28 ニューエイジ・ムーブメントの実態(Reality Of The New Age Movement)

ニューエイジ・ムーブメント ”すべては一つ、すべては神”

「ニューエイジ(New Age)」とは、字義どおりには「新しい時代」であるが、新しい世界、新しい思想を含意する。

「ニューエイジ」という呼称は、具体的には「水瓶座の時代」(みずがめ座の時代、age of aquarius)を意味する。この呼称は西洋占星術に由来し、地球の歳差運動によって黄道上を移動し続けている春分点が、ちょうど20世紀の後半に、黄道十二星座のうお座からみずがめ座に入る、との主張による。この主張では、春分点がうお座にあった時代は、ほぼキリスト生誕から現在までの約2000年間と重なる。さらに、キリスト教には、イエスを魚によって象徴させる慣わしがある。このことから、「ニューエイジ」という言葉には、今こそ既存の西洋文明・キリスト教の支配する時代が終息し、自由で解放された「新時代」(=水瓶座の時代)の幕が開いた、という意味が込められている。

概要(ウィキペディアより)

ニューエイジ運動は、60年代のカウンターカルチャーをその直接の起源とする。物質的な思考のみでなく、超自然的・精神的な思想をもって既存の文明や科学、政治体制などに批判を加え、それらから解放された、真に自由で人間的な生き方を模索しようとする運動である。

その中には、以下のような共通項をもつ、新旧の多様で雑多な要素が、互いに力動的に関わり合いながら共存している。

*反近代、反既存科学、脱西欧文明(禅や道教、チベット仏教などの東洋思想やアメリカ・インディアンの思想、あるいは“異教”的文化への親和性)

*ポジティブ・シンキング(個人に内在する力と可能性の強調)

*五感や身体性・主観的体験の重視

*論理的思考に対する直観的理解(「気づき」)の優位

*快の感覚や欲望の肯定

*旧来の社会道徳の否定と極端な自由主義の思想

*汎神論的・宇宙神的存在あるいは「大いなる意志」への信仰と、万象に対するその介在を根拠とする「偶然性」の否定

*自然への回帰(しばしば人間以外の生物との精神的な交感を含む)

*女性性の尊重

などが挙げられる。

具体的な構成要素としては、チャネリング/リーディング、瞑想法、前世療法・催眠療法等の心理療法、ヨーガや呼吸法・さまざまな整体術等の身体技法、ホーリスティック医療、心霊治療、アロマテラピー、パワーストーン、輪廻転生信仰、さまざまな波動系グッズなどを挙げることができる。これらのうちのいくつかの物は一般に「オカルト」と呼ばれる領域に属する。書店では主に精神世界の書棚の中に置かれている。

その裾野部分では、ニューエイジは現代の行き過ぎた消費文明や経済的効率主義に対して警鐘を鳴らし、これを中和しようとするようなオールタナティヴな社会思潮として機能する可能性を期待されている。しかしその一方で、しばしば、その信奉者の理性的・論理的・科学的な思考力を鈍化させて批判力を鈍らせ、また極端な場合には、破壊的カルトやオカルト商法といった反社会的な形をとって立ち現れる。そのようなわけで、ニューエイジの功罪について、明快な評価を下すことは容易ではない。

ニューエイジ的な価値観を信奉する人のことをニューエイジャーという。

特徴(ウィキペディアより)

ニューエイジの特徴には「一元論」「汎神論」「自己聖化」「自己実現」などがある。

*すべてでひとつである。

*偶然というものはない。

*弟子の準備が整ったとき、師匠は現れる。

*しなければならないことというものはない。

*善悪というものはない。

*信じる必要はない。

*努力はしなくてもよい。

*与えたものが返ってくる。

*すべてのものは聖なるものである。

*人には無限の潜在能力が備わっており、自分で自分の現実を作る。

*どんな現象も、自分がそれに与える以外の意味を持たない。(現実は中立である)

*アファーメーション(確認する)

産經新聞 宗教欄(1995-1996)より

第八回 オカルト志向と新宗教

筆者は昭和三十八年生まれで、大学生の頃は大相撲の当時の新世代が三十八年生れだったことから「サンパチ組み」とか「新人類」のはしりとかと呼ばれ、最近では「オウム世代」といわれる世代に属する。仕事がらオウム真理教の信者に会うことがあるが、確かに彼らと世代的な共通点を感じる。特に男性のばあい、その共通点はオカルト志向と言い表せよう。

オウム信者が空中浮揚といった超能力やハルマゲドンの到来を信じてきたことが、どうも理解できないという人は多い。だが筆者らの世代では漫画などの若者文化の影響で、超能力やハルマゲドンといったオカルトの世界には小さい頃から慣れ親しんできた。昭和四十年代後半、永井豪「デビルマン」では人類が滅び去る過程と善と悪との最終戦争がモチーフとされ、つのだじろう「恐怖新聞」「うしろの百太郎」では心霊現象がリアルに描かれていた。学校ではこっくりさんが大流行し、テレビではユリ・ゲラーや同年代の少年のスプーン曲げが話題となり、『ノストラダムスの大予言』『日本沈没』の情報も耳には入っていた。

同時にこの頃はオイルショックによる高度経済成長の破綻で、将来に対する漠然とした不安を感じとっていたし、公害問題等で科学や産業が必ずしも人間を幸福にするとは限らないということも薄々わかりはじめていた。このようななかでオカルトの世界は現実とは別の「もう一つ世界」だったし、筆者のまわりでも、こうした世界があっても不思議ではないという雰囲気があった。

昭和五十年代になっても、『ムー』『トワイライトゾーン』『ハロウィン』『マイバースデー』といったオカルト、ホラー、占いなどの専門誌が創刊され、また大友克洋「アキラ」や宮崎駿「風の谷のナウシカ」をはじめ人類の破局や超能力を扱った漫画も人気を博し、こうしたオカルト志向は持続されていった。オウムの体験談や脱会信者の手記をみると、このような雑誌や漫画に影響された人が多いことがわかる。オカルト志向は明らかにオウムをはじめとする現代の新宗教の展開の土壌となっている。

第九回 自分探し志向と新宗教

前回、オウム世代の共通点として、男性のばあいはオカルト志向があると述べた。では女性のばあいはどうであろうか。もし単純化が許されれば、それは自分探し志向といえると筆者は考えている。

筆者が面談した二十九歳のオウム真理教の女性信者は入信の理由を「人生の虚しさ」と表現していた。特に不幸というわけではないが、まわりは結婚していくし、昔みたいにちやほやされなくなるし、仕事はつまらない。そのようななかで常に何か目標を持ちたいと思ってきたが、それが何だかわからなかったと彼女は話す。そして出会ったのがオウムだった。

こうした話は何もオウムに限ったことではなく、虚しさ、漠然とした不安、人生の意味を見出だせないといった理由は新宗教の入信動機として決して珍しくない。自分の存在が何だかわからず、本当の自分を追い求め悪戦苦闘する姿がそこには見え隠れしている。

統計によれば、青少年の約三割が自分が「嫌い」または「やや嫌い」と答え、筆者が教鞭をとる看護専門学校でも、アンケートで 「人間はずるい、きたない」といった否定的な人間観を示す学生が毎年だいたい三割程度いる。

こうした自分や人間そのものに対するある種の嫌気をバネに、「本当の自分」「もう一人の自分」の探求や潜在能力の開発についての関心が高まってきた。わずか数日間で魅力的になれるという自己啓発セミナー、潜在能力や多重人格に関する書籍の人気、女性誌を中心とした簡単な心理分析とその処方箋の特集、女優のような格好をしてプロの写真家が撮影してくれる変身写真館など、自分探し志向の諸現象はバブル期より目につきはじめ、現在も続いている。

そもそも宗教はこうした自分探しに応えることを得意としてきた。その中でもオウム真理教をはじめとする最近の新宗教はそれをわかりやすい形で、時には短期間かつ安直な方法で可能にすると約束し、若者の心をとらえてきた。「オウムで救われた」と、今もこの教団を離れえない信者がいる理由の一つはここにある。むろん、その内容が今問われてべきなのはいうまでもないが‥‥。

第一〇回 精神世界ブームの昂まり

これまで述べたように、オウム真理教登場の背景にはオカルト志向と自分探し志向が潜んでいる。青年層のこうした志向性をひっくるめて何と名付けるか、宗教学の分野でも話題になることが多い。日本のマスコミでは精神世界、アメリカではニューエイジという語が用いられる。島薗進東京大学教授は新霊性運動という用語を提唱するが、ここではニューエイジとよんでおこう。

オカルトや自分探しも含めて、神秘や精神性を探求する動向は一九六〇年代後半にアメリカでおこった。関連の書籍には「精神性の発達」「意識のルネッサンス」「霊的な目覚め」といった言葉がちりばめられ、意識変革を目指している点で共通している。そこには、今の人々の意識や社会のあり方とは全く異なった新たな世紀の到来への待望が感じられる。ニューエイジは特定の組織をもつわけではないが、時代の雰囲気として広く共有されているといみてよいだろう。

ニューエイジに関する情報は、日本では昭和四十年代後半には一部の青年層の間で知られていた。その後、特に六十一年のシャーリー・マクレーン『アウト・オウ・ア・リム』の翻訳と、そこで紹介されたチャネリング(宇宙意識との交流)の普及が、ニューエイジの大衆化に拍車をかけるきっけとなった。心の時代と呼ばれて二十年近く、バブル期に始まった自分探しブームから数えて約十年、日本でも着実にニューエイジは根づきつつある。

一方、新宗教ブームといわれて久しいが、実は新宗教教団で信者数を伸ばしているところはそう多くない。大教団では横ばいか下降といったところである。そうすると、青年層の広い意味での宗教的関心は新宗教ではなく、ニューエイジの方に向かっているとみていいかもしれない。宗教教団のようにお布施や修行といった拘束力をもたないニューエイジは、確かに個人主義的な傾向の強い青年層に受け入れられやすい。事実、原宿や渋谷や青山にある、ニューエイジ関連の書籍やグッズを扱う店(ニューエイジショップ)は、休みになるといつも若者でいっぱいである。

クリスチャンによるニューエイジの定義

「諸思想・諸宗教を統一し、東洋の汎神論的影響を受け、人間の中に神性を見い出し、オカルト的指向を持つ、組織というより(中には組織化しているニューエイジのグループもあるが)、社会の様々な領域に広がりつつあるネットワークであり、霊的流れである。」(尾形守)

「数千にも及ぶニューエイジ・ムーブメントに協力する組織の、世界的規模のネットワークが目的としているものは、主として『新世界秩序』の樹立です。それは、『グループ意識』とか、『シナルキー』(秘教的統合主義)と呼ばれるものによって特徴づけられています。これが、その『多様性における統一』(unity in diversity)の背後にある秘密です。

ニューエイジ・システムの基盤は、霊のハイアラキー(霊天上界)による、この地球の『内的統治』への信仰、あるいは実際には悪魔的存在である『知恵の君』(master)への信仰です。

ニューエイジ・ムーブメントは東洋の宗教といにしえの『神秘的教え』の統合であり、また悪魔的存在によって伝えられた秘儀に基づくグノーテシズムと心霊術の結合です。これは現行の様々な形のオカルティズムを物語るものです。たとえば、透視、占星術、催眠術、UFO、ヨガ、神話、汎神論、生まれ変わり(輪廻転生)の思想、魔術の復活などがあげられます。

結局のところ、待望の新世界秩序には、クリスチャンが信じている真の神を受け入れる場所はないのです。神に代わって、ルシファー(堕落天使、悪魔の王)が王座を占めています。究極的には、ニューエイジ・ムーブメントを動かしている力は、神のごとくあがめられたいという、ルシファーの欲望以外の何ものでもありません。」(M・バシレア・シュリンク)

ニューエイジ・ムーブメントのキリスト教への影響

宗教的包括主義

宗教多元主義

自由主義神学(リベラリズム)

エキュメニカル運動()

フェミニズム

同性愛

肯定的思考カウンセリング

インナーヒーリング

神癒

繁栄の神学

信仰運動

「ニューエイジの宗教の特色を聖書的キリスト教との比較で一言で言うならば、『神の中心』対『人間中心』ということができる。キリスト教は神の栄光をあらわすことを究極の目的としているが、ニューエイジは人間自らが神になり、自己実現することが究極の目的である。」(水草修治)