私は、イエス・キリストの信仰のため、そしてより良い人生への確かな希望を持ちながら死ぬ。」(ミケランジェロ)

「私はわが魂を、わが創造主なる神の御手にゆだねる。わが救い主イエス・キリストの徳を通して、永遠の命にあずかる者となることを望み、かつ確かに信じながら。」(ウィリアム・シエークスピア)

「ただ私の名が滅びることで、父なる神の御名が高められるならば、そうなるように。」(ヨハネス・ケプラー)

「優れた人格こそ、最高の墓石です。あなたを愛し、あなたから助けられた人は、忘れな草が枯れてもあなたのことを覚えているでしょう。大理石にではなく、人の心にあなたの名前を刻みなさい。」(チャールズ・スポルジョン)

「私が生きていた時には、自分が画家であったということが何か重要な事柄であるように思われた。しかし今私が死にかかっている時、自分が本当は、キリスト・イエスの信者であったということだけが、私にとってはただ一つの重要な事である。」(ジョン・ベーコン、イギリスの彫刻家)

最も偉大なる実験物理学者マイケル・ファラディは、死後の人生について彼の仮説を尋ねられた時、こう答えた。 「仮説だって! 仮説のことは何も知らない。私は、確かなものに基づいている。私は、私をあがなう者が生きておられることを知っている。そしてその方が生きておられるので、私もまた生きるということを。」

【宗教改革者マルティン・ルターの絶筆】

彼の死の床のかたわらには一片の紙が残されていた。

「五年間、牧夫や農夫であったのでなければ、ヴェルギリウスの牧歌や農耕歌を理解できまい。四十年間、支配の重要な位置に就いていたのでなければ、キケロの書簡は理解できまい。百年間、預言者と共に教会を導いたのでなければ、聖書を十分に味わったとは思えまい。」

臨死状態の彼のことば

「我々は乞食だ、それが本当だ」

【宗教改革者ジャン・カルヴァンの遺言】

主の御名において、アーメン。ジュネーヴ教会の神の言葉の教役者たる私、ジャン・カルヴァンは、様ざまな病に圧せられ悩まされ、それゆえ主なる神が間もなくこの世から私を召し去ろうとおきめになったと信じざるをえなくなったので、遺言状を作製し、私の最後の意志を以下のごとく文書で記そうと決心した。

私をつくり給いこの世におき給うた神が、私を憫んでなし給うたすべてのことに、まず感謝を捧げる。すなわち、神は私が落ちこんでいた迷信の深い闇から救い出し給い、福音の光の中に導き、値なきにもかかわらずその救済の教えにあずかるものたらしめ給うた。

またさらに憫みと慈愛とをもって、拒まれ滅ぼされるに値している私の多くの誤りと罪とを寛大にも優しく忍ばれ給うた。

さらにそれどころか、大きな寛容と慈悲を示されて、福音の真理の説教と宣布にあたって私の働きを用いることをよしとさえ見做し給うたのである。

私は以下のごとく証言し告白する。すなわち、私はなお残る生命を福音を通じて私に伝え給うた信仰と宗教に費やす所存であり、私の救いがそこにのみ懸っているところの恩寵による選び以外に、救いのための他のいかなる助けも保護ももとうとはしないということである。

私はイエス・キリストを通じて私に加えられた御憐憫に全霊をもっておすがりし、キリストの受難と死の功績によって私の罪を贖い給い、かくして私のあらゆる罪を誤りとを償い、それについての御記憶を消し去り給わんことをお祈りする。

さらに私は次のように証言し告白する。すなわち、人類の罪のため流された救世主の血によって私を洗い浄められ、最後の審判のさい救世主の御許に立つことを許されるよう、哀願し奉る。

また同じく次のように告白する。すなわち、神が私に対して与えられた恩寵と愛に応じて、私は説教や書物や註解で純粋清明な御言葉を宣布し、聖書を誠実に解釈するよう熱心に努めてきたということである。

また私は次のように証言し告白する。すなわち、私は福音の敵との戦いや論争において、いかなる詐術も邪悪な詭弁的策略も用いたことはなく、真理を守って正々堂々と振舞ったということである。

しかし悲しいかな、私の努力と熱意は、もしその名に値するとしても、はなはだ鈍く無力なものであったので、課せられた職務を幾度となくなおざりにし、神の無限のご慈悲による助けがなかったならば、私のあらゆる努力は空しく無意味なものであったであろうということを告白する。

いやむしろ、神の御慈悲が私を助けなかったとするならば、主が私に贈り給うた霊的賜物は、最後の審判のさい、いっそう私を罪深い怠慢な被告とするであろうことを認めなければならない。

それゆえ私は以下のごとく証言し告白する。すなわち私の救いにとって次の一事以外にいかなる助けをも希望しないということである。それは、神は隣憫の父で在す故に、自分が憐れむべき罪人であることを認めている私に、父として御自身を示し給うということである。

他のことについては次のように希望する。この生命を終えた後には、喜ばしき復活の日が到来するまで、この教会と市の慣例に従って遺体を埋葬されることである。

(『原典宗教改革史』385ページ) カルヴァンの墓は遺言にもとづいて、市営墓地の一画に建てられた。

【D・L・ムーディーの記念室に遺された言葉】

「新聞がいつの日か、ムーディーは死んだと伝えるでしょうが、皆さんそのことを信じないでください。

そのときにこそ、私は本当の意味で、今よりももっと生きているのです。私はより素晴らしいところに移されたのです。この古い土の家から出て、永遠の家に移されたのです。

そこでは、死は、私の身体に触れることができず、罪も私の身体を汚すことができません。私の身体は、主の栄光の身体のような輝いたものにされているのです。

私は、1837年に肉において生まれましたが、1856年に霊において生まれました。肉から生まれるものは、死にますが、霊から生まれるものは、永遠に生きるのです。

『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません』(ヨハネ14:6)。」

チャック・スミス

チャックは生前よく教会でこう言っていた。「あなたがたはいつか新聞で読むだろう。『チャック・スミスが死亡した』と。それは誤報だ。『チャック・スミスは(天国に)引っ越した』と言うべきだ。」

【ビリー・グラハム】

「いつか、”ビリー・グラハムが死んだ”というニュースをあなたは聞くでしょう。その言葉を信じてはいけません。私は今よりももっと生き生きしていることでしょう。住所が変わるだけなのです。神の臨在へと引っ越すのです。」

「天国について最もスリリングなことはイエス・キリストがそこにおられることです。私は顔と顔を合わせて彼を見ることになります。イエス・キリストは私たちの人生の旅の最後に私たちに出会ってくださるのです。」

「私の故郷は天国にあります。私はこの世では旅人に過ぎません。」

〈ビリー・グラハムの最後の新聞コラム〉

Q: グラハム師、どのようにあなたは人々に覚えられていたいですか?

A: 「誠実な者」として覚えてもらえたらと思います。神に、イエス・キリストの福音に、そして神の召しに忠実な者として。それはただ伝道師としてだけではなく、夫として、また友としてもです。もちろん、いたらなかった部分もたくさんあったと思いますが、キリストの赦しがあり、そのような欠けている部分さえも、主が神の栄光のために用いることができることに、慰めを得ています。

これを読む時には、私はすでに天国にいることでしょう。

私が天国に行くのは、群衆に説教したからとか、品行方正な人生を過ごしたからではなく、たった一つのこの理由のためです。私は、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかかり、死に、そして蘇られたこと、イエスキリストへの信仰を通して罪が許されることを何年も前に信じました。皆さんは死んだら天国に行けると確信していますか?今日、キリストに人生を委ねることで、あなたも天国にいくことができるのです。

【チャールズ・ウェスレーの辞世の句】

「Best of all , God is with us.」(最も良いことは、主が共にいてくださることである。)

【細川ガラシャの辞世の歌】(明智光秀の娘)

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

【高山右近の遺言】

右近の最後の指導司祭はペデュロ・モレホン神父であった。

モレホン神父は日本管区の副代表としてローマに行くため右近と一緒にマニラに渡り、右近の臨終に立ち会った。

モレホン神父の記した「日本殉教録」の中には、右近のマニラでの様子が詳細に書き留められている。

「立派なキリシタンになるよう努力し、教会やイエズス会のパーデレに従順であること、もしこれに背く者あれば勘当し、孫とも親族とも思わぬ。」

「なぜ泣くのか。私が死んだらおまえたちは困るとでも考えているのか。おまえたちは間違っている。神はおまえたちを保護することを考え給うし、神がおまえたちの父である。」

「パーデレ、私はもう死ぬと思いますが、神がそれを希望し給うのですから、私は喜び慰められています。今より幸せなときが今まであったでしょうか。私は妻や娘、孫について何も心配していません。彼らと私はキリストのために追放されてここに来ましたが、彼らが私についてこの土地まで来てくれた愛情に深く感謝しています。神のためにこのような境遇になったのですから、神は彼らにとって真実の父となり給うでしょう。だから私がいなくなってもよいのです。」

【新島襄の遺言】

「わたしの死後、記念碑は建てないでほしい。一本の木の柱に”新島襄の墓”と書けば十分である。」

「私の胸中には一点の曇りもない。」(亡くなる二日前)

「天を怨みず、人を咎めず。吉野山、花咲くころの、朝な朝な、心にかかる、峰の白雲。同志社に対する私の感情は、いつもこの詩の通りである。」

「狼狽するなかれ、グッド・バイ、また会わん。」

「平和、喜び、天国。」(1890年1月23日午後2時20分、47歳の新島はこの言葉をつぶやきながら眠りについた)

【賀川豊彦の最後の祈り】

「教会を強めてください。日本を救ってください。世界に平和を来らせてください。」

【アブラハム・リンカーンの母ナンシーの遺言】

「あなたがこれから最も大切にし、そして実行してもらいたいことがあります。これは聖書の教えですが、お母さんの願いでもあります。神を信じなさい。そして正直に生きなさい。お父さんを助け、姉さんと仲良く、隣人を愛しなさい。」

【栄光を受ける準備】(デイリーブレッドより)

牧師であり聖書の解説者であったマーティン・ロイドジョンズは、1981年3月1日、死の床にありました。彼は1939年から1968年まで、ロンドンのウェストミンスター・チャペルの牧師として仕えました。人生が終わりに近づいたとき、彼は話す能力を失っていました。そこで、これ以上自分の回復のために祈って欲しくないと知らせるため、「栄光に向かっていく私を、どうか引きとめないで」と紙に書いたのです。

人の命は大切ですし、この世を去って天国に行く家族や友人を見送るのは辛いものです。しかし、神は、いつ誰を御国に呼び寄せるか、決めておられます。詩篇116篇15節は「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」と語ります。

自分の死が近いと知ったとき、使徒パウロは、天国で自分を待っているものに励まされ、次のように述べました。「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです」(Ⅱテモ4:8)。

私たちが今、人生の旅のどこにいたとしても、終着駅は主のみもとです。聖書は「実はそのほうが、はるかにまさっています」と語ります(ピリ1:23)。このみことばは、逆境に自信を持って立ち向かう助けとなります。また、キリストが準備された栄光の家に向けて旅立とうとする人たちを見送らなければならないとき、私たちの心を慰めてくれます。

人生の最大の喜びは、天国に入るという確かな希望だ。

メソジスト教会の創始者ジョン・ウェスレーは人生を閉じる間際、弱々しい腕を差し上げながら、声を振り絞って周囲の人たちに何度も何度も言った。「Best of All, God is with Us.」=「最も素晴らしいことは、神が私たちと共におられるということだ」。

『・・・彼(クラーク博士)は臨終の床にただアマストの牧師を呼んだ。そうして言うには、余が六十年の生涯に、ただ喜びというのは、日本の農学校に八ヶ月間いて、聖書をひろめた一事のみであると言うた。・・・』 内村鑑三『聖書之研究』1901年9月より

内村鑑三は、召天の約3ヶ月前に、次のように言った。「僕が死んだら、人々はいろいろなことを言うだろう。偉人だとか、何だとか。そしたら書いとくれ、僕が十字架にすがる幼児にすぎない事を。」(後世への最大遺物)「後世に残す遺産として誰にでも残すことができ、しかも最も偉大なものは信仰である。」

笹尾 鉄三郎(1868−1914 大衆伝道者、牧師、神学校教師、讃美歌作家)の臨終のことば:「リバイバル、リバイバル、リバイバル」

スコットランドを代表する宗教改革者、長老派教会の創立者で”長老教会の父”と呼ばれたジョン・ノックス(1510~1572年)の墓碑

「神を畏れ、決して人間の顔を恐れることのなかった者ここに眠る」

「聖書は、信仰者の身体を聖霊の宮として正しく埋葬し、迷信的に埋葬することのないように命じている。われわれは、終の日に甦るべきことを信じている。そして、われわれは主にあって眠りについた人々を憶えてその徳を讃え、その遺族、寡婦と孤児とに信仰の義務をすすめ、故人について、深い注意を払うように教えるのである。」 (第2スイス信条より)

「私が今望むことは、もしできるなら、私の人生という本のセカンド・エディション(改訂版)を出し、私が誤った数多くのページを書き直すことだ。」(ベンジャミン・フランクリンの臨終の言葉)

「自分は『あの先生は、りっぱな教会堂を建てた』とか『あの先生は素晴らしい説教者であった』ではなく『あの先生は、自分たちのことをよく愛してくれた』と覚えられるようでありたい。」(ジン・ジェヒョク 地球村教会主任牧師)

ビリー・グラハムの後継者ルイス・パラウ(1934ー2021)は死の直前にこんなメールをスタッフに送っていた。

「神は良い方です。私には大きな後悔ありませんでした。神に仕え、その福音を分かち合うことほど良いことはありません。その真理を決して忘れないでください。神はあなたを使うことを喜ばれます。神はあなたの奉仕に喜びを感じます。神はあなたに微笑んでいます。」

【著名人の墓碑】

インド宣教の父・ウイリアム・ケアリの墓碑:「みじめな虫けらに等しき我 汝の優しき御腕によりすがる William Carey(1761-1834)」

米国初代大統領・ジョージ・ワシントンの墓碑「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。』」(ヨハネ11章25節)

アフリカの聖者・デイビッド・リビングストン:「神はご自身の働き人を横たえる。だあ、ご自身の仕事を続行しておられる。」

「ジョン・ニュートン、伝道者、かつては罪深き放蕩の限りを尽くした無神論者で、アフリカの奴隷貿易をした者が、主イエス・キリストの深き恵みによって赦され、救われ、生まれ変わり、神のしもべとして福音を宣べ伝える者となる」。

「I for Japan. Japan for the world. The world for Christ. And all for God.(私は日本のために。日本は世界のために。世界はキリストのために。そして全ては神のために)」(内村鑑三)

「 ノイホーフにおいては貧しき者の救済者。リーンハルトとゲルトルートのなかでは人民に説き教えし人。シュタンツにおいては孤児の父。ブルクドルフとミュンヒェンブーフゼーにおいては国民学校の創設者。イヴェルドンにおいては人類の教育者。人間!キリスト者!市民!すべてを他人のためにし、おのれにはなにものも求めず。恵みあれ彼が名に」 (ヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチ 近代教育の父 1746年1月12日 - 1827年2月17日)

「何ものも神の愛を私から引き離すことはできない――。」(アイルトン・セナ 1960.3.21-1994.5.1 F1レーサー、ブラジル、ローマ・カトリック教徒)

「神様、本当にすばらしい旅でした。今からはもっとすばらしい旅になると信じています。」(スポルジョンの辞世の句)

「いやしのために祈るな。私が栄光の内に入るのを止めてはならない。」(D・M・ロイドジョンズの辞世の句)

「今日、私の戴冠式が行われる。」(D・L・ムーディーの辞世の句)