3 MGF名称由来(Origine Of Name)

“マラナサ”は、アラム語「(私たちの)主よ、来てください」Ⅰコリント16:22)という意味の聖書原語で、使徒時代の初代教会のモットーであり、聖餐式などにおける合言葉として頻繁に使われていた。イエス・キリストの花嫁である教会はいつの日か迎え(携挙 Ⅰテサロニケ4:13~18)に来る花婿を心待ちにしているのである。主を愛する者はだれでも「マラナサ!」と言う。

“グレイス”は、英語で「恵み」〔当然受けるべきでないものを受けること、分不相応な者に与えられる過分な親切〕を意味し、「マラナサ」(Ⅰコリント16:22)に続く次節の言葉「主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように」(同23節)から引用した。“マラナサ”と“グレイス”はセットである。聖書の最後の締めくくりの言葉、即ち、聖書におけるイエス・キリストの教会に対する最後のメッセージも“マラナサ”と“グレイス”である(黙示録22:20、21)。主は私たちのような者を花嫁としてくださる恵みをもって迎えに来てくださるのだ。

“フェローシップ”とは、英語で「交わり・分かち合い」を意味すると共に「教会」を指す専門用語でもある。クリスチャンは三位一体の神〔父・子・聖霊〕と交わりを持ち(Ⅰヨハネ1:3 Ⅰコリント1:9 Ⅱコリント13:13)、また互いに神の家族としての交わりを持つ者である(Ⅰヨハネ1:7)。神との交わりとは御言葉、祈り、賛美を通して行なうものであり、特に聖餐にあずかることは主イエスとの神秘的結合をもたらす。ちなみに聖餐式のことを英語で「Holy Communion」〔直訳「聖なる交流」〕と言う。礼拝とは「神と交わること」である。初代教会では礼拝の都度、“マラナサ”の号令がこだました。教会とは「神と交わる者同士が交わるところである」(使徒2:42 Ⅱコリント8:4)。MGFではこうした神との交わりを日曜に限らず、日常礼拝とすることを目指している。

MGFファミリーは「主がもどって来られる」という同じ「信仰」「希望」を持ち、同じ救いの恵みを受けた者として互いに「愛」し受け入れ合う者たちである(Ⅰコリント13:13)。なぜなら、私たちは同じく永遠のいのちの交わりにあずかる者だからである。このクリスチャンの信仰と希望と愛の一致の交わりこそ、世がイエスを救い主として信じることのできる最も強力な伝道メッセージでもあるのだ(ヨハネ17:21~23)。


MGFは、主を求めて来る者には満足と希望を、

主以外のものを求めて来る者には不満と失望をもらたす真の教会でありたい。

「単にキリストが来られる事を知っていて、それを望むだけでは十分ではない。それは一人の魂の一生の中心になる重大な危機である。魂を引き付けるものが地上から天に移動され、来るべき世界の力の下での暮らし方を学ぶのである。」(A・W・トウザー)

【付 記】

本ホームページのURLwww.mgf-jc.comの由来

"www" = we welcome worshippers (私たちは礼拝者を歓迎します=MGFの基本姿勢)

word, worship, witness (聖書を学ぶこと、主に礼拝をささげること、キリストの証人となること=MGFの主要な教会活動)

"mgf" = maranatha grace fellowship (マラナサ・グレイス・フェローシップ)

"-" = signifies a connection (つながりを表象する=MGFはイエス・キリストとのつながりを親密する信仰共同体)

"jc" = jesus christ (イエス・キリスト=MGF〔教会〕のかしらにして花婿)

"." = period (ピリオド=終わり、以上、もはや多言〔議論〕の要なし、つまりイエス・キリスト以上のお方はいないという信仰告白)

"com" = communion (聖餐式=MGFはイエス・キリストとの一体化を表現する聖礼典を重視する)

注) 本来"www"はworld wide webを、".com"はcommercialを、"-"はハイフンを意味する。

参考までに・・・

創立者ウィリアム・ブースの言葉

「今日そうであるように、女性が泣いている限り、わたしは戦う。幼い子供が飢えている限り、わたしは戦う。男たちが刑務所に出入りする限り、わたしは戦う。酔っぱらいが残っている限り、街頭に哀れな女性がいる限り、神の光を受けていない一人の魂でもある限り、わたしは戦う。終わりまで戦う。」(救世軍公式サイトより)

この言葉は現在も略称“WWW”(While Women Weep―女性が泣いている限り)として語り継がれている。

【番外編】

MGF=みんな・ガラクタの・ふきだまり

MGF=みんな・ごろつきの・ふきだまり

MGF=みんな・ごちそう・フルコース

教会・・・

「その基本的原理は愛であり、キリストご自身がかしらであり、支配者である」

「キリストは初臨と再臨の間の期間、ご自身の教会の中と共に働かれる」

「異なった才能と性質を持つ多くの人々によって構成されているので、からだが正しい働きをするための根本的な要求は、信者相互間の謙遜と寛容の精神である」

「教会は兄弟姉妹の関係であるから、会員は相互に思いやり深くあることが必要である」

『聖書ハンドブック』 ヘンリー・H・ハ−レイ

「教会の本質が義と平和と聖霊による喜びです。互いの霊的成長を追及しなさい。家族的な交わりこそは教会の交わりの基盤です。愛の源泉は聖霊、その模範はキリストです。」(工藤弘雄)