30 聖書66巻のキリスト(Christ in the 66 Books of the Bible)

「それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」(ルカ24:27)

「さて、そこでイエスは言われた『わたしがまだあなたがたといっしょにいたころ、あなたがたに話したことばはこうです。

わたしについてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、必ず成就するということでした。』」(ルカ24:44)

「あなたがたは、聖書の中に永遠のいのちがあると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。」(ヨハネ5:39)

「もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。」(ヨハネ5:46)

「そこでわたしは言いました。『さあ、わたしは来ました。聖書のある巻に、わたしについてしるされているとおり、

神よ、あなたのみこころを行なうために。』」(ヘブル10:7)

「そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、

また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした。」(使徒28:23)

「神は、すべての預言者たちの口を通して、キリストの受難をあらかじめ語っておられたことを、このように実現されました。」(使徒3:18)

「イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、

とあかししています」(使徒10:43)

「こうして、私はこの日に至るまで神の助けを受け、堅く立って、小さい者にも大きい者にもあかしをしているのです。そして、預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと以外は何も話しませんでした。すなわち、キリストは苦しみを受けること、

また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということです」(使徒26:22、23)。

「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。

キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、

また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、

また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです」(Ⅰコリント15:3-5)

「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、

――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、御子に関することです。

御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、

大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。」(ローマ1:1−4)

「聖書を知らないことは、キリストを知らないことである。」(ヒエロニムス)

「聖書は、その中にキリストが横たわっている飼い葉桶である。

・・・母親が赤ん坊を見出すだけの目的で揺りかごに行くように、私たちはキリストを見出すだけの目的で聖書を読むべきだ。」

(マルティン・ルター)

「預言者たちは星であり月である。しかしキリストは太陽である。キリストの預言に反対するものはすべて無である。

キリストは天への梯子の最初の段でもあり、最後の段でもある。キリストを通して我々は前進を初めなければならず、

キリストを通して生命へ到らなければならない。私は聖書の中にただ、十字架に付けられたキリストのみを理解する。」(マルティン・ルター)

「われわれは、聖書を読む時、その中にキリストを見出そうという意図を持って読まなければならない。」(ジャン・カルヴァン)

「イエス・キリストは聖書の中に隠れている宝物です。ですから、聖書はイエス・キリストを見つけるために読まなければなりません。」

(ジョージ・ホイットフィールド)

「私たちはキリストを知ろうと願って聖書を学ぶのである。」(内村鑑三)

「聖書はイエス・キリストの肖像画である。」(ジョン・ストット)

「創世記の始めから黙示録の終わりまで、聖書を一貫するものはキリストである。」(笹尾鉄三郎)

『旧約聖書』=受肉前のキリスト

01) 創世記=蛇(サタン)の頭を踏み砕く女の子孫 (3:15⇒ガラテヤ3:14、16;黙示録12:5,17;1915〈詩篇2:9〉;ローマ16:20) 。

02) 出エジプト記=過越の小羊(12:3~14⇒Ⅰコリント5:7;ヨハネ1:29;1ペテロ1:19)。

03) レビ記=大祭司(16章⇒ヘブル2:17;3:1;4:14〜15;5:5−6、10;6:20;7:26、28;8:1、3;9:11~12;10:21)。

04) 民数記=いのちのパン、生ける水(11:9;20:8⇒ヨハネ6:35、48、51;4:10;7:37~38;1コリント10:4;黙示録21:6;22:17)。

05) 申命記=モーセのような預言者(18:15;34:10⇒ヨハネ1:45;使徒3:21,22;7:37)。

06) ヨシュア記=約束の地に導く主の軍の将(5:13~15〈民数記22:22−23、31;1歴代誌21:16〉⇒1テサロニケ1:7;ヘブル4:8〜9;マタイ26:53)。

07) 士師記=失敗を繰り返す神の民を憐れむ不思議という名の主の使い(13:18⇒使徒3:20)。

08) ルツ記=異邦人花嫁(ルツ)の買い戻し権利のある親類(4:8⇒黙示録5:4〜5)。

09) Ⅰサムエル記=エッサイの根(イザヤ11:10)、油注がれた王(16:12−13⇒使徒13:22,23;ローマ15:12)。

10) Ⅱサムエル記=永遠の王座に着くダビデの子(7:12、13⇒マタイ1:1;ヨハネ7:42;使徒2:30)。

11) Ⅰ列王記=ソロモンにまさる者(3:12⇒マタイ12:42)。

12) Ⅱ列王記=エリヤの神、主(2:14⇒ルカ1:17、43−44、76−77)。

13) Ⅰ歴代誌=南ユダ王国王位継承者(1~9章⇒マタイ1章;ルカ1:32;黙示録5:5;21:16)。

14) Ⅱ歴代誌=神殿よりも偉大な者(1~7章⇒マタイ12:6)。

15) エズラ記=破壊された神殿の再建者(1~6章⇒ヨハネ2:19~21)。

16) ネヘミヤ記=新しいエルサレムの城壁(1~7章⇒黙示録21:12〜23)。

17) エステル記=神の民を絶滅から救い出す者(7:4⇒ローマ11:26)。

18) ヨブ記=終末に地上に立たれる贖い主(19:25⇒マタイ26:64;使徒1:11;3:21)。

19) 詩篇=賛美されるべき方(145:3⇒マタイ2:11;28:9;黙示録5:12〜14)。

20) 箴言=神の知恵(8章⇒ルカ11:49;Ⅰコリント1:24、30)。

21) 伝道者の書=人の行ないをさばく審判者(12:14⇒マタイ16:27;使徒10:42;ローマ2:16;Ⅱコリント5:10;黙示録20:12〜15)。

22) 雅歌=教会の花婿(2:16;4:9⇒マタイ9:15;マタイ25:1〜13;ヨハネ3:29;2コリント11:2;エペソ5:25;黙示録19:7;21:9)。

23) イザヤ書=不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君であり、苦難のしもべ(9:6;53章⇒使徒8:26~35;ローマ9:5;2テサロニケ1:12;1ヨハネ5:20;ヘブル1:8;エペソ2:14)。

24) エレミヤ書=解放と新しい契約をもたらす私たちの正義なる主(23:6;31:31⇒1コリント1:30;ヘブル8:6;9:15;12:24)。

25) 哀歌=エルサレムの崩壊を嘆き涙を流す預言者(2:11⇒ルカ19:41,42)。

26) エゼキエル書=まことの牧者にして君主(34章⇒ヨハネ10章)。

27) ダニエル書=エルサレム再建命令の438年後に来られるメシヤ(9:25⇒ルカ19:42、44;ヨハネ12:12,13)。

28) ホセア書=愛されない者を愛する夫(2:23⇒エペソ5:26,27)。

29) ヨエル書=その名を呼ぶ者を皆救うキリスト(2:31,32⇒使徒2:17~22;ローマ10:9、13)。

30) アモス書=イスラエルを回復する主(9:11〜12⇒使徒15:16〜18)。

31) オバデヤ書=千年王国を治めるキリスト(1:21⇒黙示録19:11〜16;20:6)。

32) ヨナ書=死から三日目によみがえるキリスト(1:17⇒マタイ12:40)。

33) ミカ書=ベツレヘムで生まれるイスラエルの支配者(5:2~4⇒ルカ2:4)。

34) ナホム書=世界のさばき主(1:3⇒ヨハネ5:22、27;使徒17:31)。

35) ハバクク書=神の民を救うキリスト(3:13⇒マタイ1:21;15:24;使徒13:23)。

36) ゼパニヤ書=神の民のただ中におられる主(3:17⇒マタイ18:20;エペソ3:17;コロサイ1:27)。

37) ハガイ書=第二神殿に現われるキリスト(2:6~9⇒ルカ2:49;マタイ26:55;ヨハネ18:20)。

38) ゼカリヤ書=ろばに乗られる王で十字架上で槍で突き刺されるキリスト(9:9;12:10⇒ヨハネ12:15;19:34;黙示録1:7)。

39) マラキ書=使者(バプテスマのヨハネ)に続いて現われる義の太陽(3:1;4:2⇒ルカ1:78〜79;黙示録21:23)。

『新約聖書』=受肉後のキリスト

40) マタイの福音書=ユダヤ人の王(2:2)。

41) マルコの福音書=しもべ(10:45)。

42) ルカの福音書=アダムの子(3:38)。

43) ヨハネの福音書=神の子(20:31)。

44) 使徒の働き=よみがえられた世界の救い主(4:10、12)。

45) ローマ人への手紙=神の義、ほめたたえられる神(1:17;9:5)。

46) コリント人への手紙Ⅰ=病む教会を生かす最後のアダム(15:45)。

47) コリント人への手紙Ⅱ=教会の力、慰め主(7:6;12:9:13:4)。

48) ガラテヤ人への手紙=自由をもたらす解放者(5:1)。

49) エペソ人への手紙=教会のかしら、花婿(1:23;5:23)。

50) ピリピ人への手紙=喜びをもたらす全ての者の主(2:11;4:4)。

51) コロサイ人への手紙=教会を満たす全ての支配と権威のかしら(2:10)。

52) テサロニケ人への手紙Ⅰ=携挙により慰めを与えるキリスト(4:13~18)。

53) テサロニケ人への手紙Ⅱ=再臨によって反キリストを滅ぼすキリスト(2:8)。

54) テモテへの手紙Ⅰ=神と人との仲介者、信者の模範としてのキリスト(2:5;4:12)。

55) テモテへの手紙Ⅱ=義の栄冠をくださる正しい審判者(4:8)。

56) テトスへの手紙=祝福された望み、大いなる神(2:13)。

57) ピレモンへの手紙=益と元気をもたらすキリスト(1:20)。

58) ヘブル人への手紙=メルキゼデクの位に等しい大祭司(6:20)。

59) ヤコブの手紙=生きた信仰をもたらすキリスト(2:17)。

60) ペテロの手紙Ⅰ=苦難を喜びに変える大牧者(4:12;5:4)。

61) ペテロの手紙Ⅱ=純真な心を奮い立たせ、忍耐を与える主(3:1)。

62) ヨハネの手紙Ⅰ=義なる弁護者、まことの神、永遠のいのち(2:1;5:20)。

63) ヨハネの手紙Ⅱ=教会を愛する受肉されたキリスト(1:1、7)。

64) ヨハネの手紙Ⅲ=教会の幸いと健康を祈るキリスト(1:2)。

65) ユダの手紙=教会をつまずきから守るキリスト(1:24)。

66) ヨハネの黙示録=アルファであり、オメガ、最初であり、最後である方(22:13)。

「私の兄弟たちよ、キリストを説教しなさい。いつでも、絶えずキリストを説きなさい。キリストこそ福音の全体である。キリストの人格、その務め、そのみ業は、われわれの唯一の、偉大にしてすべてを包括する主題でなければならない。キリストが、すべてであるような説教こそ祝福されるべきである」(C・H・スポルジョン)

「もし毎回の説教で、我々がキリストを語らないとするならば、我々は説教の務めからただちに退いて、他の務めを探すほうがましである。」(J・S・ステュワート 英国説教者)

「説教はキリストのあかしでなければならない。そうでなければ、それはキリスト教的説教ということはできない。」(カール・ヴィスロフ ノルウェーの神学者)