25 聖書通読表・聖書日課(Bible Reading Plans/Lectionary)


「最も時間を費やしたものがその人を作るのではない。最も大きな力の働いたことが、その人を作るのだ。

神と神のみことばと共に過ごす5分間は、一日の内で、それ以外のすべての時間以上に価値がある。」(オズワルド・チェンバーズ)

「聖書を知るには、ときどきくり返して全部にわたって通読するのが有益である。」(カール・ヒルティ)

「100回目に聖書を読み終えたときに、私は最初に読んだ時よりも、ずっと、素晴らしいものだと知りました。」

(チャールズ・スポルジョン)

「その通り、私は聖書を読む−−くそいまいましい毎日に!」

(ジョージ・S・パットン 第二次世界大戦におけるヨーロッパのアメリカの第三陸軍の将軍 1885-1945)

「キリスト者は聖書を読みます。しかしキリスト者でない人々も聖書を読んでいます。

キリスト者以上に熱心にくり返しくり返し読んでいる人もあります。

ですからただ読んでいるだけでは信仰があるとは言えないのです。」(船本弘毅)

聖書はつまみ食いせずに全巻万遍なく味読せよ! 新約だけの食わず嫌いはいただけない。

「聖書通読とは、聖書全体を読むことを目標に、毎日聖書を読み続けることであり、信仰生活の基本です。」(聖書同盟)

「万民の注目に値する、最初の、そして唯一とも言える書物は、聖書である。私はこの世の一人の人間として語る。私は聖書に非常に尊敬を払っているので、私の子供達が祖国において立派な国民となり、尊敬される社会人となるようにとの私の願いは、子供達が聖書を読み始めるのが早ければ早い程、確実にかなえられると考えている。私は何年もの間、年に一回は聖書全体を通読することを習慣にしている。」(ジョン・クインシー・アダムス、アメリカの第六代大統領。1767年−1848年)

「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(ヘブル4:12)

「わたしのことばは火のようではないか。また、岩を砕く金槌のようではないか。――主の御告げ。――」(エレミヤ23:29)

「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」(エペソ6:17)

「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)

「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。 」(詩篇119:103)

「幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。」(Ⅱテモテ3:15)

「すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」(ヤコブ1:21)

「あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。」(Ⅰペテロ1:23)

「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。」(詩篇119:9)

「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。」(使徒20:32)

「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。・・・私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。」(黙示録1:3; 22:18,19)

「信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10:17)

「キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」(コロサイ3:16)

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。」(ヨハネ15:11)

「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)

「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。」(ヨハネ6:63)

「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:31,32)

「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マタイ24:35)

「ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。」(詩篇112:1)

「あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。 ・・・私のたましいはあなたのさとしを守っています。しかも、限りなくそれを愛しています。」(詩篇119:165、167)

「いばらの中に落ちるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞きはしたが、とかくしているうちに、この世の心づかいや、富や、快楽によってふさがれて、実が熟するまでにならないのです。しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。」(ルカ8:14、15)

「彼らが神の律法の書をはっきりと読んで説明したので、民は読まれたことを理解した。」(ネヘミヤ8:8)

「イエスは言われた。『いや、幸いなのは、神のことばを聞いてそれを守る人たちです。』」(ルカ11:28)

「自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行なうことを学ぶためである。」(申命記17:19)

「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。」(Ⅱテモテ2:15)

「あなたがたは、私のこのことばを心とたましいに刻みつけ、それをしるしとして手に結びつけ、記章として額の上に置きなさい。」(申命記11:18)

「わが神。私はみこころを行なうことを喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」(詩篇40:8)

「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。」(詩篇1:2、3)

「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。」(ヨシュ1:8)

「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。・・・あなたの御手が私を造り、私を形造りました。どうか私に、悟りを与えてください。私があなたの仰せを学ぶようにしてください。・・・私はあなたのしもべです。私に悟りを授けてください。そうすれば私は、あなたのさとしを知るでしょう。」(詩篇119:18,73,125)

「たとい君主たちが座して、私に敵対して語り合ってもあなたのしもべはあなたのおきてに思いを潜めます。まことに、あなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。・・・私は、自分の道を顧みて、あなたのさとしのほうへ私の足を向けました。私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました。・・・どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。あなたの仰せは、私を私の敵よりも賢くします。それはとこしえに、私のものだからです。私は私のすべての師よりも悟りがあります。それはあなたのさとしが私の思いだからです。私は老人よりもわきまえがあります。それは、私があなたの戒めを守っているからです。」(詩篇119:23,24,59,60,97-100)

「みことばをさげすむ者は身を滅ぼし、命令を敬う者は報いを受ける。」(箴言13:13)

「みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。」(箴言16:20)

【聖書通読のすすめ 晴読雨読 聖書愛読】

「読書百遍意自ずから通ず」 ことわざ

若い時は多読も必要といわれる。同時に、良書の精読も大切であろう。

私はこの両方を若いうちにしなかったので、今になって後悔している。

特にもう少し内外の文学書を読んでおくべきであったとつくづく思う。

今からでもそうしたいのだが、残念ながら時間がない。

只、聖書だけは何回となく通読している。

部分的な反復は除いて、全篇を30回は読んだ。決して多いとはいえないが、これは非常に勉強になった。

良書は、読めば読むほど味わい深くなるというが、聖書はその最たるもののように思う。

はじめの頃の文語体は、無学な私には苦しかったが、大きな忍耐力をもたらしてくれたし、

口語訳では自然に新仮名遣いを身につけることになった。

聖書は世界最大の文学書といわれるが、確かに文学的にも興味はつきない。

文才のない私にも、それなりに実におもしろいのである。

とにかく、こうした副産物だけでも聖書には無限にあるのである。

三浦光世

【聖書通読について】「ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです」(Ⅰペテロ2:1~3)。

きわめて大切なことのひとつに、祈りつつ注意深く神のみことばを読み、心に留め、黙想することがあります。体が適切な食物によって成長するように、たましいも同じです。信仰の成長を願うなら、それは神のみことばによってのみ可能です。

使徒パウロは、ある人たちが好んで言うように「ある条件のもとでは聖書を読むことも役に立ちかもしれない」と言っていません。また、「私が書いたものから益を受けるようになる」とも言っていません。ここでパウロが指しているのは神のみことばである聖書のことであって、ほかの何ものでもありません。

ある種の本もときには有益である、という人がいるかもしれません。それに疑いをはさむつもりはありません。けれども、神の喜ばれる方法は、規則的にみことばそのものを読み、用いることです。主の弟子は聖書を読むことに専心することによって強くされ、聖書を読むことを軽んじると、信仰も弱くなっていきます。

ときどき世話をしてもらえない赤ちゃんがいます。その子はどうなるでしょうか? 決して健康な大人には成長しません。幼いころに放置されていたからです。

おそらく、これは一番有害な放任でしょう。子どもたちは十分な栄養が与えられず、成長するために必要な力を得ることができません。霊の生活においても同じです。信仰生活のはじめから正しい霊の食物を得ることがとても大切です。その食べ物とは「純粋な霊の乳」である神のみことばです。みことばのみが新しいいのちを強くするのにふさわしい栄養です。

忙しい日常の中で

聖書を読むことは、日常生活から切り離された行為ではない。食物や水分のように、日常生活の一部であるべきである。

忙しい日常の中で、一息ついたときに、少し時間をとって詩篇を1篇、または箴言を数章読んでみてはどうだろう。あるいは、以前に語られた聖句を数節読んでもよいだろう。

また、会社の机の上やロッカーの中に小型の聖書や詩篇付きの新約聖書を、聖句を書き出した紙といっしょに常備するのもよい。それによって、詩篇や箴言などの聖句が生活に変化をもたらす驚きの経験を幾度もすることになる。

<引用以上>

【聖書の一番良い読み方】

「ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。」(1コリント2:12)

聖書のいちばん良い読み方についてお話ししましょう。聖書を深く知るには、まず聖書全体を規則正しく読むことは欠かせません。ある人のように、どこでも開いたところを読むというのはよくありません。最初に詩篇103篇を読み、次にヨハネの福音書14章かローマ人への手紙8章を開いてそこを読む、というやり方はいけません。

愛をこめて申し上げますが、神の子どもたちが父なる神のみことばをそのように扱うのは間違っています。主イエスの弟子が祝福の主をそのように扱うことも間違っています。聖書を通読したことのない人にお勧めします。旧約聖書と新約聖書をそれぞれはじめから別々に読むようにしてください。どこまで読んだかわかるように、しおりを使うといいでしょう。

なぜこの読み方が大切なのでしょうか。聖書の並び方には特別の目的があるからです。世界の創造にはじまり、世の終わりで完結しています。ちょうど伝記や歴史書を読むようなもので、始まりから終わりまでとおして読むことで、啓示された神のみこころを知ることができます。そして、最後まで読み終えたら始めに戻り、これを何度も繰り返すことです。

けれどもこれだけでは十分ではありません。この祝福された本を開くときには、自分が全く無知であることを深く自覚し、神の御前にひざまずいて聖霊が聖書を説き明かしてくださるよう願わなければなりません。

ある箇所が理解できないとしても、落胆することはありません。むしろ、何度も繰り返し主の前に出ることです。主は少しずつあなたを導き、みこころについてさらに深い真理を教えてくださるでしょう。

そして、祈りと謙遜な心から学んだ神様についての知識が増すにつれ、知的に満たされるだけでなく、心が動かされ、あなたの内なる人は喜び、慰められ、力づけられることでしょう。

以上『ジョージ・ミュラー 信仰』(ランス・ワベルズ編)より

「聖書を何度読んでも飽きなかった。聖書はいつもわたしに大きな慰めを与え、大きな喜びとなり、聖句の一つ一つが、新しい響きをもって迫ってくるのであった」と語っている。またこうも言っている。「私がこの幸いで有益な奉仕を続けることができたのは、聖書を愛していたからである。私は年に4回通読し、祈りに満ちた霊をもって、みことばを心に適用し、また実行することを習慣としていた。私は69年間、幸せな人間であり続けた。」(ジョージ・ミュラー)

「私は聖書を100回通読しました。しかし一度たりとも飽きたことがありません。読むたびに新しい力を得ます。これは私の54年間の信仰体験によるものです。私はイエス様を信じて最初の3年間は全然聖書を読みませんでしたが、その時は霊的な喜びも使命も感じない死んだクリスチャンでありました。私はその期間を忘れた時間だと思ってます。霊的な生活の活力は毎日聖書を読んだか、読んでいないかに正比例します。御言葉は霊の糧なので私たちが定期的に御言葉をいつも食べなければなりません。」 (ジョージ・ミュラー)

ハリー・アイアンサイド博士は、14歳の時に、自分の年の数だけ聖書を通読していないことに気をもんだ。しかし彼が21歳になった時には、とうとう自分の年と同じ数だけ聖書を読み、晩年には、年の数よりも通読の回数のほうがずっと多くなっていたという。

ある伝道者がD・L・ムーディーに、自分が聖書を何回も読んでいることを自慢した。これに対してムーディーは、「重要なのはあなたが何度聖書を読んだかということではありません。聖書があなたを通して何度働いたかということです」と答えたという。

「毎日聖書を読むのは、よいことである。けれども、毎日聖書を読んでいると言えるためにだけそうしているのなら、全然益にはならない。聖書を計画的に読むことを強く推奨する。しかし、聖書通読の計画表を用いても、その日の箇所を読んだだけで、それらについて考えたり黙想したりせずに、みことばから離れてしまって満足しているということのないように注意しなければならない。これでは全然益を得ることはできない。」(D・M・ロイドジョンズ)

聖書通読の友としておすすめしたいのが、『新聖書ハンドブック』(ヘンリー・H・ハーレイ著)。本書の序文にその目的が書かれている。「すべてのキリスト者は絶えず聖書を読み、聖書に専心すべきである。教会と宣教の働きは、まず第一に、聖書に取り組む人々を導き、養い、励ますことである。本書は、この目的が遂行されるために出版された。」また、同書には読者に宛てて次のように記されている。「ハーレイ博士が本書を執筆したのは、読者の聖書知識を増やすためではありません。人々と教会が、聖書を読むことによって聖書の神と出会い、神のことばに耳を傾け、神の子イエス・キリストを愛するようになること。博士が情熱を注いだのは、その目的を達成するためでした。」

以下にハーレイ博士の前掲書の中から「聖書を読むための手引き」の一部を紹介する。

■ 毎日読んで1年で通読 ■

1年で聖書を通読できるよう、毎日読む分を決めて読む方法がある。1日読めない日があったり、あるいは読めない日が数日続いたりしても、計画を途中でやめないこと。あるいは聖書を読むことをやめてしまってはならない。余分に読んで遅れを取り戻すか、先の計画を修正する。とにかく、やめてしまわないように。

以下は、1年で1回聖書を読む場合の目安である。

● 聖書には1189章がある。1日4章ずつ読んでいけば、1年で聖書全体を通読できることになる。

● 詩篇と箴言は合わせて181章である。毎日1章ずつ詩篇か箴言を読み、合わせて他の書を3章を読めば、聖書全体を1回、詩篇と箴言を2回通読することができる。

● 読むのが遅い人は(そういう人は多いだろう)、2年で1回通読できるくらいのペースに、計画を修正してもよいだろう。たとえば1日2章と、詩篇か箴言を1章というふうに。

大切なのは、自分に合った方法を選ぶことである。

■ 週単位で読む方法 ■

毎日何章読む方法の代わりに、1つか2以上の書(その書の長さに応じて)を1週間で読む方法もある。次頁の表に従って読めば、1年間で旧約聖書を1回、新約聖書を2回読むことができる。(※次頁の表は下記に掲載)

■ どの方法がよいかを決める ■

● どの方法が自分にとって一番よいかを考える。計画を立て、1日ごとにどの部分、またはどの章を読むか、カレンダーに記入してく。

● 1日に少しずつ毎日読むほうが、時々まとめてたくさん読むよりよい。

● 大切なのは、何らかの理由で読めない日が1日あったり、あるいは数日続いたりしても、計画を破棄しないこと。聖書を読むことをやめてしまわないこと。余分に読んで遅れを取り戻すか、先の計画を修正する。とにかく、やめてはいけない。

聖書を1年間で読破する(旧約と新約の並行読みスタイル)

聖書通読表

旧新約聖書1回通読(3.3章/日、85節/日)

日曜日はモーセ五書

月曜日は歴史書

火曜日は詩篇

水曜日は詩歌(ヨブ記・箴言・伝道者・雅歌)

木曜日は預言書

金曜日は福音書

土曜日は書簡

ダウンロード 日本語 ゴシック体 [PDF 43KB]

★聖書全巻(66巻)を通読するには96時間(4日間)必要。

★1日に2章ずつ読むと、19週で新約聖書を読み終えることができる。

★「聖書は講壇で朗読するときの速度で読めば創世記1章から黙示録22章まで78時間しかかかりません。」(G・キャンベル・モルガン)

「私は、神にある幸福を感ずるまでは、みことばを読むのをやめるべきではないということを学びました。」(ジョージ・ミュラー)

「二週間かけて聖書を全巻読破したとき、神は分析されることにはそれほど関心がない、と考えるようになった。神は何より愛されたがっておられるのだ!」(フィリップ・ヤンシー)

「すべての説教者は少なくとも毎年1回は聖書全体を完全に通読すべきです。」(D・M・ロイドジョンズ)

「英国教会の聖書日課では、旧約は年に一度、新約は年に二度通読するように定められているのに、英国でそれを守っている人はほとんどいないだろう。ウィリアム・ゴージは毎日15章づつ読み、T.C.ハモンドは三ヶ月に一度聖書全体を通読するのを慣わしにしたが、今、そのように神の言葉に親しむことがないのは、恐るべきことである。」(J・I・パッカー)

"If we abide by the principles taught in the Bible, our country will go on prospering and to prosper. I make it a practice to read the Bible through once every year." - Daniel Webster

【聖書通読関連ホームページの紹介】(聖書通読表・通読方法・通読計画等の案内)

聖書同盟(140年以上の歴史を持ち、約140カ国に展開する聖書通読専門ミニストリーの老舗)

http://homepage3.nifty.com/su/SUpage.html

聖書通読表(日本語で最も充実しているサイト)

http://biblestyle.com/

聖書通読運動

http://www.bible.or.jp/read/read02.html

聖書の世界へ、ようこそ

http://www13.ocn.ne.jp/~fides/

聖書日課のホームページ

http://seishonikka.org/

ルーテルによる家庭礼拝のための聖書日課

デイリーブレッド

http://rbcjp.info/

「デイリーブレッド」は、1956年に米国で発行され、世界中で一千万人の方々が愛用しているデボーション・ガイド、"Our Daily Bread" の邦訳版。1年間で聖書を通読箇所も付記されている。

One Year Bible(英語)のの日本語バージョン(PDF)

http://handsout.jp/slides/file_download/2137

牧師さんのちょっとした話http://nobu.bokushi.jp/2010/01/091141.phpより>

One Year Bible(英語 上記のオリジナル)

http://www.oneyearbibleonline.com/

Read the Bible in one year(英語)

http://www.ewordtoday.com/year/

50言語以上の翻訳聖書における5種類の年間通読計画

Bible reading plan(英語)

http://www.christiananswers.net/q-eden/biblereading-1yr.html

月曜日は律法、火曜日は歴史、水曜日は詩篇、木曜日は詩歌、金曜日は預言、土曜日は福音書、日曜日は書簡。年間通読に加え、3年間バージョンもある。

Bible Gateway Reading Plans

http://www.biblegateway.com/resources/readingplans/

様々な言語の聖書によるいろいろな聖書通読計画満載。Eメールでカスタムメイドの聖書通読計画を送信してもらえる。

★「聖書に対する態度は、キリストに対する態度をよく示している。もしだれかを愛していたら、その人について書いたものを好んで読まないであろうか。聖書を読むことをキリストに対する献身と考えることができさえしたら、このことをもっと大切に扱うようになるであろう。」(ヘンリー・H・ハーレイ)